Keietsu Sayama
|
(20)バザールに移動 火焔山・ペゼクリク千仏洞を後にして、これから吐魯番のバザール(市場)まで行きます。バザールに行く途中別のホテルにあるレストランに入ります。レストランなどでのグループ割りと言うものは特に無いのですが、だいたい集まる人は決まってきます。仲間うちで参加された方は仲間同士で集まるし、一人で参加された方はA班かB班のグループに紛れています。私は日食掲示板の常連さんと一緒の席で食べました。海からかなり遠い地方なのに、珍しく魚料理が出ました。誰も手を付けなかったので、隣のazulさんが代表して一人で食べました。 |
|
昼食後、バスは吐魯番のバザールに着きました。ガイドの胡さんが旗を上に挙げてツアー客を誘導します。 屋内は何とか凌げる暑さなのですが、直射日光を浴びる屋外は足が焼けるほどの熱さです。その中で売り子が販売しているのですから、世界一熱さに強い民族かと思うほどです。気温は摂氏42℃。観測地と全く同じ気温です。中国では40℃を超える気温でヒトを働かせてはならない…と言う法律があるそうです。それで気象庁も40℃は超えない温度で各地の気温を発表しています。 実際、体温より高い気温なのですから、これで熱中症にかからない方が不思議です。 |
ここのバザールを見ただけで、多民族国家・中華人民共和国の縮図が見られます。まず多数を占めるウィグル族、ロシア系のカザフ族などが目に付きます。 カザフ族はお隣のカザフスタンが拠点ですが、漢族やウィグル族に対して顔の彫が深く白人系の白い皮膚をしています。ここから西の大都市カシュガルは、ウィグル族が人口の80%を占めています。カザフ族も5%ほどいます。皆さん冷房が効かない屋内でよく料理を作っています。近くの履物屋でサンダルが15元で売っていました。観測地を右往左往していたこともあって、履いてきたサンダルが壊れたままだったので早速買って履きました。 |
|
右の写真を見て、ギョッとする方もいると思います。 これは家畜が賭殺された直後で、死後硬直のため堅くて食べられません。そのためしばらく放っておいて肉が柔らかくなるのを待って熟成させています。よく観察すると血が滴り落ちていないので、もうすぐ食べ頃の肉だと思います。日本ではスーパーなどで、発泡スチロールのトレーに入った衛生的な肉が売られています。それしか肉を見たことがない方にとってはショッキングな写真だと思います。他には、香辛料や氷砂糖などを売っている店が目立ちました。また、カシュガル絨毯を並べて売っている店もありました。ここは全て個人経営の店です。 |
|
暑さで腹が結構やられています。市場にはトイレが無いので我慢して下さい…と事前に言われたのですが限界を超えてしまったのでツアーの説明が聞こえる範囲内でトイレを探しました。市場の奥に電化製品売り場があります。恐らく市場からは若干外れていると思います。そこの2階が入口で3階が冷房の効いている電化製品売り場でした。そこの奥にトイレがあります。用を済ませてツアー客と合流しました。それにしてもバイクのクラクションが鳴り響いたり、話し声や騒音があったりしてすごく活気が溢れるバザールでした。一昨年訪れたリビアのトリポリにあったスーク(市場)では、もう少し静かでした。カザフ族だけを見ていると、トリポリのスークに見間違うほど中東系の雰囲気が漂います。 | |
(21)ぶどう畑へ 吐魯番のバザールを後にして、バスはぶどう畑に向かいます。ここで一休みしてぶどう畑を見たい人は行けばいいし、休みたい方は休んでもいいので休むことにしました。60人は余裕で入るような休憩所に案内されると、お茶とスイカとハミ瓜と干した果物が出てきました。 休憩所には干した果物を売っていたので、ブドウを干したものを買いました。袋一杯に入った干しブドウが一袋50元だそうで、半分の量の25元で買いました。これが売っているものの中で一番高いものです。味も濃厚で、腹具合の悪いヒトに効くとのことで大事に保管しています。横の画像は袋をつぶしてスキャナしたものです。 そろそろバスに戻ろうとして熱かったのでアイスを買おうとしたら、吉木薩爾で売っていたアイスと同じものが3元で売られています。アホらしいので、一番安く売っていた2元のアイスを買いました。既に干しブドウを買っているのに日本語で「ホシブドウカッテカッテ…」とか売り子が言ってくるし…(>_<) |
|
(22)烏魯木斉へ 吐魯番から烏魯木斉まで移動します。明日の出発が込むので、今のうちに移動します。烏魯木斉に向かう途中 、天山山脈を越えなければならないので山肌に迫る崖を堪能出来ました。中国では右側通行なので、右側に座っていたマサ様にビデオカメラを渡して映像を撮ってもらいます。3時間近く走行して烏魯木斉市街に到着。烏魯木斉のバザールにも寄ります。客が来るまで冷房と照明は点けていなかったようで、我々が入店すると急に照明が点いて冷房が効きはじめました。店員の動きもまるでネジを巻いたようにキビキビしていました(>_<) |
|
ここは高速道路の路肩にあるような不潔なトイレはなく、水洗で綺麗なトイレでした。5階まであがって街の風景を眺望します。3階には鹿の剥製が飾られていました。その脇には様々なものが焼酎に浸けられています。鹿の角もあるし、高麗人参もありました。2階は更に込み合っています。そこの一番奥でなにやら聞き覚えのある曲が…行ってみると、ちょうどカシュガル民謡らしき曲をラワブで弾き終わった後でした。なぜか日本語が非常に堪能な漢民族の店員がいて、各種弦楽器を弾いていました。手のひらサイズに納まるような弦楽器もありましたが、結局何も買わずに出てきました。 | |
(23)締めの挨拶 少し日が陰ってきた頃、烏魯木斉のホテルへ到着しました。夕飯をレストランで食べると言うことで、いつものスタイルで着後すぐ席に着きました。まず最初に冷房が当たる場所を優先して探します。あらかじめ用意してあったのか、次々と食べきれない量の料理が運ばれてきます。これを日々の糧で食べられたら、何日持つのか分かりません。中国では桃が名産とのことで、テントにいた女性スタッフが我々に持ってきて下さいました。スーツを着ていたので、観測地のテントで箸を持ってきて下さった方とはまるで別人でした。 |
|
その後、添乗員の伊藤さんから企画者として挨拶をお願いされました。「一年半も前からユーラシア旅行社と綿密な計画を立て、今回のツアー催行に企画者として参加させていただきました。皆様、今回は残念な結果となってしまい申し訳ありませんでした。でも無事にツアーが終わることとなり、これもひとえに添乗員の伊藤さんと中村さん、現地ガイドの方々が協力して下さらなかったら実現しなかった話です。皆様、是非彼らに盛大な拍手をお願いします。」その後、日食情報センターの石井 馨 氏にも同様に挨拶していただきました。皆様、御協力いただきましてありがとうございましたm(_ _)m | |