弘前市内で撮影した藩政時代の町名が残る標柱を紹介します。
禰宜町
(ねぎまち)
禰宜町は、神官が多く住んでいたことから名付けられました。弘前城築城とともに町割りが行われ、弘前総鎮守八幡宮の禰宜(神官)と別当最勝院の僧たちが多く住み、八幡宮参詣道としての門前町を形成していたところです。現在も、サワラ生垣が続く住宅街として、昔の面影を遺しています。 …標柱より転載
禰宜町周辺の標柱地図
禰宜町標柱(天理教支部前に設置)
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