涼しい休憩用のテントに居ました。昼食を採っても熱すぎて、その場から離れられなかったです。そうこうしているうちに日陰が日向になって背もたれの柱に日光が当たります。どんどん奥に移動して涼を求めました。半袖半ズボンだったので、水を腕や足にかけて放射冷却で涼みました。これで多少四肢は洗えたでしょうか?ここに居た方が涼が得られるので、死ぬほど熱いテントから次々と食堂に使っているテントへヒトが集まりました。我々は前日から陣取っているので第一接触の瞬間までノンビリと待機していれば良かったのですが、午後4時過ぎ頃からバスが大挙して観測地にやってきました。 | |
この辺で皆既中心線に近い場所は、軍から指定されたこの場所しか無かったのです。中心線で長い皆既日食を見るツアーは、殆どこちらの観測地の近くまでやってきました。検問や観測地まで来るまでが大変なのは、 昨日の夕方で良く分かっていました。それを観測当日の移動でやると、道中はかなり待たされることになるので機材のセットが間に合わない場合があります。彼らは日食が終わると、その足で帰ってしまいます。砂漠の恩恵とも言える日没のグリーンフラッシュや江戸時代の星空を見ないで割高なホテルに戻るワケです。この辺は、どのツアーを選ぶかによって価値観が違ってくるでしょう。 |
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(11)北京時間と新疆時間 午後5時半…第一接触まであと30分と言うところで、やっと重い腰をあげて観測場所の選定に取りかかりました。太陽は真西に沈むので、本影錐の撮影に邪魔とならないよう一番西の道路脇で観測しました。近くの小高い丘には、軍人が銃を持ってこちらを監視しています。軍人は撮影禁止なので、文章だけに留めておきます。元々モンゴル国境付近は一般人が入られない軍の管轄となっています。決められた場所を越えて逃亡するようなら、銃口を向けられて一巻の終わりです。我々が観測地の一番奥に陣取っていたので、一番北に近い地域 |
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…つまりエリア内の北西で観測しました。気温は常に計測出来るよう、温度計を首からぶら下げていたのでラクに確認出来ました。直射日光を浴びた温度計は、午後6時近いのにも関わらず42℃となっていました。実際には北京時間に合わせた時刻表示なので、午後4時頃の太陽です。新疆時間では、北京時間から2時間遅らせて生活している方が多いです。特にこの地方に多いウィグル人がその時間を使っています。ヒトとの待ち合わせで新疆時間と北京時間を区別なく使うと、大変なことになります。ニュースでも新疆のウィグル人が…と報道されていますが、元々住んでいたのはウィグル人です。 | |
ウィグル人にしてみれば漢民族が勝手にやってきて、「ここは中国にとって新しい領土だから、新疆と名づけよう」とされ家も高級な生活も盗られてしまい、敵以外の何者でもないと思います。実際に生活が潤っているのは漢民族、貧しい生活はウィグル人…となってしまったので、東トルキスタン独立運動の影響で各地にテロが起きたと思います。観測が終わってから一週間もすれば、中国初のオリンピックが始まります。東トルキスタンは、トルコの東と言う意味。イスラム教も哈密まで普及していて市街にはモスクが見られます。住民の半数はウイグル | |
族が占めていて、他に漢族、カザフ族、回族、モンゴル族、満族など多くの民族が住んでいます。中華人民共和国成立以後、漢族の流入が多くなっています。この地区の北西部には漢族と回族が多く、南西部にウイグル族が多いです。南西部のカシュガルは、人口の80%がウィグル人なので、彼らの姿が目によく付きます。 後述しますが、カシュガル民謡と言うのも彼ら独特の節回しで演奏しています。これは聞いていて非常に心地よく、カシュガルの牧歌的な風景が思い浮かべます。もしテロなどが起こらなければ、皆既日食観測を抜きにしてでも行ってみたい場所の一つです。 |
