弘前市内で撮影した藩政時代の町名が残る標柱を紹介します。


白銀町(しろがねちょう)
弘前城築城当初は片原町と呼ばれていましたが、慶安3年(1650)の町割り帳では、既に白銀町と改名しています。著名な鍔(つば)職人である正阿弥家をはじめ、金銀細工の職人が多く居住していたことから、名付けられたといわれ、明治に入って間もなく現在の上と下に分かれました。 …標柱より転載

白銀町周辺の標柱地図

白銀町標柱(NTT横向かいの広場に設置)

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