弘前市内で撮影した藩政時代の町名が残る標柱を紹介します。


茶畑町(ちゃばたけちょう)
寛政十二年(1800)の弘前分間大絵図に武家屋敷が配置されており、町名は屋敷割がされる以前に、茶畑があったことに由来するといわれる。幕末に町割の変化が見られ、文久三年(1863)には、江戸で勤務していた武士を帰国させるために長屋が建設された。 …標柱より転載

茶畑町周辺の標柱地図

茶畑町標柱(Aコープの真裏に設置…なかなか探しづらい)

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