2016年 青森ねぶたまつり
2016年8月6日に運行されたねぶたを運行順に紹介します。青森市の青森県庁向かいで撮影しました。
当日は22台が運行されましたが、私が気に入っているねぶた師と受賞したねぶただけを掲載します。
サンロード青森
市民ねぶた
日本通運㈱
東北電力
マルハニチロ
板金工業組合
JRねぶた
青森菱友会
NTTねぷた
青年会議所
PTA連合会
青森市役所
ねぶた愛好会
ヤマト運輸
青森自衛隊
青森山田学園
パナソニック
私たちねぶた
日立連合
に組・東芝
青森県庁
アサヒビール
サンロード青森・ねぶた師 千葉 作龍
天正十年(1582)六月二日未明。
「敵は本能寺にあり!」 織田信長の家臣、明智光秀による突然の謀反であった。
明智三羽鴉の一人安田作兵衛は、信長目掛け攻め入るが、信長の側近である森蘭丸の槍やりに阻はばまれる。(ねぶたの場面)
「もはやこれまで」と信長は寺に火を放ち自害して果てた。 時に、信長歳四十九、天下統一を目前にしての最期であった。
サンロード青森・提灯
本能寺炎上「森蘭丸と安田作兵衛」
本能寺炎上「森蘭丸と安田作兵衛」・送り絵
囃子方・太鼓
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青森市民ねぶた実行委員会・ねぶた師 北村 麻子
商工会議所会頭賞・優秀制作者賞【総合4位】
陰陽師とは、古代の日本に存在した呪術、占術「陰陽道」を用い、吉凶を占い幻を現し、時には呪いや鬼さいも操ったと言われています。
陰陽師が最も活躍したのが平安時代。その平安時代は平安とはうらはらに闇と迷信が支配し、怪異や天変地異、物の怪や怨霊が世を乱すと思われていた。
人々は神、鬼、精を「もの」と呼び恐れ、「もの」は人に取り付き、ある時は疫病を流行らせた。どこからともなく現れ、人々に不幸をもたらす妖怪変化。それらと戦い、あるいは前兆を読み、不浄を取り除くことが陰陽師の役割だった。人々は彼らを畏怖の念をもって「陰陽師」と呼んだ。
このねぶたは、陰陽師が霊符を用い、魑魅魍魎を退治している場面。
青森市民ねぶた実行委員会(町印)
陰陽師、妖怪退治
陰陽師、妖怪退治・送り絵
囃子方・太鼓
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日本通運㈱ねぶた実行委員会・ねぶた師 千葉 作龍
平安時代、魑魅魍魎の蠢うごめく京の都。
源頼光・四天王の一人 渡辺綱は羅生門に夜な夜な現れては人々を襲い恐れられていた茨木童子という鬼人の腕を切り落とした。
綱は鬼人の崇を鎮めるため七日間の物忌をしていると伯母に化身した茨木が訪ね来て鬼人の腕を見せろとせがむ。しぶる綱であったが仕方なく腕を取り出すや否や茨木は突然正体を現し腕を奪い取る。綱は愛刀・髭切丸を抜き切りかかるも茨木は屋根の破風を蹴破って天空の彼方へ飛び去った。
日本通運㈱ねぶた実行委員会(提灯)
日本通運㈱ねぶた実行委員会(町印)
茨木童子と渡辺綱
茨木童子と渡辺綱・送り絵
囃し方・太鼓
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東北電力ねぶた愛好会・ねぶた師 京野 和鴻
時は現在から900年程前の平安時代末期、藤原氏は、百年に渡って繁栄を極きわめ、平泉は平安京に次ぐ日本第二の都市となりました。
藤原秀衡は、平泉文化を大きく華ひらかせた人物で、清衡、基衡から受け継いだ平和な理想郷の意志と厚い信仰心を持ち、源平合戦の折には、平氏、後白河法皇、源氏のいずれにもつかず中立を保ち、陸奥(現在の青森、岩手、宮城、福島県)を守ってきました。
しかし、平氏を滅ぼして勢力を拡大してきた鎌倉の源頼朝が陸奥を手中にしようと狙ってきましたが、藤原秀衡は源頼朝の命令を忠実に実行するものの、もはや鎌倉との衝突を避けられないと考え、兄 頼朝と対立して追われた源義経を頼朝との関係が悪化する事を覚悟で受け容れました。
