オーストラリア砂嵐ツアー・前半


(1)アフリカかオーストラリアか
足掛け14年皆既日食を追い続ける私は、オーストラリアで皆既日食を観測しました。2002.12.4の皆既日食〔サロスbP42…22/72〕は、大西洋からインド洋を通過、オーストラリアで日没皆既となります。1サロス前の1984.11.22は、ニューギニア島からニューカレドニア沖を通過して南太平洋を横断しました。この皆既日食は、わずかに陸地にかかる程度の狭い範囲で見られました。
2002年12月4日の皆既日食帯地図
2002年12月4日の皆既日食帯地図
当時の天文ガイドに1ページほど記事と写真が掲載されただけで、マスコミが余り注目しなかった日食でもあります。次回1サロス後の2020.12.14は南米パタゴニアを正午中心線が通過。このサロスは南極から始まった部分日食が皆既日食へ成長し、北極の部分日食で終わるものです。これから皆既継続時間が長くなるので楽しみです。今回も観測地の選択に悩みました。調べたら雨季のアフリカでも皆既帯が通過する地帯では晴天率が高く、皆既継続時間も1分30秒弱ある南アフリカのクルーガ−国立公園内のShingwedzi Campへ カンタス航空
カンタス航空
行こうかと思っていました。しかしそちらで催行するツアー会社に申し込んだ方が1ケタ台で、参加人数が少ないと旅費が高くなる点に嫌気が差し、オーストラリアでも晴天率が高いと予報されている砂漠に行くツアーへ申し込みました。場所は南オーストラリア州の辺境地に近いLyndhurstです。西へ約50km行けばEdiacaraと言う街があり、こちらの方が観測地よりも皆既継続時間が4秒長いのですが、既にツアーで場所の発表をしているので場所の変更は無理でした。観測地の皆既継続時間はたった24秒!今までで一番短い皆既日食です。 シドニー付近の人造湖
シドニー付近の人造湖

