弘前市内で撮影した藩政時代の町名が残る標柱を紹介します。
笹森町
(ささもりちょう)
藩政初期の笹森町は、弘前の鬼門にまつる総鎮守「八幡宮」への表参道の町並みであったことから八幡町と呼ばれていました。慶安(一六四八〜一六五二)の頃になって「赤勘解由」の異名で呼ばれた有名な豪傑 篠森勘解由という武士が住んだことから「佐々森町通り徒町」二階堰から北は「篠森町下町」などと呼ばれるようになり元禄年間(一六八八〜一七〇四)になって笹森町と呼ぶようになりました。・・・・・標柱より転載
笹森町周辺の標柱地図
笹森町標柱(町内を横断する小川の近くに設置)
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