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(12)ピンポイントに曇られたコロナ 観測地の気温は、42℃から食分90%になると36℃まで下がっていました。この間、本影錐用の撮影機材2台が動作せず悪戦苦闘していました。拡大撮影用のカメラで皆既日食の瞬間を迎えるしかない状況となりました。それなのに欠けた太陽は、午後から水蒸気のせいで発生する日食雲に覆われはじめました。何とか雲が抜けることを祈りながら写真を撮り続けていたのですが、ついに雲の向こうで皆既日食がはじまりました。企画者として、1年半も前から綿密な計画を立てた結果がこれか… |
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…コロナが見られることを主目的としたので、本影錐の写真も失敗しました。何とかピントを合わせようと雲間のコロナを狙って500mmF8でピントを合わせてから2倍のテレコンバーターを付ける予定が、雲間からダイヤモンドリングが現れました。何としても皆既日食を見た証を残したい一心で最後の気力を絞りながら撮影しました。現像された結果は、どうだったでしょうか? ファインダー越しに、ベイリービーズが数珠のように連なっている様子が確認出来ました。初めて生でコロナを見ることが出来なかったので、茫然自失でした。 |
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それと同時に企画者として私を信用して参加された皆様に申し訳ない気持ちで一杯となり、この場から逃げ出したくなりました。冷静に考えるとバスで逃げるしか道がなかったので、それは諦めて抜け殻状態のまま部分日食を撮影していました。早く部分日食も終わればいいとさえ思っていました。テントに機材一式を置いて、食堂に使っているテントへ向かいます。皆さん残念そうな表情です。それでもデジカメを持っている方がプロミネンスとダイヤモンドリングを皆さんに見せていたので、改めてダイヤモンドリングを確認したと同時に安堵感で一杯になりました。 | |
デジカメは結果がすぐ出て、失敗作は消すことが出来ます。でも大気の空気感とコロナやダイヤモンドリングのコントラストを微細に表現するには銀塩FILMが一番なので、これからも使い続けることにします。抜け殻なので夕食もそこそこに切り上げて、熱さにやられたのでテントの脇でゴザを敷いて横になりました。薄明の空を眺めながら、そのまま宙を見つめています。やがて天文薄明となり、明るい星々が見えてきました。その近くには熱中症になって吐いてしまい、テントから動けない方も横になって寝ていました。 |
☆皆既日食観測履歴 皆既日食の地域名称 場所と地域 天候 撮影 ◎1988. 3.18 小笠原沖 皆既日食 (東アジア・父島南東沖) 晴れ 眼視 ○1991. 7.11 メキシコ 皆既日食 (北米・カリフォルニア半島)快晴 失敗 ×1992. 1. 4 アメリカ 金環日食 (北米・ロサンゼルス沖) 曇 不可 ○1994.11. 3 チ リ 皆既日食 (南米・チリ北部) 薄曇 失敗 ○1995.10.24 タ イ 皆既日食 (東南アジア・タイ東部) 快晴 成功 ○1997. 3. 9 シベリア 皆既日食 (北アジア・シルカ郊外) 快晴 成功 ○1998. 2.26 ベネズエラ皆既日食 (南米・ベネズエラ西部) 快晴 普通 ○1999. 8.11 ブルガリア皆既日食 (ヨーロッパ・黒海近郊) 快晴 失敗 ○2001. 6.21 ザンビア 皆既日食 (アフリカ・首都ルサカ) 快晴 成功 ◎2002.12. 4 オーストラリア皆既 (オセアニア・豪州南部) 快晴 普通 △2005. 4. 8 パナマ金環皆既日食 (中米・パナマ西部の街) 薄曇 普通 ○2006. 3.29 リビア 皆既日食 (アフリカ・サハラ砂漠) 快晴 失敗 〓2008. 8. 1 巴里坤 皆既日食 (中国・巴里坤県国境近く) 薄雲 失敗 ○…第一接触〜第四接触まで観測 ◎…第一接触〜第三接触まで観測 ×…観測不可 〓…コロナの瞬間曇り △…食分70%前後は薄雲越しに観測可能 撮影の成功基準は雑誌に掲載されるようなレベルの写真 |