弘前市内で撮影した藩政時代の町名が残る標柱を紹介します。


土手町(どてまち)
 弘前城築城当初、東の方から城下に入るただひとつの通りでした。土淵川の西端にドテが造られていたことからドテ(土手)町と呼ばれるようになったといわれています。貞享二年(一六八五)参勤交代の通用道となり、商人町として発展したところです。・・標柱より転載

土手町周辺の標柱地図

土手町標柱(蓬莱橋広場の奥に設置)

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