弘前市内で撮影した藩政時代の町名が残る標柱を紹介します。


百石町(ひゃっこくまち)
 慶長十六年(一六一一)弘前城築城当初の武士居住区の多くは、単に徒町と呼ばれ、当地もその一つでした。当時の百石町は現在の馬屋町の一部につけられた町名で、後に二百石町と改称されるにおよび当徒町は新たに百石町と名付けられ現在に至っているものです。(標柱より転載)

百石町周辺の標柱地図

百石町標柱(百石町展示館前に設置)

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