実質的な戦いには至らなかったものの、頼朝からの引渡要求を拒み続けた強い意志の持ち主であった、北方の王者「藤原秀衡」をねぶたで再現したものです。この東北を守り続けた藤原秀衡の姿に、地域の復興・発展の思いを重ね合わせ、第49回目の出陣をいたします。
東北電力ねぶた愛好会・提灯
北方の王者「藤原秀衡」・鏡絵
北方の王者「藤原秀衡」・送り絵
囃子方・太鼓
囃子方・摺鉦
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マルハニチロ侫武多会・ねぶた師 手塚 茂樹
昔々…兄の海幸彦から借りた釣針を無くした弟の山幸彦は、どうすることもできず困り果て、海岸に座り込んでいた。そこへ突如現れた塩椎神の教えにより、深海に住む大海の主、海神の宮を訪ねた。海神は大いに歓迎し、娘の豊玉毘売と結婚させ、山幸彦も時を忘れて日々を楽しんだ。
数年後、深いため息と共に悩みを打ち明けた山幸彦を見た海神は、全ての魚達を集めて調べることにした。すると、長い間喉の痛みを訴えていた大鯛から、例の釣針が出て来たのである。
鰐鮫に乗って地上へ帰る山幸彦に、海神は釣針と、潮の満干を司る霊力を持った『潮盈珠』と『潮乾珠』を授けた。釣針を返しに兄のもとへ戻った山幸彦だが、海幸彦は素直に受け取らず争いになる。
山幸彦は海神から貰った珠の効力で降参させ、その後は助け合い仲良く暮らしたのであった。
生命の源である、広大な海。最近は環境汚染が進みさまざまな弊害も起こっている。 この状態が続けば、やがて我々は海神の怒りに触れるであろう。 美しい海を、地球を未来に残すため、これからも自然の大切さを考えていきたい。
マルハニチロ侫武多会(町印)
海神と山幸彦
海神と山幸彦・送り絵
囃し方・太鼓
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青森県板金工業組合・ねぶた師 北村 蓮明
商工会議所会頭賞【総合4位】
左甚五郎は江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人で、生き物を彫ればそれに魂が宿り、夜な夜な歩き出すと言われる程の名人である。日光東照宮の『眠ねむり猫ねこ』、見ざる言わざる聞かざるの『三猿』や成相寺の『真向の龍』など、数多くの彫刻を残している。
「左」姓を名乗ったのは、”左利きだった為”や”腕の良さを妬まれ右腕を切り落とされた為”などの説がある。
ねぶたは、主君の姫を匿かくまっていたところ悪人に知られてしまうが、唐獅子からじしと龍が動き出して悪人を追い散らかしたという場面。
青森県板金工業組合・提灯
匠の奇人 左甚五郎
匠の奇人 左甚五郎・右側拡大
匠の奇人 左甚五郎・左側拡大
匠の奇人 左甚五郎 送り絵
匠の奇人 左甚五郎 送り絵
囃し方・太鼓
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JRねぶた実行プロジェクト・ねぶた師 竹浪 比呂夫
ねぶた大賞・最優秀制作者賞【総合1位】
時は平安。本州の北の果て、いまの青森県下北半島は艮の鬼門に当たり、悪鬼が住みついては害をなしていた。人々は困り果て、遠く京の都まで行っては、名のある武士に鬼退治を頼み込んだ。その願いに応えたのは、武勇の誉れ高き源頼義みなもとのよりよし。兵士たちを従え、東北へと進軍する。
鬼の住まう佐井(青森県佐井村)へやって来ると、頼義は海水で禊し、一心不乱に武運の神である八幡神へ加護を祈った。祈り続けること七日目。にわかに暗雲たちこめ、波は逆立ち翻り、突風が吹き荒ぶ。そこへ忽然と現れ襲いかかる悪鬼。身の毛もよだつ恐ろしい鬼の形相に苦戦を強いられる。
その時。一軍の前に顕あらわれたるは八幡神。青龍に護り導かれ、神馬にまたがると、神通力を宿した弓矢をすっと空へ引き放つ。するやいなや、邪気を祓はらう音が海に鳴り響き、雲を蹴散らすと、悪鬼を射貫いた。轟音をあげ落ち来る悪鬼。八幡神の助けを得、鬼退治をすること叶った。
