炎天下の皆既日食・哈密編
炎天下の皆既日食・哈密編
Keietsu Sayama
(13)観測地を後にする
あれから深夜まで寝ていました。雄大な星空を寝ながら見上げる素晴らしい時間を堪能していました。さすがに寒くなってきたので、自分のテントに戻って寝ましたzzz 翌朝、既に昇ってしまった太陽の光を感じながら荷物の整理をして外へ出ました。青空トイレを済まし、同室のマサ様にペットボトルの水を持ってもらいながら頭を洗いました。少しさっぱりとして荷物をバスに入れてから朝食を済ませました。皆さん昨日の暑さで参っている方が多く、腹を壊している方も何人かいました。小高い丘には相変わらず軍の監視員が頑張って見張っています。

モンゴル国境周辺の風景
こちらも監視員の様子を見ていたら、一時間おきくらいに交替して見張っているようです。監視員はまだ20代そこそこで、体力がありそうな若者でした。我々のようなロートルがやろうとしても、熱さにやられてしまい体力的に無理なシゴトです(>_<)
相変わらず油っこい野菜の炒め物などは食えなかったので、ピーナッツとお菓子、それに八戸の方から戴いたライチで腹を満たしました。
やっと灼熱の観測地を離れ、バスは哈密に向かって南下します。観測地に行ったのが夜中だったので、日中の光景は初めてに近いものがありました。

崖のような険しい斜面
行きと同じく観測地周辺の砂煙はすさまじいものがあります。ある程度砂煙が収まったら、今度は険しい崖が見えてきました。やがて舗装された道路を進み、更に険しい崖の側でバスが停まりました。もう一つの目的である岩石採集のためです。以前、日食掲示板に書き込みされたazulさんの意見を取り入れて適当な場所で珍しい石を探すのです。azulさんは嬉しそうに岩石を見ていました。私も石を検分したのですが、あまり目ぼしい石が無かったので白くて輝いている石を中心に集めました。
これをフィルムケースにしまう際に、女性の参加者から質問されたので白い石を一個差し上げました。

白い石を採掘
(14)天北北路から南路へ
舗装路が延々と続き、再びバスは巴里坤市街へ。ここで先導されたパトカーと別れ、哈密に向かいます。天山山脈の崖を縦断する道から通るので、険しい山道を通過しました。より天山山脈に近づいたので、雪の頂を撮影します。真夏でも雪が溶け残っています。この雪が地中に流れ、地下水となって砂漠の各地にオアシスを作ります。真冬は吹雪になるので、一面真っ白になるそうです。道路沿いには上に赤い矢印が見えています。これは地吹雪になった時に道路の位置が分かるようにするために設置されています。私の故郷、青森県の弘前市

天山山脈・雪の頂
から津軽平野の郊外に出ると真冬は下から雪が舞い上がってきます。ここにも地面の上に赤い矢印が設置されているので、田舎の道路と同じだな…と思いました。
山肌は多少黒味を帯びています。天山山脈では、石炭が圧倒的に多く取れます。道端にはトラックの荷物からこぼれた石炭が落ちています。また銅と採掘量は少ないのですが、金も取れます。金がある鉱脈は銀も取れるので、銀もあります。トラックの荷物が日本とはケタ外れで、乗せられる限界一杯まで乗せています。そのため一回バランスを崩して路肩に落ちたら最後、ひっくり返っているトラックの姿を何度も見ました。狭い日本なら

哈密まで118km
JAFを呼べますが、ここは中国。なかなか救援の車が来なくて炎天下の中、ひたすら横転した車の横で待機しているヒトの姿が見られました。やがて繁華街が見えてきました。都会らしい光景になったら、ここはもう哈密。バスの油が足りなくなったので、給油します。読み方は分からないのですが、中国では軽油を軽柴油と呼ぶんだそうです。1リットルあたり5元です。日本円に換算すると、1リットルあたり80円となります。原油高騰の中、まだまだ元の通貨は安いです。このあたりでは、ハミ瓜が名産だそうです。一方、南西部のカシュガルではカシュガル瓜と呼ばれています。地方によって瓜の呼び名
バスは軽柴油で
が違います。哈密は漢民族が多いので、瓜と言えばハミ瓜が一般的です。哈密の中心街を通り、哈密博物館へ入ります。ここは土日閉まっているのですが、土曜日の今日は特別に開館してもらいました。中を撮影することが出来ないので、博物館の外観だけを撮ります。哈密は熱く、素足でコンクリート地面を歩くとヤケドします。卵を地面に落とすと半熟卵が出来るくらいです。哈密博物館は一部冷房が効いているので、その場から離れられませんでした。博物館の片隅に新聞が落ちていました。これは昨日の新聞です。これから皆既日食が見られるので、簡単な観測DATAが載っていました。
ハミ瓜…スイカのような堅さでメロン味
(15)新聞入手の手違い
A班のバスに中村さん、B班のバスは伊藤さんが添乗していました。中村さんは明後日顔を出すとのことで一旦別行動となりました。現地ガイドの胡さんが、一人で添乗員並みに頑張ってこの地域を案内します。自分がこのツアーの企画者をやっていますと伝えてから何となく仲良くなりました。特に添乗員が伝えなかったので、知らなかったそうです。中村さんが座っていた座席に座り旅の進行と計画を胡さんと話しました。皆既日食の翌日は必ずコロナが一面に掲載された新聞が出るので、巴里坤県と烏魯木斉で販売されている新聞を調べます。

