弘前市内で撮影した藩政時代の町名が残る標柱を紹介します。
徒町
(おかちまち)
「徒町(おかちまち)」は藩政時代初期、現在の若党町に「歩ノ者町(かちのものまち)」として町割りされましたが、万治(まんじ)二年(1659)当地へ「御徒町(おかちのまち)」として新割りされました。その後、「御歩行町(おかちのまち)」や「徒町(おかちのまち)」「御徒町(おかちのまち)」などと変わり、明治になって「徒町(おかちまち)」となり、現在に至っています。…標柱より転載
徒町周辺の標柱地図
徒町標柱(徒橋の横に設置)
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