ミクロネシア連邦皆既日食の概要 (UTC+10)

ミクロネシア連邦ヤップ州の皆既帯
ミクロネシア連邦ヤップ州の皆既帯…画像をクリックすると拡大されます

観測場所の天候

2016.3.9の本影錐の移動 この皆既日食帯は、2016年3月9日に西大平洋を通過します。
皆既帯の最初は熱帯収束帯が居座るインドネシアの島々を通過するので、この地域では雲間からの観測となるでしょう。

Jay Anderson氏より抜粋した資料によると、 赤道をまたいで熱帯収束帯が居座るインドネシアの島々では雲量が多くてあまり観測に向かないことが分かります。 晴天率を求めるなら、ミクロネシア連邦の島々が最適です。

皆既帯付近で一番晴れやすい地域は米領ウェーク島ですが、99%の部分日食となってしまいます。 一番無難なのは、グアム島から船舶をチャーターしてマリアナ海溝付近の皆既帯に行くしかありません。 ミクロネシア連邦に属するヤップ州の島々には僅かながら皆既帯が掛かる環礁があります。 ここでは、皆既帯が通過する島と環礁について天候の概略と共に説明します。


ミクロネシア連邦の国旗 ミクロネシア連邦の地理

ミクロネシア連邦は、太平洋のミクロネシア地域に位置するオセアニアの国家。 マリアナ諸島の南東、パラオの東、マーシャル諸島の西、パプアニューギニアの北ないし北東にあります。 地理的には、カロリン諸島と呼ばれます。首都は、ポンペイ島のパリキール。

ミクロネシア連邦は、フィリピンの東に浮かぶカロリン諸島に属する607の島があります。 島の範囲は東西に約3200km、南北に約1,200kmに渡って広がります。 熱帯雨林気候(Af)で年平均気温は26~28℃。年降水量は3,000mmを越え、夏に多く雨が降ります。

テルナテ港 ミクロネシア連邦の国旗は4個の星があしらわれた旗で1979年11月10日に制定されました。 水色の地は太平洋を象徴し、4個の白い星はこの国の主要な諸島、チューク、ヤップ、ポンペイ、コスラエを象徴しています。

住民はミクロネシア系が多く、ポリネシア系の住民もいます。 日系ミクロネシア連邦人もおり、人口の2割を占めているとも言われます。 現在の大統領であるマニー・モリは日系4世です。言語は英語が公用語であり、共通語として使われています。 日本統治時代(1914年 - 1945年)には、日本語教育が行われました。 現在では減少していますが、高齢者の中には日本語を話せる人もいます。 日本語由来の単語も多く、日本人の姓を使っている人もいます。

宗派宗教としてはキリスト教が有力で、ローマ・カトリックとプロテスタントが半分程度。 土着の精霊信仰も色濃く残っており、近年はキリスト教によって抑圧されていた儀式の復活も行われています。

漁業と農業(ココナッツやキャッサバ)が主産業で、魚介類を主に日本へ輸出し、 生活必需品を主にアメリカ合衆国から輸入していますが、貿易額は赤字を記録しています。 IMFに加盟しており、歳入の約5割がアメリカからの援助額で2003年から20年間で13億ドルを援助する予定。 漁業・農業・観光による自立経済を目指しています。 ヤップ州の州旗


ヤップ州の地理

今回通過する皆既帯は、ヤップ州の離れ小島や環礁がほとんどなので、ヤップ州について記述します。 この州旗は、石貨とカヌーを表します。
ヤップ州はミクロネシア連邦に属する4州の一つで、西太平洋カロリン諸島にある島々。 石の貨幣で有名なヤップ島本島と、周辺の環礁・無人島群からなります。 州都はヤップ島のコロニア(Colonia)。人口は約1万人。 ヤップ州の時間は、日本標準時+1時間(UTC+10)です。 ヤップ島のカヌー制作現場

紀元前3500年以上前、インドネシア、フィリピン、ニューギニア、 ソロモン諸島方面より木のカヌーで人類が航海し定住したとされています。 古代ヤップ帝国の最盛期には、人口5万人にもなったとも言われます。 州都があるコロニアではパンノキを船体にした縫合船のシングル・アウトリガーカヌーが作られ、広く用いられています。 小さいものはラグーン内での漁労用ですが、大きなものは十名近い乗員を乗せて数日間以上の外洋航海を行うことが可能な航海カヌーです。 カロリン諸島からヤップ島への貿易には、このような航海カヌーが欠かせないものでした。 またヤップ島の石貨の中でも古い時期のものは、航海カヌーによってパラオから運んで来たものと考えられています。

