弘前市内で撮影した藩政時代の町名が残る標柱を紹介します。


紺屋町(こんやまち)
弘前城築城当初から、ここは染物屋の町として町割りされ、百軒以上もの染物屋が建ち並んでいたところです。 当時、染物屋のことを「紺屋」と呼んでいたことから、この町名がつけられたといわれています。

紺屋町周辺の標柱地図

紺屋町標柱(旧病院前の角に設置)

御感想は津軽ごだく帳までお願い致します
写真・記事の無断使用禁止
戻る