2015年 弘前ねぷたまつり
2015年8月1日~3日に運行されたねぷたを紹介します。青森県弘前市一番町の津軽塗田中屋前で撮影しました。 今年は80台が運行されましたが、私が気に入っている絵師と受賞したねぷただけを掲載しています。 |
2015.8.1 境関ねぷた愛好会2015年8月1日に弘前市一番町の津軽塗田中屋前で運行された境関ねぷた愛好会のねぷたです。境関とは弘前市東部にある街です。 |
2015.8.1 津軽ねぷた歴史研究会2015年8月1日に弘前市一番町の津軽塗田中屋前で撮影した津軽ねぷた歴史研究会のねぷたです。 |
2015.8.1 高杉ねぷた北友会2015年8月1日に弘前市一番町の津軽塗田中屋前で運行された"高杉ねぷた北友会"のねぷたです。 |
2015.8.1 亀甲町協会2015年8月1日に弘前市一番町の津軽塗田中屋前で撮影した亀甲町協会のねぷたです。亀甲町は弘前城天守閣がある弘前公園の真北にあり、北門を過ぎるとそこは亀甲町です。 |
2015.8.1 津軽弘桜会2015年8月1日に弘前市一番町の津軽塗田中屋前で運行された"津軽弘桜会"のねぷたです。 |
2015.8.1 華蓮ねぷた會2015年8月1日に弘前市一番町の津軽塗田中屋前で運行された華蓮ねぷた會のねぷたです。 児雷也は、江戸時代後期の読本に登場する架空の盗賊・忍者。明治以降、歌舞伎や講談などへの翻案を通して蝦蟇の妖術を使う代表的な忍者キャラクターとして認識され、現在に至るまで映画・漫画・ゲームなど創作作品に大きな影響を及ぼしている。 日本の物語作品に自来也が初めて登場するのは、感和亭鬼武(かんわてい おにたけ)による読本『自来也説話』(文化3年<1806年>刊)である。自来也は義賊で、その正体は三好家の浪士・尾形周馬寛行(おがた しゅうま ひろゆき)。蝦蟇の妖術を使って活躍する。 「児雷也」は、宋代の中国に実在し、盗みに入った家の壁に「我、来たるなり」と書き記したという盗賊「我来也」(沈俶『諧史』所載)を元にしたとされる。自来也の物語は歌舞伎や浄瑠璃に翻案された。 児雷也は、上記の『自来也説話』を元にして、美図垣笑顔(みずがき えがお)らによって書かれた合巻『児雷也豪傑譚』(天保10年<1839年>から明治元年<1868年>まで刊行。未完)に登場する架空の忍者。 肥後の豪族の子・尾形周馬弘行(おがた しゅうま ひろゆき)がその正体と設定され、越後妙高山に棲む仙素道人から教えられた蝦蟇の妖術(大蝦蟇に乗る、または大蝦蟇に変身する術)を使う。妻は蛞蝓の妖術を使う綱手(つなで)、宿敵は青柳池の大蛇から生まれた大蛇丸(おろちまる)であり、児雷也・大蛇丸・綱手による「三すくみ」の人物設定は本作品から登場している。 「児雷也」は、河竹黙阿弥による『児雷也豪傑譚話』(嘉永5年<1852年>)などの歌舞伎に脚色翻案され、さらに多くの忍者ものの物語やキャラクターの題材となった。1921年公開の牧野省三監督の映画『豪傑児雷也』は、日本初の特撮映画と言われ、主演した尾上松之助の代表作となった。 |
2015.8.1 祭好会2015年8月1日に弘前市一番町の津軽塗田中屋前で運行された"祭好会"のねぷたです。 ある意味、観衆に挑戦するような作風だと言えます。鏡絵の下には股間に黒々としたモノが描かれています。地元のニュースで放送された際には、地方ニュースには珍しく股間の部分にボカシが入っていました。 見送り絵の袖絵には生まれたばかりの桃太郎が描かれています。ねぷた絵にあからさまにモノを表現するのはどうかな?とも思いましたが、誰も写真をupしていないので掲載することにしました。 |
2015.8.2 幻満舎2015年8月2日に弘前市一番町の花正電気駐車場前で運行された幻満舎の小型ねぷたです。唯一の担ぎねぷたとして40年連続出陣しています。 |