☆私の日食観測履歴(金環日食以外は全て観測成功!)
◎1988.  3.18   小笠原沖 皆既日食 (東アジア・父島南東沖)  晴れ
○1991.  7.11   メキシコ 皆既日食 (北米・カリフォルニア半島)快晴
×1992.  1. 4   アメリカ 金環日食 (北米・ロサンゼルス沖)   曇
○1994.11. 3   チ リ  皆既日食 (南米・チリ北部)     薄曇
○1995.10.24   タ イ  皆既日食 (東南アジア・タイ東部)  快晴
○1997.  3. 9   シベリア 皆既日食 (北アジア・シルカ郊外)  快晴
○1998.  2.26   ベネズエラ皆既日食 (南米・ベネズエラ西部)  快晴
○1999.  8.11   ブルガリア皆既日食 (ヨーロッパ・黒海近郊)  快晴
○2001.  6.21   ザンビア 皆既日食 (アフリカ・首都ルサカ)  快晴
◎2002.12. 4   オーストラリア皆既 (オセアニア・豪州南部)  快晴
○…第一接触〜第四接触まで観測 ◎…第一接触〜第三接触まで観測 ×…観測不可能
(2)初めてのオーストラリア
皆既日食に限ってオーストラリア大陸を通過した情報を調べると、1976.10.23以来だそうで皆既帯が通過したメルボルンでは曇られたそうです。その2サロス後の2012.11.13には、再びオーストラリアのケアンズで2分7秒もの皆既日食が見られます。それ以降は2038.12.26までに6回も見られる特異点となり、まさに日食銀座の大陸となります。いずれ何回も踏みしめるであろう大陸に思いを馳せて日本を脱出します。
オーストラリアの常緑樹
オーストラリアの常緑樹
オーストラリアは日本と時差が殆ど変わらないので、飛行機に乗った分だけ時間が過ぎてシドニー到着は朝八時。アデレードまで一気に乗り継ぐので、再び飛行機に乗ります。二時間のフライト後、今度は現地手配の4WDツアーでクオルンに向かいます。スタッフ以外にも現地で募集した客がいて、我々は彼らと共に旅をします。日本人は中くらいのバスで、現地募集の客とスタッフは2台の小型バスで、計3台のバスが連なるワイルドな旅となりました。 レストランで食べたアイス
レストランで食べたアイス
(4)アデレードからクオルンまで
空港を去ったバスは、これから東京⇔仙台間もある距離を移動します。途中、PORT GERMEINに立ち寄り昼食。ここはアデレード湾の奥地ですが、海が近くて浜風がとても気持ちいい。屋根とイスだけの休憩場で、食事は4WDツアーのスタッフが用意します。パンに肉を挟んだ軽食で、オレンジジュースや果物付き。クオルンまでの道のりは、鉄路が発達して何度も踏切を通過します。一回踏み切りで停止信号が出ましたが、日本みたいに遮断機がないし、警報の音も静か♪
海沿いの街・PORT GERMEIN
海沿いの街・PORT GERMEIN
目の前を貨物列車が通ります。とても長く約1kmありました。道中は単調な風景。ここはサバンナ気候で高い木が無くまばらに草木が生えています。陽が沈みかけた頃、やっとクオルンに到着!早速シャワーを浴びて髭も剃ろうと思っていたら、30分後に夕食らしい。単独参加の方は性別に部屋を割り当てられ、カップルは近くのMOTELに案内されます。荷物を部屋に置いて早速夕食を…ここはカウンターバーとレストランが一緒になった店で、入口に18歳未満禁止と張り紙がありました。 オーストラリアの貨物列車
オーストラリアの貨物列車
I夫婦と一緒の席で談笑しましたが、食事を注文して2時間も経つのに運ばれてこない!?どうやら料理人が一人で格闘しているらしい。『酒が進んじゃうよ』と愚痴をこぼす人もいました。待ちくたびれた頃、各テーブルに料理が運ばれますが、最後に近い順番で人が食べるのを横目で見ながら、昨年のザンビアで撮影した皆既日食の写真を見てもらいました。I夫婦は昨年マダカスカルの皆既日食ツアーに参加したそうです。食事も終わり、部屋に戻ると既に22時を回っていますToT クオルン駅
クオルン駅
(5)クオルン〜砂漠の牧場
翌日、観測地近くの牧場へ出発!国道沿いは、まばらに草が生えているだけで単調な風景です。途中、HAWKARと言う町で昼食を取ります。スタッフが食事の準備を始めた頃、アボリジニの子供たちが塀越しで様子を窺いにきました。人なつっこい感じがしたので、借りたビデオカメラで撮ってみます。液晶ファインダーを彼らに向けると、最初驚いた様子で自分の姿が映っていると分かるとポーズをとってきます。軽食が出来たので彼らの姿を見ながら食べようと思ったら、もういません。子供のしつけは行き届いている感じでした。トイレに行く頃、子供達がいて『明日、日食が見えるよ』と言いながら、1998年にベネズエラで貰った日食グラスをあげました。

アボリジニの子供たち
その場を離れたバスは側道に入り、未舗装の砂利道を通過します。この辺りから砂漠気候となり、バスの後部座席からは砂煙が濛々と立っています。途中3回の鉄門をスタッフが開けて15時頃に到着しました。あまりにも悪路だったのか、皆さん疲れています。

これから観測地の下見に行くのでは4WDスタッフが食事の用意をする時間も無いと言うことで、今日予定された観測地の下見は中止することになりました(>_<)
4WDスタッフ
4WDスタッフ
(6)星降る夜に…
ここは、羊飼いが年に一度羊の毛を刈るために泊まる宿で、真夏は使われないので特別に我々の為に借りた宿です。観光目的にも使われないので、水は井戸か雨水を溜めたタンクしかありません。もちろん街灯なんか無いところです。そのため、夜になると地上に降ってくるような星が輝いていました☆彡湿度も低いので、大気の透明度が高い。1997年に見たシベリアほどではないけど、日本では見られない星空を堪能しました。
宿泊地の日没
宿泊地の日没
>eclipse gum 表
eclipse gum 表
eclipse gum 裏
eclipse gum 裏
eclipse gum 中身裏
eclipse gum 中身裏
eclipse gum 中身表
eclipse gum 中身表
たまたま売店で売られていたので買ったガムです。
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