弘前市内で撮影した藩政時代の町名が残る標柱を紹介します。


鍛冶町(かじまち)
鍛冶職は、武士にとっての刀や鎧などを作る最も大切な職業で、合戦となれば最初に城内に引き入れたため、当初は近くの現在の覚仙町、本町付近に町割りされていました。しかし、平和が続いた江戸中期から武士用がすたれ、日用雑器、農工具を作るようになり、城からだんだん離れ現在の地となりました。

鍛冶町周辺の標柱地図

鍛冶町標柱(鍛冶町交差点角の薬屋横に設置)

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