(1)出発まで 皆既日食を追いかけ続ける私にとって、ヨーロッパは初めて足を踏み入れる所。当地では1961.2.15以来と言う事で、約38年振りの皆既日食が見られました。1999.8.11の皆既日食は、皆既帯の半分以上が陸地を通る超豪華なモノで、カナダ・ノバスコシア半島沖〜 インドのベンガル湾で終了。日本から北海道歌志内市に匹敵する現地への民族大移動がありました。 |
ヨーロッパ皆既日食帯地図 |
|
今までの観測経験から皆既帯正午中心食付近の晴れる確率が高い事に気が付きました。暑い中東を避け、曇る確率が高いと予想される西欧も避けました。結局、黒海沿岸の涼しい地方で観測したかったので、ブルガリア北部で観測するツアーに決めました。この皆既日食の一周期前に、皆既日食を伴う部分日食を日本で見ました。18年前の1981.7.31です。樺太の北部で皆既となり、北日本ではかなり欠けました。あの頃は中二の夏休みで、青森県弘前市で観測しました。 |
75%欠けた弘前の部分日食(イメージ) |
|
煤を付けたガラス越しに最大で75%も欠けた太陽が見え、若干空が青く濃くなったような気がしました。皆既の一周期はサロス周期と言いますが、このサロスの将来は2017.8.21米国で、2035.9.2は日本を横断する皆既日食が見られます。有志が集まって日食観測報告書を書いていますが、反響を聞いた事がないので、これでいいのかと思いながら成田空港のロビーの椅子に座っていたら、隣の荷物の持ち主がやってきました。 |
成田空港施設 |
|
(2)Sさんとの出会い 日通の住所札を付けていたので、もしやと思い聞いてみたら、同じツアーでコースも一緒でした。ところが、隣の方ももしやと思ったらしく、「あの〜もしかして佐山さんですか?」と言う。とても驚いた!『私の名前を知っているんですか?』「いや、日食観測報告書で佐山さんの文を読んでとても参考になったものですから。掲載されていた写真と同じ方だったので。」こんな偶然で、同じ趣味の方と出会うこと自体珍しい。旅行中はこの人と一緒に行動しよう。お名前はSさん。 |
モスクワ行きのアエロフロート |
|
過去に91年ハワイと、95年タイに行かれたそうで、タイでは私と同じ阪急交通社で観測地も同じでしたが、300人もいたので分かりませんToTツアーに何度も参加すると、過去の知らない時に同じ場所で観測して、今頃知り合うケースが多いです。昼頃にアエロフロートで成田〜モスクワへ行き2泊。2年ぶりのロシアですが、前回は極寒のシベリア平原だったので、大都市に感激。トロリーバスなど日本ではあまり見かけない物もあります。 |
モスクワ空港 |
|
(3)モスクワ裏事情 ちなみにモスクワで1999年7月に青森県のみちのく銀行が出資したモスクワ支店が日本の銀行としては初めて開業し、日本大使館が第一号の口座を作りました。 翌日はバスで市内観光。有名な赤の広場では帽子にバッジを付けた売り子がやってきて、いろんな物を売りつけてきました。更に驚いた事は、赤の広場に通ずる地下道の入口でホームレスの母娘がルーブルを皆にねだってきました!同情するなら金をくれと言う事か。 |
モスクワ・赤の広場 |
|
でもここに来るまでに給料3ヶ月分の費用がかかったし、私も金が欲しい立場です。1998年に大リーグで66本のホームランを打ったサミー・ソーサは、ドミニカのスラム街出身。幼かった頃の彼は、靴磨きをしながら家計の一部を支えたと某特番で知りました。彼女たちにその気はあるのかな?確か1998年の夏、ルーブルが通貨切り下げで紙屑同然になったのだから、同情の余地はあります。でもそれだけでは生きていけないので、ロシア人には底力を出して国内景気を復興させて欲しいです。ついでに北方領土も返還して。 |
マトリョーシカ型のキオスク |
|
(4)ミール管制塔を見学 午後からはスペースコントロールセンターに行きました。所長さんから「これから宇宙ステーションミールの管制室へ行きます」と聞き、付いて行くと驚きました。 二階建ての吹き抜けで一階が管制塔です。前方の世界地図はロシア領を大きく囲むように線が引かれています。線の内側でミールからの電波を受け取るようです。ツアー客のシャッター音が静まると、管制塔は緊張感に包まれました。交信が始まったらしい。館長から別の広間に案内されます。そこはミールの映像が見られて、元TBS秋山さんの姿もありました。天文ファンにはたまらないツアーです。 |
ミール管制塔 |
|
ミール受信電波エリアの説明 |
ミールの説明(左側が館長、右側が通訳) |
|
2泊したモスクワのホテル銀河 |
ホテル銀河のフロア |
|
モスクワの路面電車 |
モスクワのファーストフード店 |
|
モスクワの煙草屋 |
モスクワの雑貨店 |