ヤップ島北部海岸のヤシの実 ヤップ島はグアム島南西約800kmに位置し、約160,000km²に広がる4島と約130の環礁からなります。 そのうち22島以外は、すべて無人島です。 サタワル島をはじめとする州の西側では伝統的な遠洋航海術が現代まで継承されています。 ヤップ島本島は79.5km²。州全体では約102km²。

11月 - 5月は北東から吹く貿易風の影響で雨が少なくなります。 6月 - 10月は風が弱まり、湿度が上昇します。 年平均気温は28℃程度、年降水量は3000mm。 住民のほとんどが農業と漁業の自給自足で、タロイモの栽培も行われています。 コプラの生産や、衣服、バスケット、絵画・彫刻などの製造などの手工業が主産業。 近年では観光産業も発展し、スキューバダイビングなどを目当てに来る外国人対象のツアーが人気。


ヤップ国際空港

ヤップ国際空港(Yap International Airport)とは、ミクロネシア連邦、ヤップ州ヤップ島にある国際空港。 国際定期便のほか観光飛行の小型機も発着します。 ボーイング737などの中小型ジェット機の発着に対応する1800mの滑走路と旅客ターミナルが整備されています。 グアム島とパラオからユナイテッド航空がヤップ国際空港に就航しています。

ヤップ島以外のヤップ州の島々・離島へのアクセスは、すべてヤップ島経由になります。 太平洋戦争中に日本軍や米軍が飛行場を建設したユリシー環礁、ファイス島には 9人乗りのビーチクラフト機が運航していますが便数も少なく(週2便から隔週1便)、 天候や諸条件によってすぐにフライト・キャンセルになります。

ヤップ国際空港 ※皆既日食継続時間が長いウォレアイ環礁と皆既帯北限界線から僅かに外れるフララップ島は、 滑走路の老朽化により2009年から運行が停止しています。復旧の目途は全く経っていません。

このようにヤップ州の離島を訪れるには多くの日数を要し、運行スケジュールも不確定要素が高いです。 またユリシー環礁とフララップ島以外にはホテルなどの宿泊施設がなく、全てホームステイになります。 どの島も物見遊山のツーリストを受け入れる態勢はありません。 このような事情から、いきなりヤップ州離島への渡航を計画するよりも、 先にヤップ島を訪れてヤップ島と離島の様子を把握されることをお薦めします。 離島を訪れる際、前もって入島許可証の取得が必要です。 必ず事前に現地エイジェントを通して時間の余裕を持って万全の準備をして下さい。


ヤップ州政府の連絡船

ヤップ州政府の連絡船 ヤップ州の離島をまわる州政府の連絡船は、月に1~2回の割合で運航します。 これも諸条件で運航日程は直前まで変わります。 航海日程は、乗客、積荷、行事、船の状態、海況など様々な都合で変わります。 予定されていた出航日が、2週間遅れで出航することは良くあるそうです。

ヤップ州の地図
参考までにネットで検索した運行日程を書くと大変長くなりますが・・・

 1日目 午後6時 ヤップ出航
 2日目 午前5時 ユリシー環礁フララップ到着、環礁内の島々をまわる
 3日目 干潮の時間を見計らってファイス島へ
 4日目 ソロール環礁
 5日目 エアウリピク環礁
 6日目 ウォレアイ環礁、環礁内の島々をまわる
 7日目 イファリク環礁
 8日目 フチャイラップ環礁
 9日目 エラート環礁~ラモトレック環礁
10日目 サタワル島、数時間で折り返し出航
11日目 ラモトレック環礁~エラート環礁
12日目 イファリク環礁
13日目 ウォレアイ環礁、環礁内の島々をまわる
14日目 エアウリピク環礁
15日目 ソロール環礁~干潮の時間を見計らってファイス島へ
16日目 ユリシー環礁着、環礁内の島々をまわり夕方、ヤップに出航
17日目 ヤップ帰着

青字で書かれた島は、2016.3.9の皆既帯が通過する島々です。
自力で観測地を巡るなら、一ヶ月以上は日本から離れなければなりません。
グアム島かヤップ島からチャーター船を借りて離島へ行った方が良いでしょう。
ヤップ州皆既帯…青線が皆既中心線で赤線が南北限界線

ミクロネシア連邦ヤップ州の皆既帯
2016.3.9に通過する皆既帯の雲量予報グラフ…東へ行けば行くほどコロナが見られる確率が上がります。  出典:Jay Anderson


