南国の環礁で見た薄雲越しの「黒い太陽」3
もくせい
皆既日食帯へ

ハオ島への便名表示10日はハオ島へ移動する日である。タヒチ島に24時間滞在していない状態での移動だが、皆既日食の時間帯に到着してリハーサルを行う必要があったので、どうしてもこの時間帯に移動してハオ島に移動する必要があった。

2時30分のモーニングコールの前に、私のセットした目覚まし時計が鳴り出して起きてしまった。身支度を整えた上で、3時ごろロビーに下りてみると、結構な人がすでにロビーにいた。ロビーの片隅には体重計が置いてあり、最後
ハオ島への飛行機の最後ということで、再度機内預け及び手荷物の重量をチェックした。我々のツアーの中で、ハオ島で観測するのは88名(他30人は飛行機から観測)であるが、プロペラ機に対して人数が多いために2便に分けて移動した。

私は同室のマサさんと共に、タヒチ発4時50分の便で移動した。座席は自由席なので、私は後方から向かって右側の最前列、マサさんはその反対の左側に座った。しばらくするとプロペラが動き出し、飛行機は無事離陸した。

日食前日の月飛行機内の座席には、エア・ヌイ・タヒチの冊子があり、めくると今回の日食の記事(成田‐タヒチ間とは異なる種類)があったので、水平飛行に入った頃にリュックの中に入れた。

しばらくすると、マサさんの左側の席から朝焼けの中に月が見え始めた。日食前日の細い月なので、カメラを取り出して夢中で撮影を行った。その後の日の出もマサさんの席にお邪魔して撮影をした。日が昇ってくるにつれて、雲が浮かんだ南の海が次第に見えてきた。

マロカウ環礁とラヴァヘレ環礁珊瑚礁で形成されたマロカウ環礁とラヴァヘレ環礁も見えてきたので、夢中で撮影を行った(月や日の出の撮影は左側の座席が有利であったが、最後のハオ島の撮影は右側の座席が有利であった)。

7時少し前になると細長い島の一部が見えてきた。目指すハオ島である。次第に高度を下げると、幅が約300mと細い環礁の様子が次第にはっきり見えてきた。7時10分ごろ、飛行機は無事ハオ島の空港に着陸した。

マロカウ環礁とラヴァヘレ環礁ミジンコのような環礁のハオ島

このツアーの観測場所であるフレンチポリネシアのツアモツ諸島に属するハオ島は、サンゴ礁で形成された環礁の島である。衛星写真でみると幅が細い形状をしており、我々は「ミジンコ島」と呼んだ。このミジンコ島は東西43km、南北40kmの大きさがあり、人口は約1,300人、市役所・診療所・学校などがあり、周辺の島々の中心的存在の島である。

空港や宿泊施設となる学校があるため、我々以外にもアメリカ隊60名、イギリス隊120名、台湾隊20名などが入島していた(イギリス隊は空港近くでテント泊)。日本隊は本ツアーの88名、阪急の大阪支店が募集した20名、和歌山大学のライブ中継チームが入島していた。
ポリネシアンダンス空港では女性市長に歓迎され、ポリネシアンダンスも披露されていた。タヒチ5時発の後発部隊も到着しており、ダンスの切れ目をみて観測場所のMFR(Maison Familiale Rurale:私立農業中学)に移動するため、市が用意したバスに乗り込んだ。ちなみにハオ島内でバスは市のバス2台のみしかなく、ガソリンは時折来る船によって運ばれているそうである。

バスは7時半に無事MFRへ到着。現地ではMFRスタッフ、数日前から島に入って準備していたPTSの方、天体写真家の塩田さんが我々の到着を待っていた。早速割り当てられた部屋に荷物を置き、機材の組み立てを開始した。皆既日食と同じ時間帯(8時40分頃)に望遠鏡を太陽に向けて動作テストを行う必要が
MFR(前庭)あったため、急いで行った。

何とか皆既日食の起こる時間帯に望遠鏡の組立が終わり、先発隊が設けた南北線に沿って望遠鏡をセットした。テストの結果、sky90は特に問題なかったが、魚眼レンズは、赤道儀のどの場所にセットしても鏡筒が視野に入ってしまうことが判明。リハーサルの必要を改めて認識した。何か水平な台になるものを確保して、その上にカメラをセットするしか無いと思った。先に機材のセッティングを行っていた塩田さんは学校の机・椅子などを借りていたので、私も何とか机などを確保すれば何とかなると思った。その塩田さん、今回の日食Tシャツを着ており、うらやましいと思った。本人によると市街地のお店で売っているそうである。(但し、Lサイズは売り切れている。)

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