2017年 青森ねぶたまつり
2017年8月6日に運行されたねぶたを運行順に紹介します。青森市の青森県庁向かいで撮影しました。
当日は22台が運行されましたが、私が気に入っているねぶた師と受賞したねぶただけを掲載します。
市民ねぶた
東北電力
青森菱友会
青森市役所
日本通運㈱
パナソニック
日立連合
JRねぶた
に組・東芝
PTA連合会
ミスねぶた
サンロード青森
青森自衛隊
私たちねぶた
ヤマト運輸
ねぶた愛好会
アサヒビール
板金工業組合
青年会議所
マルハニチロ
NTTねぷた
青森山田学園
青森市民ねぶた実行委員会・ねぶた師 北村 麻子
ねぶた大賞・最優秀制作者賞【総合1位】
紅葉が美しいとある山中、高貴な風情の女が侍女を連れて紅葉を愛でようと宴を催していました。その酒席に鹿狩りの途中の平維茂の一行が通りかかります。維茂は道を避けようとするが、誘われるまま、宴に加わります。酒を勧められ、つい気を許した維茂は酔いつぶれ眠ってしまいます。
ちょうどその頃、八幡大菩薩の眷属、武内の神が信濃国戸隠山への道を急いでいました。維茂を籠絡した女は戸隠山の鬼神だったのです。
武内の神は維茂の夢に現れてそのことを告げ、八幡大菩薩からの下された神剣を維茂に授けました。
さて、夢から覚めた維茂の前には、鬼女が姿を現わし襲いかかってきます。維茂は勇敢に立ち向かい、激しい戦いの末にみごと神剣で鬼女を退治しました。
青森市民ねぶた実行委員会(提灯)
青森市民ねぶた実行委員会(のぼり)
紅葉狩
紅葉狩・送り絵
囃子方・太鼓
囃子方・太鼓
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東北電力ねぶた愛好会・ねぶた師 京野 和鴻
時は現在から900年程前の平安時代末期、藤原氏は、百年に渡って繁栄を極きわめ、平泉は平安京に次ぐ日本第二の都市となりました。
藤原秀衡は、平泉文化を大きく華ひらかせた人物で、清衡、基衡から受け継いだ平和な理想郷の意志と厚い信仰心を持ち、源平合戦の折には、平氏、後白河法皇、源氏のいずれにもつかず中立を保ち、陸奥(現在の青森、岩手、宮城、福島県)を守ってきました。
しかし、平氏を滅ぼして勢力を拡大してきた鎌倉の源頼朝が陸奥を手中にしようと狙ってきましたが、藤原秀衡は源頼朝の命令を忠実に実行するものの、もはや鎌倉との衝突を避けられないと考え、兄 頼朝と対立して追われた源義経を頼朝との関係が悪化する事を覚悟で受け容れました。
実質的な戦いには至らなかったものの、頼朝からの引渡要求を拒み続けた強い意志の持ち主であった、北方の王者「藤原秀衡」をねぶたで再現したものです。この東北を守り続けた藤原秀衡の姿に、地域の復興・発展の思いを重ね合わせ、第49回目の出陣をいたします。
東北電力ねぶた愛好会・提灯
美髯公 関羽 参上・鏡絵
美髯公 関羽 参上・送り絵
囃子方・太鼓
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青森菱友会・ねぶた師 竹浪 比呂夫
商工会議所会頭賞【総合4位】
陸奥国の民は遥か昔より馬を尊び、馬と生活を共にしてきた。なかでも青森県七戸町は今も昔も名馬の産地である。七戸立とは七戸産の馬のことを指す。
この呼称を一躍世に知らしめたのは、かの有名な「宇治川の先陣争い」で梶原源太景季を負かし、佐々木四郎高綱に先陣の功をもたらした天下一の名馬、生唼。
元より源頼朝の愛馬で、気性が荒く、馬でも人でも噛みついて傍に寄せないことからこの名が付けられた。
よく肥え逞しく大きな体躯を持ち、轟轟と荒れ狂う宇治川をものともせず一直線に渡り切ったと瞬く間に名が知れ渡ると、武士らは続々と七戸立を求めた。
七戸に住まう人々は更に、生唼のごとき野性味あふれる悍馬の調教に励み、いまなお数多くの名馬を輩出し続けている。良馬産出祈願を以て、馬頭観音の御加護を得た七戸立調馬図をここに顕す。
青森菱友会(町印)
七戸立
七戸立・送り絵
囃し方・太鼓
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青森市役所ねぶた実行委員会・ねぶた師 京野 和鴻
