南国の環礁で見た薄雲越しの「黒い太陽」1
もくせい
プロローグ

濃い雲に入った太陽 雲の流れは決して単純ではなかった。南太平洋ポリネシアのさんご礁の環礁という土地柄、および、風が強かったので、雲は発生しまいと思ったが、次から次へと発生しては細くなった太陽の前を横切っていった。

太陽はどんどん細くなっていき、遂に濃い雲に入ってしまった。無常にカウントダウンが続き、その向こうで細くなった太陽は消えてしまった
。2010年7月11日(現地時間)8時41分であった。その瞬間、歓声と悲鳴?が沸き起こった。

今回の皆既日食帯地図今回の皆既日食について

今回の皆既日食の概要を述べる。

一目見て分かるのは、皆既帯がほとんど陸地にかかっていないことである。最大継続時間が5分程度であるが、付近に大きな陸地が無いので、勿体無いことである。

地球全体から見ると南米しか陸地にかかっていないように見えるが、よく見るとクック諸島のマンガイヤ島、フレンチポリネシア、モアイで有名なイースター島が皆既帯に入っていた。

タヒチ沖の皆既日食帯地図これに18年と10日で日食・月食が起こるサロス周期に当てはめると、この皆既日食の1サロス前は1992年6月30日のウルグアイ沖で見られたもので、今回同様ほとんど陸地にかかっていないものであった。

このサロスの次回の日食は、2028年7月22日にあり、オーストラリアを横切っている。エアーズロックも皆既日食帯に入っており、今から楽しみである。


戦の地は?

今世紀最大の皆既日食と騒がれた去年7月22日の皆既日食と比べて、今回の日食は日本から遠く離れていること、費用も高額(一時期、100万円程度といううわさも出ていた)になることからツアーの発表はなかなか出なかった。それでも去年11月ごろからツアーの発表が徐々に始められた。イースター島も考えたが、高額になることや、安く済ませようとした場合、弾丸ツアーになってしまうことから、躊躇せざるを得なかった。結局、私は友人のマサさんから紹介されたフランス領ポリネシアにあるハオ島で観測するPTSのツアーの参加を考え始めた。

サイト管理者が撮影した青島の日没金環日食しかしながら、この時点では1月15日に中国・青島で見られる日没金環の遠征も考えていた。時期が時期だけに1泊2日の弾丸ツアーが出ないものかと思っていた矢先、マサさんから該当のツアーの紹介があった。考え抜いた上に、青島の日食がいけない場合は、本気でハオ島への遠征をしようと思った(無論、両方ともに行ければ良いのですが…)。年が明けて1月、やはり仕事は地獄の状態であった。やむなく青島は1週間前にキャンセル。この結果、本気でハオ島への遠征を徐々に考え始めた。

問題はお金であった(時期的に会社の夏休みの時であったので、休暇については特に心配していなかった)。去年の遠征直後であるが、今後のこともあるので家の蓄えは崩せない。去年9月あたりから鬼のように仕事をしていたので、その残業代のみで遠征代を作ろうと思った。結局、家の蓄えには一切手をつけることなく、お金が用意できた(つまり、残業もすごかった)ので、3月に都内で行われた説明会に参加、正式にこのツアーで遠征しようと決心した。

今回のツアー概要

旅 程月 日行 程宿泊地
1日目7月  9日(金)昼 成田→(日付変更線)→早朝タヒチ島
パペーテ滞在(自由行動)
パペーテ
2日目7月10日(土)未明 タヒチ島→ハオ島
午前中 日食観測リハーサル(自由行動)
ハオ島
3日目7月11日(日)午前中 皆既日食観測
午後 ハオ島→タヒチ島
パペーテ
4日目7月12日(月)パペーテ滞在(自由行動)パペーテ
5日目7月13日(火)深夜 タヒチ島→機内泊
6日目7月14日(水)(日付変更線)→朝 成田

重量の壁

6月末にオプショナル代を含めた残りのお金を振り込んで、機材の用意を始めた。
日食のたびごとに必ず撮影はしているが、今回も去年同様、望遠鏡(sky90)による直焦点撮影及び魚眼レンズによる本影錐の撮影を計画した。特に魚眼レンズのほうは去年の場合、レンズの外枠を外していなかったために完全に成功したとは言えなかったので、今回は何とかして成功させたいと思った。