離島に行くための手続きと出入国情報

ウォレアイ環礁の浜辺 ヤップ州の離島に行くには、Council of Tamol (COT) という離島の自治体が構成する協議会から許可を得る必要があります。 宿泊先としてホテルがある島を選択する場合、往復の飛行機による交通の予約が取れていれば COTの許可を得られます。

COTの許可を得るためには事前に申請して審査を受けることになるので、 現地の旅行手配業者を通じて手配をした方が良いでしょう。 事前に自分で手配することも可能ですが、この場合はCOTの入島許可証を受け取るため 離島に渡る前はヤップ島で数日間滞在しなければなりません。

このような離島で滞在するには、いくつか気をつける点がありますので、 経験のない普通の旅行者は、事前に現地が良く分かるヤップの旅行業者と相談し、 準備を進めてから現地に入るようにしたほうが無難でしょう。

ウォレアイ環礁の漁 公用語は英語です。ヤップ州ではヤップ語、チューク州ではチューク語、ポンペイ州ではポンペイ語、 コスラエ州ではコスラエ語が話されているほか、多数の離島の言語が利用されています。通貨は米ドルです。

気候は海洋性熱帯気候で、気温は年間を通じて平均気温27度と一定しています。 ポンペイ州の年間平均降雨日は304日、平均湿度も70%と高くなっています。気候は日本の梅雨と似ています。

日本国籍の旅行者は、出国用航空券とパスポートが必要です。 パスポートの残日数は、入国日から滞在日数+3ヶ月の有効期間必要です。 ビザは、30日以内の観光訪問であれば必要ありません。航空便は日本からの直行便がありません。 ミクロネシア各州へは、コンチネンタル航空がグアムから就航しています。 ウォレアイ環礁のカヌー置き場

到着時にミクロネシア連邦の入局許可証(Entry Permit)を持たない人は、 入国管理局発行の出入国記録用紙に必要事項を記入し、提出しなければなりません。 この用紙は、入国地への到着前に機内で配られます。 30日以上の滞在を希望する渡航者は、入国許可証 (Entry Permit)が必要となります。 30日以下の滞在者に入国許可証は必要ありません。

旅行者は必ず、入国時にミクロネシアを出国する方法を提示しなければなりません。 帰国便のチケット、または次の目的地の入国許可証などを提示してください。 入国管理局の責任者の裁量で、チケットの代わりに滞在期間終了後に出国することを 証明できる書類を提示することも可能。

NASAによるエアウリピク環礁の写真
NASAによるエアウリピク環礁の写真 Xavier JubierよりDATAを抜粋


エアウリピク環礁の地理とDATA

ユリシー環礁で船から降ろされた荷物 エアウリピク環礁は、ミクロネシア連邦のカロリン諸島西部の環礁。環礁には3つの島があります。 陸地の合計面積は 0.236km²ですが、環礁全体では5.921km²の深い礁湖があります。 南西の風によって、環礁は両側から常に破壊されています。島の標高は、最大でも2mしかありません。

かつて5つの島があったものの、1970年代終わりには2つの小島が台風時の波によって流されました。 これらの小島にはココヤシが生えています。 エアウリピクの人口は2000年時点で113人。多くの島民は通常、ヤップ島本島に一時労働者として居住しています。 第一次世界大戦後には大日本帝国が南洋諸島として委任統治しました。 第二次世界大戦後、アメリカ合衆国の施政権下に入り、1947年からは太平洋諸島信託統治領の一部として管理され、 1979年からミクロネシア連邦の一部となっています。 エアウリピク環礁の風景

Eauripik Atoll (エアウリピク環礁北部の小島)
  6° 42´ 05.0"  N       △T=68.2s
143° 01´ 52.7"  E 
Magnitude at maximum     : 1.01829%
Moon/Sun size ratio      : 1.04454
total solar eclipse : 4m 00.4s

Event       Date Time (WIT)    Alt    Partial
 (C1) : 2016/03/09 10:07:15.5 +50.7°   0.00%
 (C2) : 2016/03/09 11:34:49.5 +70.6° 100.00% 
(MAX) : 2016/03/09 11:36:49.5 +71.1° 101.82%
 (C3) : 2016/03/09 11:38:50.0 +71.5° 100.00%
 (C4) : 2016/03/09 13:11:23.1 +76.2°   0.00%