インド神話に、正義の神「阿修羅」と力の神「帝釈天」という神がおり、あるとき、阿修羅の娘シャチーを見て気に入った帝釈天は、力尽くで彼女を奪い、自分の宮殿に連れ去ってしまった。
このことが発端となり、娘を奪われた阿修羅は怒り、復讐に燃える悪鬼となって幾度となく帝釈天に戦いを挑んだ。このねぶたは、壮絶な戦いを繰り広げた場所、「修羅場」を再現したものである。
修羅場 阿修羅と帝釈天
修羅場 阿修羅と帝釈天
阿修羅・拡大
帝釈天・拡大
修羅場 阿修羅と帝釈天・送り絵
青森市役所・囃子方
青森市役所・囃子方
青森市役所・囃子方
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日本通運㈱ねぶた実行委員会・ねぶた師 林 広海
孫悟空は中国の古典小説「西遊記」の主人公である。 生きとし生ける物の生死に悲観し、不老不死を願い仙術を身につけて行く孫悟空は自らを斉天大聖と号し天界で大暴れするが、乱暴が過ぎて、お釈迦様に五行山の岩の下に閉じ込められてしまう。
それから五百年後。天竺にありがたいお経を取りに行く旅の途中の三蔵法師に助けられ、孫悟空は三蔵の弟子となり、取経の旅のお供をすることとなる。
途中、豚の化物 猪八戒や河童の沙悟浄らを供に加え、一行は遥か遠く天竺を目指すが、旅の先には様々な困難や恐ろしい妖怪たちが立ちはだかる。一行はそれらを次々に乗り越え、やっと無事天竺に辿りつくのである。 ねぶたはその旅の途中、返事をすると吸い込まれてしまう不思議なひょうたんを持つ妖怪金角・銀角大王と孫悟空が格闘する一場面。
ねぶた師の林広海は第五代ねぶた名人である千葉作龍の弟子であり、2017年のねぶたが大型ねぶたのデビュー作であった。日本通運ねぶた実行委員会は毎年8月3日から運行、前ねぶたは東北労働金庫を含む2体が出る。ハネトにたくさん参加してもらい三位一体で盛り上がることが目標である。
日本通運㈱ねぶた実行委員会(町印)
日本通運㈱ 囃し方・笛
斉天大聖孫悟空
斉天大聖孫悟空・送り絵 お釈迦様
囃し方・太鼓
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パナソニックねぶた会・ねぶた師 北村 蓮明
その昔、北の大地を舞台に繰り広げられた、民族と民族の激しい抗争があった。
美しい大自然に抱かれながら、のんびりと楽しく生活していたアイヌ民族にとり、そこはまさに自由の天地であった。大らかに生きていたアイヌが本州から渡来した和人を容認したのは、訪れる者を拒まぬという民族的な開放性であった。
しかし、いつしか勢力を増し始めた和人たちの横暴さが目立つようになり、アイヌたちの反感は次第に高まっていった。
1456年、和人の鍛冶屋がアイヌの少年を刺殺したことが発端となり、忍耐を重ねていたアイヌたちの怒りが爆発。酋長コシャマインをリーダーとして、和人に戦いを挑むことになる。それは、アイヌモシリ(人間の大地)から、和人を追放するための戦いであった。
青森パナソニックねぶた会(町印)
青森パナソニックねぶた会・提灯
酋長コシャマインの反乱
酋長コシャマインの反乱・送り絵
送り絵・拡大
送り絵・拡大
囃し方・太鼓
囃し方・笛
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日立連合ねぶた委員会・ねぶた師 北村 蓮明
市長賞・運行・跳人賞・囃子賞【総合3位】
昔、上北地方の吹越村のお宮に、大きな立派な権現さまが祭られていた。火事があると空を飛んで火事場へ行き、大きな布を羽ばたかせて、火を消し止めるのだという。
ある祭りの夜、田名部の三郎はお宮から、こっそり権現さまを盗み出していた。高い値で売りさばこうと小舟に積み込み函館を目指していると、突然空がまっ暗になり、大粒の雨が音をたてて降り始め海は大荒れ。慌てた三郎は権現さまの布の端をぎっしりつかんで離さない。
権現さまは三郎をぶら下さげたまま、ものすごい勢いで嵐の空へ舞い上がったのである。横浜村の近くへ来くると大きく宙返りをし、海のそばの大きな岩にふわりと下りると疲れた体を休めるように動かなくなった。