赤道儀のモータードライブの動作チェックを終えた後に、スーツケースの梱包を開始したが、今回のツアーの場合、重量が大きな問題として立ちはだかった。観測場所であるハオ島までは、チャーター機で成田からタヒチ島経由で移動する。このため、この区間は機内預け荷物の重量は通常より重い30kg、手荷物は10kgだったために特に問題は無かった。問題はタヒチからハオへの移動である。機内預けは25kgであったが、手荷物はたったの3kg!であった。実際に3kgを計算するとカメラのボディー2台とレンズ数本で規定に到達してしまうほどだった
(拡大解釈して機内預けを20kgとする代わりに、手荷物を8kgに変更することは無理と航空会社からPTSに連絡があったそうである)

このために普段は手荷物とするsky90を機内預けとするために、梱包はエアーキャップ(通称プチプチ)を2重に巻いてスーツケースに入れるなど厳重に行った。重量を少しでも削るために着替えも現地で洗濯することにして、必要最低限とした。また機材のほうも双眼鏡やカメラ三脚は諦めざるを得なかった。

さらに手荷物(リュック)以外としてウエストバックを用意、なんとか重量制限にかからないように工夫した。

このようにして機材の梱包は、出発前日の8日の夕方には終了した。その後は、パスポートの有無をかみさん(同行はできませんでしたが)と何度も確認した。


いざ、出発

8日の晩は、お酒を飲んで11時過ぎに眠りについた。思ったよりも簡単に寝付くことができた。それでも9日の3時過ぎには目を覚ましてしまった。目覚ましは4時にセットしていたために、それまでは目をつぶって時間になるまで待つことにした。4時なると起きだして、身支度や、パスポートや現金の有無の最終チェックを行った。かみさんに高崎駅の改札まで見送ってもらい、高崎駅出発の朝一番の上野行き(5時10分)で移動を開始した。

最初はガラガラに空いていた電車内も徐々に混み始めた。埼玉県内に入ると次第に、立っている人も出始めた。初めは起きていたが、大宮を過ぎたころから次第に眠くなっていき、気がついたときは上野駅に着いていた。上野公園を通って、京成上野駅まで移動した(本当は、不忍口からの方が近いが、公園口から出てしまった)。京成線も思ったよりも混んでいて、8時30分過ぎに無事に成田空港第2ターミナル駅に到着した。

集合カウンターその後は徒歩やエスカレータを乗り継いで集合場所に向かった。集合時間は9時30分であったが、集合場所が具体的にどこなのか確かめる必要があった。集合場所と指定された北団体カウンター1番にはすでにそれらしい人がすでに集まっていた。ここで友人のアマゾンさんや高校の後輩のS条氏、すこし遅れてマサさんとも合流した。それと前後して今回のツアーではハオ島に上陸して観測する以外に、チャーター機で観測するコースもあり、それに参加される村山先生も到着されていた。

TN777便9時30分頃に行きの航空券を含めた案内を受け取って、10時10分からオリエンテーションを行うが、それまで各自で機内預けの手荷物の手続きを行うよう指示された。その後マサさんに付き合って頂き、現地の通貨であるパシフックフランの両替をした。オリエンテーションも10時40分過ぎに終了したが、搭乗開始が11時20分なので各自急ぎ足で出国手続きを行った。

搭乗開始時間が予定より10分遅れ、出発も当初予定の12時から少し遅れたが、我々の乗ったTN777便は無事成田空港を飛び立ち一路タヒチ島のファアア国際空港に向かった。
TN777便の機内食
飛行機内の座席には、エア・ヌイ・タヒチの冊子があり、めくると今回の日食の記事(文書のみ)があったので、これも日食グッツになると思い、リュックの中に入れた。機内食が出た後は、とにかく目をつぶって、少しでも体を休めることにした。

しかしながら、出発時と到着時(飛行時間11時間)の機内食のみでは空腹には勝てず、機内後方のギャレーからミニのカップラーメン、おにぎり、サンドイッチなどを受け取って食べた。
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