頼義はこれに感謝し、神の箭やの根石(矢じり)がある場所に八幡神を祀ることとした。これが現在も佐井村に鎮座します箭根森八幡宮である。
神馬にまたがり、神変の弓矢を引き放ちて、まさにいま悪鬼を射落とす武神・八幡神の姿をねぶたに顕現す。
JRねぶた実行プロジェクト(町印)
箭根森八幡
箭根森八幡・送り絵
囃し方・太鼓
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青森菱友会・ねぶた師 竹浪 比呂夫
市長賞【総合3位】
水虎様というのは神様になった河童のことである。
その昔、青森県の西に広がる津軽平野は沼地が多く、子どもたちの水難事故が相次いで起こっていた。人々は河童が子どもたちを水に引きずり込んでいると信じていた。
江戸時代になり、弘前藩四代藩主、信政公の世。信政公は豊かな国作りをすべく、津軽平野を次々と新田開発をしていき、いまの五所川原市からつがる市木造のあたりが新田となった。この業績から、信政公は元禄年間(1688-1704)に大名七傑のひとりに数えられ、弘前藩の中興の英主とされる。
田んぼとともにそこに住む人々も増え、津軽平野の新田地帯には百三十以上の新しい村が出来た。人口が多くなり、残された沼地や用水堰、小川の多いところでは、水難事故も増加の一途をたどった。これを河童の仕業として恐れた人々は、河童を鎮めるために神格を与え、「水虎様」という水難除けの神様として祀ることにした。水虎様信仰はつがる市木造の実相寺から始まったとされるが、津軽平野の水辺や道端、あちらこちらに水虎様はいまも祀られている。
河童といえば相撲好きな妖怪として知られるが、信政公も大の相撲好きで観戦のため城の敷地内に相撲場を造ってしまうほどであった。そして相撲は日本のずっと昔から、神様に感謝を捧げる神事である。軍配を握る行司は信政公。邪気を払う四股を踏み、はっけよいと相撲を取るのは水虎様。津軽平野の五穀豊穣そして水難防止を祈願する大一番である。つがる市合併十周年を寿ぎ祝いの出陣である。
青森菱友会(町印)
青森菱友会・提灯
つがる新田 信政公と水虎様
つがる新田 信政公と水虎様・送り絵
囃し方・太鼓
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NTTグループねぶた・ねぶた師 北村 春一
弟の荒ぶる神、須佐之男命の乱暴ぶりに耐えかね、太陽の神である天照大御神がその身を隠し、天上天下の光は消え災いに満ちた闇夜の世界が訪れた。
八百万の神々は天安河原に集まり、知恵の神、思金神の名案により天照大御神を天岩戸から呼び戻す作戦を立てることになる。天細女命が踊り出すと神々は大笑いし、何事かと岩戸を少し開け外の様子を窺うと、布刀玉命が八咫鏡を差出す。
鏡に写る目映い光が自分の姿とも知らず身を乗り出した時、力自慢の天手力男神が入口を塞いでいた岩の戸を投げ飛ばした。こうして世界は光を取り戻し平和が訪れたのである。
神話の中で描かれている「天岩戸伝説」は、謎が多く諸説あるが、世の平和を望む人々の思いは古代も現代も同じである。
NTTグループねぶた(町印)
NTTグループねぶた・提灯
天岩戸伝説
天岩戸伝説・送り絵
囃し方・太鼓
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公益社団法人青森青年会議所・ねぶた師 立田 龍宝
中国三国時代、蜀漢の武将である関羽は義に篤く、学問に長け、武勇に秀でており、身丈九尺、顎鬚二尺、鳳凰の眼に蚕のような眉と勇壮な人物であり、重さ八十二斤ある青龍偃月刀を自在に操ることもできた。かつて、劉備が曹操の攻撃を受け、袁紹を頼って落ちのびたとき、関羽は命ぜられていた下伾城(かひじょう)を守るために捕らえられたが、曹操の手厚い礼遇を受けた。関羽は曹操軍の客将として出陣し、袁紹軍の将の顔良を討ち曹操への恩に報いた後、劉備のもとへ帰り、以後数々の戦いや政務で活躍し劉備のために尽力した。最後は捕えられ処刑されてしまうが、劉備は関羽のために弔い合戦をし「義」を果たそうとする。
