弘前市内で撮影した藩政時代の町名が残る標柱を紹介します。


紙漉町(かみすきまち)
四代藩主信政治政下の貞享三年(1686)紙漉師 熊谷吉兵衛を弘前に招き紙漉に適した清水の湧くこの地に紙漉座を設け、各種の紙を漉いて、藩用にあてました。非常に良質の紙で幕府への献上品となったりしました。しかし、明治に至って衰退し、現在は町名に名残りをとどめるだけです。

紙漉町周辺の標柱地図

紙漉町標柱(文化幼稚園門に設置・生垣で見えず)

紙漉町標柱(富田の清水前に設置)

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