弘前市内で撮影した藩政時代の町名が残る標柱を紹介します。


新寺町(しんてらまち)
 慶安二年(一六四九)弘前城東方の寺院街の一画が焼失したのを機に、三代藩主信義は十五ヶ寺の寺院移築に着手、南溜池西方に新寺院街を作りました。以来この地を新寺町と呼ぶようになったものです。

新寺町周辺の標柱地図

新寺町標柱(新寺町交差点角の休憩所前に設置)

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