2000年 弘前ねぷたまつり
2000年8月1日~3日に運行されたねぷたを紹介します。青森県弘前市中土手町で撮影しました。 今年は66台が運行されましたが、私が気に入っている絵師と受賞したねぷただけを掲載しています。 |
2000.8.1 弘前ねぷた合同運行2000年8月1日に弘前市中土手町で運行された弘前ねぷた合同運行と津軽剛情張り大太鼓の様子を御覧下さい。 |
2000.8.1 弘前市職員福利厚生会2000年8月1日に弘前市中土手町で運行された弘前市役所主宰の組ねぷたです。 |
2000.8.1 城南ねぷた愛好会2000年8月1日に弘前市中土手町で運行された城南ねぷた愛好会のねぷたです。城南とは、弘前市南部にある城南地区が運行しているねぷたの団体名です。 |
2000.8.2 弘前市医師会2000年8月2日に弘前市中土手町で撮影した弘前市医師会です。薙刀の舞が名物。 |
2000.8.2 下新町ねぷた愛好会下新町ねぷた愛好会のねぷたです。絵師は三浦 呑龍さん。2008年より下新町ねぷたの絵師として復帰しました。この下新町は新町と言う地名ですが、これも土手町と同様に上・中・下があります。下新町は誓願寺がある町会で、南側の中・上新町とは別に独自にねぷたを運行しています。 |
2000.8.2 土手町連合会2010年8月2日に弘前市中土手町で撮影した土手町連合会です。土手町は下土手町・中土手町・上土手町が連合して運行されています。住所は全て土手町で表記されるのですが、市民の地名では土手町が三つあることになります。これと同じような町名が新町です。 |
2000.8.2 茂森新町ねぷた同好会2000年8月2日に弘前市中土手町で運行された茂森新町ねぷた同好会のねぷたを御覧下さい。絵師は三浦 呑龍さん。扇ねぷたの部 知事賞を受賞しています。この団体は、毎年第一位の知事賞を受賞している名門ねぷたです |
2000.8.1 本町ねぷた愛好会2000年8月1日に弘前市中土手町で運行された本町ねぷた愛好会のねぷたです。約20年前まで私は、このねぷたに参加して運行に携わっていました。 |
2000.8.2 弘前建設業協会2000年8月2日に弘前駅前で運行された弘前建設業協会のねぷたを御覧下さい。絵師は佐藤 大節さん。弘前市長会連合会賞を受賞しています。この団体は、弘前市役所の裏に事務所があります。ねぷたの時期になると、建設業協会の駐車場がねぷた小屋になっています。1日目~4日目は土手町運行ですが、一番スタート地点に近い場所にいる団体です。 |
2000.8.1 撫牛子こども会2000年8月1日に弘前市中土手町で運行された撫牛子こども会の小型ねぷたです。弘前市外から来られた方には読めない知名だと思いますが、弘前駅の一駅北側にある アイヌ語に由来する地名でないじょうしと言います。 |
2000.8.2 津軽螢会2000年8月2日に弘前市中土手町で撮影した津軽螢会の小型ねぷたです。この団体は、さくら組に継承されています。 |
2000.8.2 NTTねぷた愛好会関興は、三国時代の官僚・軍人。蜀(蜀漢)に仕えた。字は安国、関羽の子。父・関羽とともに樊城攻めに出陣していたが、戦果を報告するために戦列を離れていたので難を逃れる。劉備が関羽の弔い合戦として呉征伐の軍を挙げる際、その先鋒を張飛の息子である張苞と武芸比べで争う。勝負は互角であったが、劉備の采配で一年年長の張苞を兄、関興を弟として義兄弟の契りを結ぶ事になる。 関羽の弔い合戦では全身に白い鎧をまとって出陣。そこで亡き父の霊に助けられ、父の仇の一人である潘璋を斬り青龍偃月刀を取り返す。呉征伐の終盤、夷陵の戦いにおいては劉備をかばい重傷を負うことになる。しかし以後も蜀軍における将軍として度重なる北伐に参加し、張苞と同じく得物は父の形見である青龍偃月刀を用い、たびたび関羽の霊に助けられつつ活躍する。第4次北伐には病のため参加できず、ほどなく病没することになっており、諸葛亮はこの訃報を漢中で受け、悲しみのあまり倒れてしまうという描写である。 |
2000.8.1 松原ねぷた愛好会2000年8月1日に弘前市中土手町で運行された松原ねぷた愛好会のねぷたです。信枚奮戦之図とは、津軽藩主二代目津軽信枚が関ヶ原の合戦で戦っている姿をねぷたにしたものです。見送り絵に描かれた大館御前とは辰姫のことで、石田三成の三女で弘前藩2代藩主津軽信枚の側室。辰姫は弘前藩が関ヶ原の戦いの論功行賞として得た上野国大舘(おおたち)に移され、大舘御前と称された。その後も信枚は参勤交代の折は必ず大舘に立ち寄って辰姫と過ごし、元和5年(1619年)1月1日、信枚の長男・平蔵(のちの信義)が誕生する。元和9年(1623年)に大舘で死去。享年32。墓所は群馬県太田市の東楊寺、青森県弘前市の貞昌寺。幼い平蔵は江戸の弘前藩邸に引き取られ、信枚の熱意により嗣子と認められ、信枚の死後藩主を継いだ。 辰姫が大舘の地で津軽藩主三代目津軽信義を産んだ縁により、群馬県尾島町(現在の太田市)では、昭和61年(1986年)の尾島まつりに津軽特産のねぷたが登場。現在は毎年8月に尾島ねぷた祭りが開催されている。 |
2000.8.1 健生ねぷた愛好会2000年8月1日に弘前市中土手町で運行された健生ねぷた愛好会のねぷたです。健生ねぷた愛好会とは、弘前市西北部にある津軽保健生活協同組合 藤代健生病院が出すねぷたです。 |
2000.8.1 紺屋町ネプタ同好会2000年8月1日に弘前市中土手町で運行された紺屋町ネプタ同好会のねぷたです。 |
2000.8.1 境関ねぷた愛好会2000年8月1日に、弘前市中土手町で撮影した境関ねぷた愛好会のねぷたです。境関地区の近くにはナトリウム泉で源泉温度46.1度の境関温泉があります。 |