弘前の和風建築 天守閣内部


築城前の弘前(ひろさき)は、高岡(鷹ヶ丘)と呼ばれていました。今の弘前公園は高台に位置していて、かつては鷹が多数生息するうっそうとした森でした。そこで鷹狩がされていたそうです。現在でも弘前市の町名には、鷹匠町と言う町が公園のすぐ側にあります。
藩政時代の初代藩主、津軽為信の頃には弘前と改められていました。為信は領内の開発を進め、慶長八年(1603)その高岡の地に注目し、その周辺に町割を実施、新城建築を計画しました。
弘前城は二代藩主信枚が慶長十六年(1611)に完成させました。ところが築城から16年後の寛永四年(1627)落雷により炎上して焼失しました。五層の大規模な城だったそうで、1998年に運行された弘前ねぷたにも弘前城炎上 満天姫が描かれました。現在の天守閣内部は史料館として公開されています。
建立当初の面影は、天守閣の角や天井に見られます。史料館となっているので床は緑のゴザが敷いていますが、それを剥がすと板張りの床が現れます。物見の窓からは、風が吹き抜けて気持ち良いです。
※駐車場/なし   ※ライトアップ有    ※開館時間/AM9:00〜PM5:00
※入場料/大人300円  子供100円  団体10名以上は2割引       毎年4月〜11月の第二日曜日のみ館内無料
※見学時間/館内9:00〜17:00(入園は16:30まで)/外観・内観撮影自由       本丸・植物園以外は無料公開
※住所 〒036-8356 弘前市下白銀町1 п@0172-33-8739            ※有料期間/4月1日〜11月23日



弘前城跡案内図(画面をクリックすると拡大画像が出ます)

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弘前城天守閣一階

大砲と薬箱

津軽家女儀御輿

馬印

武者落:天守閣の土台である亀石から昇ってくる敵の忍者と武者を槍と石で堀に落とす設備

武者落:亀石から昇ってくる忍者や武者を槍と石で堀に落とす設備

武者落の左角

火縄銃

兜・袴・具足

水桶

弘前城天守閣二階

火鉢

角行燈

陣笠


軒丸瓦

軒丸瓦

深鉢(鍋島焼)

菓子器

木造 不朱塗獅子頭

三階への階段

弘前城天守閣三階

三階階段出口(建立当時は周りの外側を囲う木材が無い)

天守閣内側:物見の窓がある

天守閣内側:物見の窓がある

天守閣天井:建立当時の面影が残る

天守閣軒丸

天守閣軒丸

物見窓から見た下乗橋

弘前城の模型(画面をクリックすると大きくなります)

弘前城本丸御殿(画面をクリックすると字が読めます)

弘前市・古地図(画面をクリックすると大きくなります)

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