このような強い結びつきは、義兄弟の契りを結んだ桃園の誓いにあり、そこでは「心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん」と誓いを立てている。「義」を果たそうとする関羽の行動は、志を同じうするものが集い、ひとのため地域のために行動し、明るい豊かな社会を実現しようとする青年会議所会員と同じである。
蜀漢 報恩鬼神
蜀漢 報恩鬼神・送り絵
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青森市PTA連合会・ねぶた師 内山 龍星
平安末期、近衛天皇の住む御所に、夜ごと黒雲とともに不気味な鳴き声が響きわたり、帝を悩ませていた。 そこで、弓の名手として名高い「源三位頼政」に勅命が下った。 頼政は、先祖の「源 頼光」より受け継いだ弓を手に、二矢を持参し家来の「猪 早太」と妖怪退治へ向かった。
真夜中、御所の上に黒雲がたなびき怪しげな妖怪がいる。頼政は弓矢を黒雲めがけて矢を射った、すかさず猪早太が落ちてきた妖怪にとどめを刺した。火を灯して見てみると、正体は頭が猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎の姿をした「鵺」であった。
源三位頼政 鵺退治
源三位頼政 鵺退治・送り絵
ミス青森ねぶた
ミスねぶた赤坂理菜さん(左・弘前大19) ミスねぶたグランプリ山口智胡さん(中・弘前出身24) ミスねぶた張山萌さん(右・青森市23)
ミスねぶたグランプリ山口智胡さん(左・弘前出身24) ミスねぶた張山萌さん(右・青森市23)
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青森市役所ねぶた実行委員会・ねぶた師 外崎 白鴻
項羽は、秦の始皇帝の死後、陳勝・呉広の乱が起こると 24歳で挙兵し、劉邦と共に秦の都を占拠し秦を滅亡させた英雄である。
項羽はこの合戦において何万という秦兵の敵陣の中に馬を頭上高く持ち上げ、敵陣に投げ込み威嚇することにより、敵兵の志気を挫き勝利した逸話がある。このねぶたは、項羽が怪力をもって敵陣に馬を投げ飛ばした勇猛さを表したものである。
項羽の馬投げ
項羽の馬投げ・送り絵
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ねぶた愛好会・ねぶた師 諏訪 慎
高天原で暴れすぎて追放された、孤独な若い素戔嗚尊が出雲の国の肥の河の上流に向かっていくと、一軒の家があり、おじいさんとおばあさんが美しい娘を中に置き、泣き悲しんでいました。
尊は「お前たちは何をそのように悲しんでいるのか」と尋ねると、おじいさんは「私には8人の娘がいましたが、八岐大蛇が毎年来て、生け贄として一人づつ喰ってしまいました。最後にのこったのが、この奇稲田姫です。今年もまた、来る時期になりました。この姫をさしださなければなりません。」と言いました。八岐大蛇について尋ねると「一つの胴体に八つの頭と尾をもち、目はホオズキのように真っ赤で、その長さは八つの谷と八つの尾根にまたがるほど巨大で、腹はいつも血でただれている」と言います。
尊は娘を妻にもらうことを条件に八岐大蛇を退治する約束をしました。そして老夫婦に強い酒をつくり、八つの酒槽にわけて置くよう命じ、大蛇の現れるのを待ちました。やがて八岐大蛇が地響きを立てながらやって来て、その酒を一気に飲み干し、すっかり酔っぱらって寝込んでしまいました。そこに素戔嗚尊が踊り出て、酔いつぶれた大蛇をずたずたに切り刻むと肥の河は、真っ赤に染まったという出雲の国の神話です。
ねぶた愛好会・提灯