1944年のウォレアイ環礁 ウォレアイ環礁の歴史

ウォレアイ環礁はカロリン諸島、ミクロネシア連邦のヤップ州にある22の小島の一群。 太平洋戦争中は日本軍の基地が置かれ、兵員は飢餓に苦しんだ。現在の人口は800名ほど。 右の写真は1944年のウォレアイ環礁のファラロップ島です。 日本軍の建設した滑走路はくっきり見えていますが、米軍の爆撃跡が痛々しいです。

第二次世界大戦中はメレヨン島と呼ばれて日本軍の基地となり、 1944年(昭和19年)2月に海軍第四四警備隊(宮田喜信海軍大佐) と第二百十六設営隊が上陸して滑走路を建設し、4月12日に陸軍独立混成第五〇旅団(北村勝三陸軍少将)が合流。 陸海軍合わせて6426名です。上陸直後から米軍の激しい爆撃と艦砲射撃に晒され、 折角作った飛行場も殆ど使われず食料を揚陸直後に喪失してしまい、 以後の日本軍は終戦まで極度の飢餓に苦しみました。

島全体が標高の殆どない珊瑚礁のため農耕には向かず(2m掘ると水が湧く)、 火薬を用いた漁による成果も部隊全体に行き渡る量はなかったそうです。 ラグーンから採れる小魚、ネズミ、ヤドカリ、トカゲ、ヤシガニは貴重な蛋白源でした。 潜水艦による4度の補給はあったものの、深刻な飢餓が発生し、 終戦までに全体の7割に当たる4493名の餓死病死者を出しました。自殺して戦病扱いになった兵もいます。 米軍も本島を放置して、たまにB-24リベーレーター爆撃機の爆撃があるのみで、 日本軍の高角砲は体力不足から1発を発射するのがやっとでした。

ウォレアイ環礁 戦争の残骸 1945年(昭和20年)3月11日、ウルシー環礁への特攻作戦「丹作戦」で特攻隊を誘導した第五航空艦隊 (宇垣纏海軍中将)所属の二式飛行艇1機が着水、修理も燃料補給も出来ず水没処理されました。 宮田海軍守備隊司令は搭乗員に対し、内地との連絡が遮断されて1年が過ぎ、暗号も更新されていないと伝えました。 基地の兵は「毎日10名が餓死する生き地獄の島」とも紹介しました。 北村陸軍少将が搭乗員に賜った黒塗りの箱にはサツマイモが入っていましたが、これが最大級の褒章でした。 飛行艇搭乗員は5月7日に伊号第三六九潜水艦に救助され、設営隊員50名と共に島を離れました。

結果的に、日本軍守備隊は飢餓により事実上全滅し、戦わずして玉砕した悲劇の島と言われています。 終戦後、草鹿任一海軍中将を団長とした第二次南方方面遺骨収集派遣団がメレヨン島を訪れました。 島民は水深8mに沈んだ二式大艇を特攻機と説明していますが、これは3月12日に水没処理された機体であり、 搭乗員は潜水艦で帰還しています。1966年(昭和41年)4月、全国メレヨン会員によって慰霊碑が建設されました。


ウォレアイ環礁の地理とDATA

ウォレアイ環礁のDATA ウォレアイ環礁ファラロップ島は、かつて交通の要所でした。 日本軍が建設した滑走路も2009年までは9人乗りのビーチクラフト機が運航していましたが、老朽化によって使用禁止されています。

州政府の連絡船で島々を巡るか、グアム島かヤップ島からチャーター船を借りて離島へ行った方が良いでしょう。 典型的な村社会なので、人口が多いファラロップ島の要人には最初に御挨拶をした方が良いです。 ヤップ島では前もって入島許可証の取得をしても村の住民や要人には挨拶を欠かせません。 旅の目的も最初からお話しした方が良いです。 一旦村人に受け入れてもらえたら、素晴らしい環礁の島々で連絡船が来るまで過ごせるかも知れません。

もちろん売店などは無いので、事前に物資と水や食料が必要です。 蚊の心配があるので、蚊取り線香と出来れば蚊帳があった方が安心です。 水着とビーチサンダルもお忘れなく。島で出たゴミも持ち帰りましょう。 撮影などで電源を使う場合は、ヤップ島のホテルで充電を済ませた方が良いでしょう。 無人島へ行く感覚で準備を進めると良いと思います。

Woleai Atoll (ウォレアイ環礁ファラロップ島南部)
  7° 21´ 51.0"  N       △T=68.2s
143° 54´ 37.2"  E 
Magnitude at maximum     : 1.012112%
Moon/Sun size ratio      : 1.04465
total solar eclipse : 4m 05.4s