哈密名産のハミ瓜
哈密博物館を出てから昼食を取ったのですが、既に新聞は買われていました。A班のバスに置かれていたので見てみると、哈密博物館の椅子の上に置かれていた昨日の新聞と同じ内容でした。次に寄った哈密王墓で添乗員の伊藤さんに聞いたところ、この辺の新聞は土日休みで金曜日に土日分をまとめて出しているそうです。昨日のコロナが映った新聞は月曜日まで買えないことが分かりました。月曜日と言えば、烏魯木斉を出発して帰国の途に着く日です。そんな日にコロナが映った新聞が発行されても買いに行けません。
哈密博物館
「コロナが映っていなければ、これは只の資料になってしまいますよ。皆さん、コロナが映った新聞を見たいんですから…」『もう買ってしまいましたので、この新聞でお願いして戴けませんか?』まぁ確かに新聞を注文したしそこで売られているのが土日版も含めた今日の新聞と言うことであれば仕方ないのですが…

コロナが映っている新聞を買いたいと事前にメールで中村さんに伝えておいたはずだし更に新聞を買う予定があるので、この轍を踏まないように「コロナが確実に映った新聞をお願いします。」…と伝えました。多分忙しくてコロナが映っている新聞を入手する(発行日はともかく、とりあえず今日発行されている新聞を入手する…と思ったのか)ことまで手が回らなかったのかも。または中村さんからの指示が伝わっていなかったと思います。

昨日発行された哈密日報 クリックで拡大
中村さんを含めた他のスタッフは巴里坤日報を入手中とのことで、コロナが映っていない新聞は買わなくても良いですよ…と伝えておきました。ところが巴里坤日報は先月潰れてしまい、哈密日報に吸収合併されていました。残りの烏魯木斉で売られている新聞を胡さんの会社の方が調べて下さったのですが、全てコロナの写真が一面に掲載されているとのこと。迷わず必要な人数分を買って戴くことにしました。新聞代は実費で元立てで買います。これは明日皆さんに配るそうなので、費用もそこで支払います。観測地でコロナを見られなかったので、どんな形のコロナが見られたのでしょうか?
コロナが見られた観測地から
(16)哈密郵便局と哈密王墓
哈密王墓へ行く前に哈密で一番大きな郵便局に寄ります。これもツアー企画の際、事前に出しておいた要望です。ここでは郵便局が郵政となっていました。日食関連の記念切手が売られていると思ったら、特にそのようなものは売っていないとのこと。北京オリンピックの関連グッズなら売っていました。デザインは北朝鮮政府が好んで使うような感じだったので、買わずにパスしました。やがて全員がバスに乗り、哈密王墓へ向かいます。
哈密王墓は一人あたり20元です。56人全員が入るので、団体割引が効いたのでしょうか?

哈密郵便局外観
「哈密王墓」は「回王墓」とも呼ばれ、敷地の中には歴代ウイグル族の王と一族の石棺が納められた廟があります。またエイティガール寺院と呼ばれるモスクがあり、礼拝室の中には赤い柱がずらっと並んで立っていました。館内は撮影禁止ですが、まるで西遊記に出てくる建物のようでした。玄関に書かれていた文字はアラビア文字です。これもアラビア半島から遠い地方にあるので、全て模写で書かれたそうです。何だか模写と言うより、絵のように感じました。モスクの中は結構涼しかったので、ヒトがいなくなるまで結構粘っていました。直射日光がきつくて乾燥しているので、水で足を冷やしました。
哈密郵便局内観


哈密王墓建築物
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