ねぶた愛好会・金魚ねぶた
素戔嗚尊八岐大蛇退治
素戔嗚尊八岐大蛇退治・送り絵
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ヤマト運輸ねぶた実行委員会・ねぶた師 北村 隆
知事賞・運行・跳人賞・優秀制作者賞【総合2位】
平安時代中期、瀬田の唐橋の下に棲む竜神は大百足に悩まされていた。そこへ通りかかった田原籐太秀郷の豪胆さを見込んで百足退治のため龍宮へ案内する。
竜神に頼まれ三上山の大百足を退治した秀郷はお礼として慈尊出世を告つげる名鐘と米の尽きることのない米俵や名剣を贈くられた。こののち田原籐太は俵籐太といわれる。
名鐘は三井寺へ納められ「三井の晩鐘」といわれ、名剣は「蜈蚣切」の名で宝刀として伊勢神宮に所蔵されている。
ヤマト運輸ねぶた実行委員会(町印)
俵籐太と竜神
俵籐太と竜神・送り絵
囃子方太鼓の団体名提灯
囃子方・太鼓
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青森自衛隊ねぶた協賛会・ねぶた師 有賀 義弘
大元帥明王は古代インド神話に登場する鬼神アータヴィカに由来し、元は悪鬼神とされたが大日如来の功徳により善神へと変じた。明王の最上尊である不動明王に匹敵する霊験を有するとされ、一説には「すべての明王の総帥であることから大元帥の名を冠する」といわれる。
怨敵調伏、必勝祈願、国家鎮護に絶大な功徳を持つと信じられ、宮中では古くから「大元帥法」という修法が行われていた。その力は護国防衛、敵国粉砕だけにとどまらず、反乱や疫病の平定、雨乞いや天候の変化にまで及ぶ。また、陸海軍の最高位の称号をこの明王にならって「元帥」「大元帥」と呼ぶようになったともいわれている。
大元帥明王
大元帥明王・送り絵
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青森山田学園・ねぶた師 北村 隆
周倉は三国志に登場する武将で元 黄巾賊の大将で同僚の悲元紹と臥牛山さんで山賊をしていたが、関羽の戦いぶりに惚込み側近として仕える。龐徳は于禁の先鋒として樊城におもむいた。龐徳は関平と打ち合いになったが勝負がつかず両者、陣に引き返す。「樊城の戦い」である。
周倉は于禁率いる七軍を水計で壊滅させ、未だ抵抗し舟を奪って逃げる龐徳を船をぶつけて転覆させ自身も水中に飛び込み格闘の末捕えることに成功する。
青森山田学園(町印)
JALのスチュワーデス
樊城の戦い
樊城の戦い・送り絵
囃子方・太鼓
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パナソニックねぶた会・ねぶた師 北村 蓮明
源頼朝の死後、妻政子の一族北条家が執権となり、すべての政を手中に収めていた。将軍をしのぐ勢力をもつ北条義時は、ことの責任を相手に負わせ、結果を自分の懐中に入れる北条流儀で、一緒に戦った仲間を次々滅ぼしていた。一方、将軍實朝に仕える和田義盛は、極めて信望の厚い、誠実無二の武人であった。
建保元年、北条氏の野心に業を煮やした義盛が乱を起こすや、三男朝比奈三郎義秀は、父と共に幕府と北条を襲ったのである。鎌倉三代、幾十となく繰り返された合戦の中で和田義盛の人物像を反映してか、いかにも男らしい咲く花の散る合戦であったという。怪力で知られる朝比奈が最も勇戦する「和田合戦」の一場面である。
青森パナソニックねぶた会(町印)
青森パナソニックねぶた会・提灯
怪力朝比奈、北条に挑む
怪力朝比奈、北条に挑む・送り絵
囃し方・太鼓
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私たちのねぶた自主製作実行委員会・ねぶた師 相馬寿朗
壇ノ浦で平家を滅ぼしたものの、兄頼朝に疎まれ追われる身となった源義経は、弁慶らと共に摂州大物浦から西国へと向かう。