Event       Date Time (WIT)    Alt    Partial
 (C1) : 2016/03/09 10:09:58.5 +52.0°   0.00%
 (C2) : 2016/03/09 11:38:04.8 +71.6° 100.00% 
(MAX) : 2016/03/09 11:40:07.3 +72.0° 101.21%
 (C3) : 2016/03/09 11:42:10.2 +72.4° 100.00%
 (C4) : 2016/03/09 13:14:36.9 +74.6°   0.00%

ウォレアイ環礁の暮らし

島民は基本的にふんどし姿で、女性は腰に花柄の布を巻いているだけ。 男性はカヌーを使ってラグーンの沖で漁業を行っています。

ヤシの葉が織られたわらぶき屋根の家は、かなり伝統的。男女が住む家は、それぞれ別々になります。 島内の学校で女子がバスケット作りや織り物を学び、男子は伝統文化やカヌー作りをします。

ウォレアイ環礁 戦争の残骸 ウォレアイではWiFi通信でインターネットが出来るそうです。費用は5ドル程度と手頃な料金で使えます。 島の住民は家屋のほとんどに発電機を持っています。島にはビーチから物資を輸送するための車があります。 人々の多くはVHF無線機を所有し、そのチャンネルでTVを楽しみます。 コンセントは、日本と同じ型の差し込みプラグが使えます。 電圧が不安定なので、110V/60HZ~120V/60HZまで上がります。電化製品の電圧を確認の上、利用して下さい。

島にはキリスト教会がありますが、椅子はなく地べたに座ります。 イースターのお祭りでは、土曜日に飼っている豚を2頭ほど食肉にします。 タロイモ、パンノキ、ココナッツ、パパイヤ、バナナ、ドーナツとパンは、島の女性が準備していました。

お祭りでは、水中でのリレーレースもあります。 西洋のポップ音楽とハワイアンミュージックに、伝統的な歌と踊りがありました。

旧日本軍がこの地を占領していた経緯から、島のお年寄りや長老に日本語の話せる方がいます。 集落の外れに行くと、日本軍が残した戦車や砲台など戦争の残骸が放置されたまま残っています。

Cruising with Soggy Paws より一部抜粋して翻訳しました。

ウォレアイ環礁の衛星写真…青線が皆既中心線
ウォレアイ環礁の衛星写真…青線が皆既中心線  画像をクリックすると拡大されます


イファリク環礁のラグーンでカヌーに乗って遊ぶ子供たち
イファリク環礁のラグーンでカヌーに乗って遊ぶ子供たち


イファリク環礁の地理とDATA

NASAによるイファリク環礁の航空写真 イファリク環礁 (Ifalik Atoll) は、太平洋西部カロリン諸島の珊瑚環礁。
ミクロネシア連邦のヤップ州での議員選挙区を構成しています。

ウォレアイ環礁の東40km、ヤップ島から南東700kmの位置にあります。 人口は2000年時点で561人、島の面積は1.5km²。 環礁を構成する主な島はそれぞれElla、Elangelap、Rawaii、Falalopと呼ばれています。 陸地全体での合計の面積は1.47km²ですが、環礁は深さ最大20m、面積2.43km²の礁湖があります。 環礁全体の面積は6km²。

欧州人の到来以前にイファリク環礁は戦士の島として知られ、 ヤップ州の島やチューク州の島に侵攻しました。 攻撃を受けた島はラモトレック、ファラウレップ、ウォレアイ、エラート、サタワル、ウルシー、プルワット等。

イファリク環礁の漁具 服装は男性も女性も伝統的な腰巻だけで、人々は島に着く前に着ているTシャツとかを脱ぎます。 車やバイクやモーターボートなども、島に持ち込むことは許されていません。 ラジカセ、発電機、電話といった電化製品がなくて、例外は学校にある太陽電池で動くビデオセットです。

コンクリートの建物は、学校や教会に限られています。 ヤップの社会というのは、首長制でチーフの権力が強いです。 チーフの意向でなかなか開発が進まないという側面がありました。 住民の中には、もっと便利な生活をしたいという人たちもいます。 チーフがかなり高齢ですので、そういう人たちが亡くなったら、急激に開発が進むと言われています。 イファリク環礁のアウトリガーカヌー

