弘前市内で撮影した藩政時代の町名が残る標柱を紹介します。


銅屋町(どうやまち)
築城当初は現在の本町付近に町割りされていましたが、城内の武家屋敷の郭外移転にともなって町替えされ、元禄九年(1696)にその形成をみたといわれています。日常生活用具の鍋、釜などを作っていた銅屋職人に由来して名付けられた町名です。(標柱転載)

銅屋町周辺の標柱地図

銅屋町標柱(線路沿いの通りに設置)

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