この時から吹越の権現さまは横浜村の八幡様さまに納められ、この村を火事から守っている。権現さまは、現在も横浜町の八幡神社に祀られている。
日立連合ねぶた委員会(町印)
吹越村の火消し権現
吹越村の火消し権現・送り絵
囃し方・太鼓
囃し方・笛
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JRねぶた実行プロジェクト・ねぶた師 竹浪 比呂夫
信貴山縁起絵巻 延喜加持の巻より
平安の世、延喜の帝は重い病に苦しんでいた。高僧たちが祈祷しても、癒える気配がない。 そんな折、大和(奈良県)の信貴山の僧で、強大な法力で不思議な術を行う命蓮に白羽の矢が立った。
勅使が参内を要求したが、ここにいても治せるので決して山は下りないと命蓮。 どうすれば帝の病が癒えたと分かるのかと尋ねると、「剣の護法という童子を遣わすので、夢や幻にでもその姿が見えたらそれが証拠とご承知ください。剣を編んで衣にしている護法童子です。」と答えた。
三日ほど後、夢現にいた帝はきらきらしたものを見た。 これが剣の護法だ、と思った矢先、気分は爽快、苦しさもなくなり、すっかり健康になった。
護国の聖具をまとい、悪鬼に対峙する護法童子。 輪宝を車輪のごとく回転させるその勇姿に、安全安心な交通網の発展を願い奉る。
JRねぶた実行プロジェクト(町印)
JR・巨大うちわ
剣の護法
剣の護法・送り絵
囃し方・太鼓
囃し方・太鼓
囃し方・手振り鉦
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に組 東芝・ねぶた師 北村 隆
観光コンベンション協会会長賞【総合5位】
獅子舞の頭をもっと大きくし、頭の後ろに大きな布をつけその中に大人の人が何人か入って、おおきな口をパクパクさせながら練り歩くのが権現様である。権現様は人々を病気や災難から救ってくれる神様である。
むかし、上北地方横浜の吹越村のお宮に、大きくてりっぱな権現様が祀られていた。 この吹越の権現様は、火事から村を守ってくれるという話であった。 火事があると、この権現様は空を飛んで火事場へ行き、火を消し止めるという。 そして吹越の権現様が火事を消しているところを見たという人が何人もいたという。 横浜に伝わる空飛ぶ権現様の話である。
火事の多かった江戸時代中期に町火消しが制度化され江戸の火消しの中核を担うようになっていった。町火消しの伊達男は羨望の的であった。 それが現代の消防の始まりである。
東芝・提灯
空飛ぶ権現様と火消
空飛ぶ権現様と火消・送り絵
囃し方・太鼓
太鼓の叩き手を真後ろから撮った
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青森市PTA連合会・ねぶた師 内山 龍星
源頼朝公は富士の巻狩りの際、家臣の仁田四郎忠常に富士の人穴検索を命じた。忠常は家来と共に人穴に入るが、中は狭くなかなか進むことができない。さらに真っ暗の中、足を濡らし歩いていくと、やがて大河の流れる広い場所へと辿り着いた。
大河は激流が逆巻き渡ることができず、対岸の岩頭に光が輝くと一緒に来た家来が急死し、そこへ官女の姿が現れた。
「ここは人間の来るところではない。誤って来るものは皆、命を落とす。お前もまぬがれない。」と言われ、恐れおののいた忠常だが官女の教えに従い刀を水中に投げ入れて帰ることができた。
仁田四郎忠常が富士の人穴で見た官女と思わしき姿は、富士の御神体「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」の神霊であった。
青森市PTA連合会・提灯
青森市PTA連合会・町印
仁田四郎 神霊を見る
囃し方・手振り鉦
囃し方・太鼓
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ミス青森ねぶた
ミスねぶた荒川千佳さん(左・弘前市21) ミスねぶたグランプリ山内蘭子さん(中・青森市22) ミスねぶた三潟愛子さん(右・青森市21)
青森ねぶた・提灯
ミスねぶた三潟愛子さん(左・青森市21) ミスねぶたグランプリ山内蘭子さん(中・青森市22) ミスねぶた荒川千佳さん(右・弘前市21)
