弘前市内で撮影した藩政時代の町名が残る標柱を紹介します。


新町(あらまち)
岩木川改修が行われる天和二年(一六八二)までは、岩木川水流によって出来た先達ヶ淵及び川原があり、山師や木場人足、造り酒屋などの住む商工業の町でした。山師や人足の気性の荒さ岩木川増水による木場の荒れから、荒町ー阿羅町と呼ばれました。また、羽州街道か参勤交代路となる寛文五年(一六六五)までは江戸往来の街道であったことから、南北の町並みは江戸町とも呼ばれました。・・・・・・標柱より転載

新町周辺の標柱地図

新町標柱(東奥信用金庫前に設置)

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