イファリク環礁も男女別々に暮らしています。 女性がタロイモ園で食物を準備しているか、幼児を気にかけているか、 家でヤシの葉で編んだバスケット織っています。 男性は干潟で釣りをするか、カヌーを製造するか、ものを修繕するか、子供たちを見ています。 女性は男性のカヌー・ハウスに決して入らないし、男性は女性の家に決して入らない生活です。

Ifalik Atoll (イファリク環礁北部)
  7° 15´ 37.1"  N       △T=68.2s
144° 26´ 52.7"  E 
Magnitude at maximum     : 1.01243%
Moon/Sun size ratio      : 1.04472
total solar eclipse : 3m 40.9s

Event       Date Time (WIT)    Alt    Partial
 (C1) : 2016/03/09 10:10:56.1 +52.7°   0.00%
 (C2) : 2016/03/09 11:39:31.4 +72.3° 100.00% 
(MAX) : 2016/03/09 11:41:21.7 +72.7° 101.24%
 (C3) : 2016/03/09 11:43:12.3 +72.4° 100.00%
 (C4) : 2016/03/09 13:15:49.8 +74.6°   0.00%

イファリク環礁の衛星写真とDATA
イファリク環礁の衛星写真とDATA


NASAによるエアウリピク環礁の写真
オリマラオ環礁のラグーン


オリマラオ環礁の地理とDATA

オリマラオ環礁で獲れたイセエビ オリマラオ環礁 (Olimarao Atoll) は、は太平洋北西部カロリン諸島の環礁。 ミクロネシア連邦のヤップ州に属する無人の環礁で、島の陸地面積は0.2km²。 エラート環礁の北西35km程の位置にあり、ヤップ島の南東860km程の位置にあります。 礁湖も含めた環礁の面積は11km²ほどで、長さは5km、幅は3kmほど。 礁湖は6km²ほどの面積で、南部に2箇所の外部と接続する水道があります。

2個の小島があり、合計の面積は0.2km²ほど。オリマラオ島が環礁北東端にあり、大きめの島です。 もう一島は、環礁南西端のファリピ島(Falipi Island)で面積は2.4haと小さめの島です。 両方の島にココヤシが生えているほか、クサトベラなどの低木植物も生育します。

環礁全体がオリマラオ保全地区の一部となっていて、地域は海亀やヤシガニ、 海鳥などの繁殖地として保護されています。

イファリク環礁の漁具 皆既帯が通過する環礁のうち、オリマラオ環礁だけが無人島です。 なので、ここにはヤップ州の離島をまわる州政府の連絡船が着岸しません。 しかしながらオリマラオ環礁は無人島なので長老や村長に挨拶する必要もなく、 Council of Tamol (COT) という離島の自治体が構成する協議会から許可を得られればそのまま滞在できます。

但し電源などはなく、夜間は沖に泊めてある船で寝泊まりした方が良いでしょう。 この船もヤップ島からチャーター出来れば良いのですが、このサイトではチャーター船の情報がありません。

ここは皆既帯の南限界線に近いので、 皆既時の太陽高度が74度と高くても皆既日食継続時間は短いのが難点です。 それでも環礁南西端のファリピ島よりは、皆既日食継続時間が2秒ほど長くなります。

ミクロネシア連邦で見られる皆既日食のうち、島の陸地で見られるところはオリマラオ環礁が最後になります。 皆既帯の陸地で見ても、最後の陸地となります。ちなみに正午中心食へ最も地理的に近いのがオリマラオ環礁です。 この環礁の近くに無人島のウェストファユ環礁がありますが、惜しくも皆既帯から外れています。 ウェストファユ環礁の島からだと、最大食分は99.959%の部分日食となります。

Olimarao Atoll (オリマラオ環礁北部)
  7° 42´ 21.0"  N       △T=68.2s
145° 52´ 57.6"  E 
Magnitude at maximum     : 1.00251%
Moon/Sun size ratio      : 1.04472
total solar eclipse : 1m 54.0s

Event       Date Time (WIT)    Alt    Partial
 (C1) : 2016/03/09 10:14:36.8 +54.8°   0.00%
 (C2) : 2016/03/09 11:44:51.3 +74.0° 100.00% 
(MAX) : 2016/03/09 11:45:48.2 +74.1° 100.25%
 (C3) : 2016/03/09 11:46:45.3 +74.3° 100.00%
 (C4) : 2016/03/09 13:20:03.8 +72.1°   0.00%

オリマラオ環礁全体の衛星写真とDATA
オリマラオ環礁全体の衛星写真とDATA  Xavier Jubierより抜粋

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