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サンロード青森・ねぶた師 千葉 作龍
平安時代 源頼光は、上総の任を果たし京に戻る途中相模の国・足柄山中にさしかかったところ、俄に轟音と共に現れた若者と出会う。
若者は、名を「怪童丸」と云い、龍神と山姥の間に生まれ幼少の頃から山中の動物たちを従え、熊と相撲を取るなど怪力の持ち主であった。
頼光は、怪童丸を京に連れ帰り、「坂田公時」と名を与え家来とした。やがて、「公時」は「頼光四天王」の一人として数々の鬼神を退治するなど、武勇を挙げ童話「金太郎」のモデルとして現在も語り継がれる英雄である。
このねぶたの場面は、源頼光と公時が、足柄山中でまさに出会った場面である。
サンロード青森・提灯
源頼光・足柄山中に公時と出会う
源頼光・足柄山中に公時と出会う・送り絵
囃子方・太鼓
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青森自衛隊ねぶた協賛会・ねぶた師 有賀 義弘
古くから地震は地中の大きな鯰が荒れ騒いでいるせいだと信じられてきました。 鹿島神宮にある要石は大神の御座、磐座とも伝えられる霊石で、大神たちはこの要石を地中に深く差し込み大鯰の頭を押さえ地震を鎮めているといわれています。
また、鹿島神宮の主神として祀られていることから鹿島神とも呼ばれるタケミカズチは、日本神話にみえる神で、「雷神、武神、刀剣の神」近年では、スポーツの神として武道上達や勝利・成功のご利益があるとされています。
我々、青森駐屯地の隊員も地震鯰を押さえ込む鹿島神のように日本の平和と国民皆様を全力で守れる様に日本一精強な駐屯地を目指し、日々各種任務や訓練に邁進する思いを祈念します。
鹿島神と要石
鹿島神と要石
鹿島神と要石・送り絵
囃し方・太鼓
囃し方・手振り鉦
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私たちのねぶた自主製作実行委員会・ねぶた師 私たち一同
関ヶ原の合戦後、九州 天草・島原の農民たちは領主からの圧政に強く不満を感じていた。 時を同じくして禁教令の下、キリシタンたちも厳しく弾圧されていた。結果、3万7千人に上る農民とキリシタンが、領主と幕府を倒すため結集し、寛永14年(1637年)10月、島原・天草一揆が起こった。
その一揆集団をまとめるため、総大将として立てられたのが16才の少年 天草四郎である。 四郎は難病を治したり、海上を歩く等数々の奇跡を起こし、人々から『キリストの生まれ変わり』『神の使者』と考えられていた。
一揆勢は島原半島にある原城に籠城して幕府軍と戦い、初めは優勢だった。 しかし戦が長引くことによる籠城疲れ、仲間割れ、また幕府軍による兵糧攻めにも遭い、次第にその勢力を失っていった。
そして寛永15年2月28日、幕府軍12万4千人による総攻撃を受け、ついに原城は落城、一揆勢は全滅、天草四郎も本丸で討ち取られたとされる。
ねぶたの場面は、原城決戦の最後、天草四郎が仲間たちの魂の救済を願い、祈りを捧げる様子を表したものである。
私たちのねぶた自主製作実行委員会(町印)
天草四郎 昇天
天草四郎 昇天・送り絵
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ヤマト運輸ねぶた実行委員会・ねぶた師 北村 隆
知事賞・優秀制作者賞【総合2位】
むかし、坂上田村麻呂軍は藤崎町矢沢の森のあたりで突然蝦夷の棟・高丸に襲われた。田村麻呂は強弓をはなち、射殺したが今度は高丸の亡霊が襲い掛かった。
田村麻呂は太刀をぬき斬りつけると、亡霊はそばの沼へ落ちていった。沼はみるみる赤い血で染まったという。それからこの沼を『赤沼』と呼ぶようになったという。
田村麻呂は亡骸を近くの森に葬り、その上にお堂を建て矢を御神体として祀ったことから「矢沢」と呼ぶようになったという。この赤沼にはいつの頃からか大きな蟹が沼の主として棲むようになった。この大きな蟹は高丸の化身と噂されている。そして二つの沼を行ったり来たりしていた。
