炎天下の皆既日食・移動編
炎天下の皆既日食・移動編
Keietsu Sayama
(7)巴里坤湖と烽火台
巴里坤に近づくと、何やら巨大な半ピラミッド状態の構築物が見えてきました。これは烽火台と言って敵が攻めて来たときの連絡網に使われています。一人以上の番人がいて、遠くから見えるように見晴らしの良い道路脇に建てられました。何かあった時は、煙を上空に向かって流していたそうです。見張り役の番人が連絡して、また次の烽火台から煙が出ます。
今では携帯電話一つで何でもコトが済みます。それらのツールが何も無かった時代、烽火台が重要な連絡網となりました。

天山山脈の青空と烽火台
烽火台からそう遠くないところに巴里坤湖が見えます。湖岸近くの道路にバスを停め、自然の空気を吸いに行きます。Google Earthでは素晴らしく青い湖が見えたのですが、湖岸にいては普通の景色と変わりません。遠目に住居らしき建物を見ながらバスは巴里坤市街へと入っていきます。
ちなみに、ここ巴里坤は巴里坤県に属しています。中国の県は日本の市と同じ規模で、日本の県は中国の地方または地区にあたります。なので、巴里坤県は非常に小さな県です。巴里坤市街に入るとすぐ、企画段階では宿泊する予定だった巴里坤賓館が見えてきます。

巴里坤湖
街の中心部がメインストリート一本なので、日本で言うと人口5万人未満の都市にあたるような街の作りですね。
何をトチ狂ったのか、運転手が道を間違えました。警察が観測地まで先導するそうなので、携帯電話からそちらに行くと言うような連絡がされていました。15分ほど無駄道を走った挙句、やっと合流できました。警察に先導されながら、バスは観測地へと向かいます。
途中、三塘湖の集落が見えました。巴里坤よりも小規模で、数店の商店と建物しかなかったです。三塘湖に外国人は泊まれないのですが、招待所には泊まることが出来ます。でも部屋の中は粗悪な作りで、ベッドしかなくトイレも共同です。招待所はあまり清潔でなく、お湯も出ないことから日本の方だと我慢できないレベルです(>_<)

巴里坤市街を撮影
道中、三回も検問所がありました。最初の検問所で、あらかじめパスポートのコピーを送って連絡しておいたヒトが乗っているのかどうかの確認と手荷物をここで開けるよう指示されました。ここで従わないと観測地に入れないので、皆さん協力して下さいました。

三塘湖を過ぎたあたりから舗装された道が砂利道となりました。普段通行止めにされていて、一般人が入ることが出来ない地域に行くので舗装されない砂利道しかないのでしょう。数km間隔で警備の軍関係者が道端に立っていました。

山肌が見事な天山山脈
(8)ついに観測地へ
砂利道に入ってから辺りが薄暗くなってきました。ちょうど皆既日食が見られるシチュエーションと似たような状況です。我々は夕飯を外で食べる時間も無く、予想外の遅れでバスは延々と走って行きます。薄明がだんだん薄れて完全な闇が訪れました。車はライトを付けながら走って行きます。
道中はあまりにも退屈なので少し寝ては覚め、またまどろんでは覚め…これを繰り返してすきっ腹も極限状態になった深夜、やっとバスは観測地に到着しました。

山に沈む夕焼け
観測地は当然真っ暗で何も見えなかったのですが、食事を作っているテントに誘導されて先に夕食(夜食!?)を食べました。蛍光灯の光が照らす中、水と食事が運ばれました。簡易テーブルにお風呂で使うような洗面器と椅子がありました。ここで風呂に入るワケにはいかないのに、さしずめお風呂セットが出てきたようで結構笑いました。洗面器の中に食事が入っていて、それを各自で摘まんで食べるといったスタイルです。肉などは出ず油で揚げた野菜などが出てきて、正直あまり口に合うような食べものは無かったです。この食事が観測地に居る間、延々と続きました。
巴里坤から三塘湖までの道
(9)闇夜の星空
真夜中に着いたので、荷物をテントに誘導されて運んでから闇夜の星空を楽しみました。天の川がハッキリと肉眼で見えて、時には流星も流れます。空は晴れていて綺麗すぎるほどの星空…さすがに普段、一般人が立ち入られない場所での観測は一味違います。ここで二晩明かすのは我々のツアーだけです。日食情報センターの石井馨さんは、GPSで観測地の位置を確認して現地の日食予報を計算していました。ろくに寝ていないのにお疲れ様です。私もあまり眠られなかったので、星空観測もそこそこに翌朝に備えて寝ましたzzz

モンゴルまであと80km
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