だが海に出るとにわかに暗雲がたちこめ、海は荒れ、大波が逆巻き始める。その時、波間から平知盛の亡霊が、壇ノ浦で滅びたはずの平家一門の亡霊を引き連れて現れる。
私たちのねぶた自主製作実行委員会(町印)
私たちのねぶた自主製作実行委員会(町印裏)
船弁慶
送り絵
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日立連合ねぶた委員会・ねぶた師 北村 蓮明
観光コンベンション協会会長賞・囃子賞【総合5位】
播磨の国赤穂の城主浅野内匠頭は、松の廊下で起こした刃傷事件により、即日切腹。そして浅野家のお取り潰しが決定した。筆頭家老大石内蔵助は、大混乱に陥った藩内をまとめあげ、赤穂城を開城する。
その後、浅野家再興のために奔走するが、願いは叶なわず、主君の無念を晴はらすため、大石ら四十七人の同士は吉良上野介への仇討を決行するのである。元禄十五年十二月十四日、前日から降り続いた大雪が止み、空には煌々と寒月が冴え渡っていた。
ねぶたは、意を決し討ち入りの太鼓をたたく大石 内蔵助と、吉良の家臣で、剣の鬼と呼よばれた清水一学の防戦の雄姿である。
日立連合ねぶた委員会(町印)
日立連合ねぶた委員会・提灯
忠臣蔵
忠臣蔵・送り絵
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に組 東芝・ねぶた師 北村 隆
地震とともに火事は最も恐ろしい災害である。享保四年1719年 大岡越前守忠助の名により「いろは四十八組」制度ができた。火事装束はまさに火消しの「勇み」「気負い」の象徴ともいい纏のもとに総力を結集して消火作業を行い纏が火を消したとまで言われた。火事場に命を懸けた火消したちを描き「意気地と粋」の庶民文化を高らかに謳いあげたものであり、颯爽たる「男伊達」に象徴される。
のちに纏も悪霊や邪気を払うものとして使われはじめた。「百花の王」と言われる牡丹の下で身を守る唐獅子もまた「百獣の王」と言われており獅子頭には強い霊力があり悪い気を食べてくれるという。纏と唐獅子 ふたつの邪気を払うという力を表現した。
東芝・提灯
纏と唐獅子牡丹
纏と唐獅子牡丹・送り絵
囃し方・太鼓
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県庁ねぶた実行委員会・ねぶた師 大白 我鴻
平家を滅ぼした後、兄の源頼朝と不仲になった源義経は、嫌疑を晴らすべく都落ちを決意し、西国へ向かう。
摂津国尼崎大物浦から義経一行が船出すると、俄かに風が荒れ始め、壇ノ浦で滅ぼされた平家一門の怨霊たちが波間に現れ、一行の行く手を阻んだ。
なかでも龍神を従えた平知盛の怨霊は、是が非でも義経を海に沈めようと、薙刀を振りかざして襲い掛かってくるが、弁慶が五大明王に祈ると怨霊は遠ざかり、波間に消えて失せていった。
大物之浦
大物之浦・送り絵
囃し方・太鼓
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消防第二分団 アサヒビール・ねぶた師 千葉 作龍
二世紀末、中国後漢の代。朝廷の腐敗により世は乱れ「黄巾の乱」が起る。
漢王朝の血を引く「劉備玄徳」は桃園で義兄弟の契りを交わした「関羽雲長」「張飛翼徳」と共に黄巾討伐の軍に加わる。やがて平定されるも再び「董卓」の横暴により朝廷は乱れ董卓追討の命を受けた「曹操」らの軍に参戦した。
「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」と謳われる董卓随一の臣「呂布奉先」。豪雄「関羽」と名馬「赤兎」に跨る「呂布」との「虎牢関」での激戦である。
消防第二分団 アサヒビール(町印)
三国志・虎牢関「関羽と呂布」
三国志・虎牢関「関羽と呂布」・送り絵
囃し方・太鼓
囃し方・太鼓
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