今も常盤村福舘の田んぼの真ん中には「赤沼」とそばには小さな祠が存在している。
ヤマト運輸ねぶた実行委員会(町印)
赤沼伝説
赤沼伝説・拡大
赤沼伝説・送り絵
囃子方・太鼓
囃子方・手振り鉦
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ねぶた愛好会・ねぶた師 諏訪 慎
中国、三国時代の豪勇、張飛は、桃園の誓い以来、関羽とともに劉備のもとでたたかう。馬超は漢中の張魯のもとに身を寄せていた。その頃、蜀の劉璋は劉備に攻められ、張魯に援軍を求めてきた。馬超が蜀の援軍として名乗りをあげ、戦場に駆けつけた。
馬超は「この馬超に恐れをなしたか」とののしった。その挑発に、張飛はがまんできず飛び出し、とうとう一騎打ちになった。二人の戦いは、まさに雲を呼び風を起こす竜虎の戦いであった。両軍はかたずをのんでなりゆきを見守ったが、二人の勝負はいっこうにつかず、日が沈んでも勝負はつかなかった。
張飛は「暗くては一騎打ちもできまい。この続きは明日まであずけた。」と言うが、馬超はかがり火をたかせて、あくまでも勝負をいどむ。かがり火の中で二人は戦いつづけた。とうとう劉備が中に入り、戦いは引き分けに終わった。 このねぶたは、三国志勇者たちの血闘の名場面である。
ねぶた愛好会・金魚ねぶた
三国志
三国志・拡大
三国志・拡大
囃子方・太鼓
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消防第二分団 アサヒビール・ねぶた師 立田 龍宝
源 義平は源 頼朝の兄で、武名の誉れの高い豪勇であることから「鎌倉の悪源太」と呼ばれる。
騙し討ちされた父義朝の無念をはらすため、京の都で平 清盛の命を狙うが、逆に捕らえられ介錯人の難波恒房を睨むと「雷になって汝をけり殺さん」と言い残し斬首されてしまうのである。
仁安二年七月七日、清盛一行が摂津国の名瀑布引の滝に詣でたところ、一天にわかに曇り、雷神となった悪源太義平が恒房を打ち殺しに現れる。京の都にも六波羅にも雷が落ち、多くの人々が命を失い、清盛は大般若経を僧に読経させ、義平の霊を鎮魂したのである。
消防第二分団 アサヒビール(町印)
布引の滝 悪源太義平
布引の滝 悪源太義平拡大
布引の滝 悪源太義平
布引の滝 悪源太義平・送り絵
布引の滝 悪源太義平・送り絵拡大
囃し方・太鼓
囃し方・手振り鉦
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青森県板金工業組合・ねぶた師 北村 蓮明
香川の五色台の青峰に、その昔、牛鬼という怪物が棲んでいた。 頭の上に牛のような角が生え、耳まで裂けた口には大きな牙と鋭い歯が並び、こうもりのような羽根を広げて自由に飛び回る奇怪な化物で、人や家畜を襲い村人たちを苦しめていた。
牛鬼退治を依頼された弓の名人、山田蔵人高清は山中をくまなく探し回ったが発見できない。 困果て、青峰の名刹根香寺に詣で、ご本尊の千手観音に祈願を続つづけると、満願の日の暁に、ついに牛鬼きが現われ、高清に襲いかかってきた。
これこそ観音さまのお導きと、念じながら弓を射ると矢やは見事に急所に命中、牛鬼を退治たいじすることができたのである。
青森県板金工業組合・町印
青森県板金工業組合・提灯
青森県板金工業組合のハネト
青峰山の牛鬼
青峰山の牛鬼 送り絵
囃し方・太鼓
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公益社団法人青森青年会議所・ねぶた師 立田 龍宝
毛受勝照は、安土桃山時代織田信長の筆頭家老、柴田勝家に仕えていた武将である。信長が本能寺の変で憤死したのち、柴田勝家と羽柴秀吉の両者は、信長の跡を継いで天下を取るべく賤ヶ岳にて合戦となった。最初は柴田陣営が優勢に戦を運んでいたが、羽柴陣営が徐々に盛り返し、次第に柴田陣営の敗色が濃厚になると、大将である勝家は形勢逆転の一手として自らが軍を率いて最後の決戦を挑もうとした。
その時、毛受勝照は主君の柴田勝家に対し「一旦退いて再び陣を立て直しましょう」と進言するやいなや、勝家軍の象徴である金色の馬印(騎標)を背負って自らが楯となり殿しんがりを務めて敵を引き付け、自身の討ち死にと引き代えに見事勝家を戦場から脱出させた。この主君を想う行動は柴田陣営、羽柴陣営両軍からの称賛を受けた。
