弘前市内で撮影した藩政時代の町名が残る標柱を紹介します。


桶屋町(おけやまち)
この地は、寛文十三年(一六七三)頃は、新派町(新しく分かれたの意味)として町割りされていますが、元禄十三年(一七〇〇)には既に桶屋町と呼ばれています。桶や樽などを作る職人が多く住んでいたことから桶屋町と名付けられたものです。実際に昭和30年代まで職人街で桶や樽が製造販売されていましたが、鍛冶町の繁栄で飲食・歓楽街に変わりました。

桶屋町周辺の標柱地図

桶屋町標柱(グリル要の前に設置)

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