弘前市内で撮影した藩政時代の町名が残る標柱を紹介します。


本町(ほんちょう)
藩政初期から鍛冶や銅屋の職人町で、特に津軽の著名な刀工が住んでいたことから、本鍛冶町の呼び名が生まれ、この略称から本町となりました。宝永二年(1705)の町割りで、大半が南門(現 追手門)に変わったため、やがて豪商が軒を並べる代表的な商人町になり、本町一丁目から五丁目と呼ばれました。

本町周辺の標柱地図

本町標柱(NTT前に設置)

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