運行五十回目という節目となる今年度は、先人たちの築き上げてきた誇りと伝統を胸に、率先して行動する英知と勇気と情熱に溢れた若人が、まちのため、ひとのためにどんな困難をも恐れず突き進んで行くという断固たる決意を込めたねぶたである。
青森青年会議所・提灯
忠魂勇往 毛受勝照
忠魂勇往 毛受勝照・送り絵
忠魂勇往 毛受勝照・送り絵拡大
囃し方・太鼓
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マルハニチロ侫武多会・ねぶた師 手塚 茂樹
岩見重太郎は、父の仇討ちのため旅に出たが道中負傷し、通りがかりの村人の家で介抱された。数日で回復し、村人も喜んだが、どこか笑顔に陰りがある。
問うと、山奥の神社の神様が、毎年若く美しい娘の家に白羽の矢を立て、そこに住む娘は箱に入れて捧げねばならないという。もし背けば、村には大きな災いが起きる。今年はこの家に矢が立ったので、準備の最中だというのだ。
重太郎は「神が人を犠牲にするものか!」と怒り、『神様』の正体を暴くべく、自らが娘の着物を被って箱に入った。村人たちはその箱を神社へと運び込む。
静寂な時が過ぎる中、フクロウの声と共に怪しい気配と異様なまでの生臭さを感じ取った。そっと蓋が開いた次の瞬間、被っていた着物が勢いよく剥ぎ取られた。
すかさず飛び出た重太郎の眼には、赤ら顔で鬼のように巨大な狒々が映った。奇声を上げながら襲い掛かってくる狒々に、重太郎は得意の剣術で立ち向かった。一進一退、長い激闘だった。
翌朝、狒々退治の知らせを聞いた村人たちは歓喜し、何度も何度も礼を述べていた。その声を背に、重太郎は本懐を遂げるべく、旅路を急ぐのであった。
大坂夏の陣、豊臣軍で真田幸村らと共に戦い名を馳せた武将、薄田隼人正兼相若かりし頃の武勇談である。
未知なるものへ恐れず挑み、巨悪を退治した重太郎の姿に、争いや災いの無い平和な世が永く続くことを祈り願う。
マルハニチロ侫武多会(町印)
岩見重太郎 狒々退治
岩見重太郎 狒々退治・送り絵
送り絵・ふくろう
囃し方・太鼓
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NTTグループねぶた・ねぶた師 北村 春一
優秀制作者賞
平安時代中期、天慶の乱にて無念の最期をとげた平将門の娘、五月姫は怨念を募らせ貴船の社に祈願をかけ、その満願の日、貴船の神より妖術を授かり、名を滝夜叉姫と改めた。
その後、がしゃ髑髏など数多の手下を駆り集め、天下に災いをなすようになった。そのため朝廷より勅命を受けた大宅太郎光圀は、陰陽の術を持って立ち向かい壮絶な戦いの末、滝夜叉姫を成敗した。天下に災いをもたらした滝夜叉姫であったが、死の間際には改心し平将門のもとに昇天したという。
ねぶたは滝夜叉姫が妖艶な遊女拡大の姿で現れ光圀を惑わそうとするが見破られ、妖術と陰陽術の激しい戦いとなる場面である。
NTTグループねぶた(町印)
妖術師 滝夜叉姫
妖術師 滝夜叉姫
大宅太郎光圀
妖術師 滝夜叉姫・送り絵
妖術師 滝夜叉姫・送り絵拡大
囃し方・太鼓
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青森山田学園・ねぶた師 北村 隆
長五郎は武蔵国の生まれで、ある時、小鳥を取りに山中に入ると廃墟となった寺があったので覗いてみたところ、何とその中には仁王や金剛神といった、神仏の姿をした妖怪たちが蠢いていた。
そこで長五郎は、やにわに着物を脱ぎ捨てて妖怪の中に飛び込み金剛神の妖怪へと組み付き、これを投げ飛ばしたところ、それに恐れをなしたのか、残る妖怪ともども姿を消してしまった。これ以降、長五郎は「金神」という渾名をつけられたという。
青森山田学園(町印)
金神長五郎 仁王と相撲をとる
金神長五郎 仁王と相撲をとる・送り絵
金神長五郎 仁王と相撲をとる・送り絵
囃子方・太鼓
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