1999年 弘前ねぷたまつり
1999年8月1日~3日に運行されたねぷたを紹介します。青森県弘前市中土手町で撮影しました。 今年は67台が運行されましたが、私が気に入っている絵師と受賞したねぷただけを掲載しています。 |
1999.8.1 弘前ねぷた合同運行1999年の8月1日に弘前市中土手町で運行された津軽情っ張り大太鼓の様子を御覧下さい。この大太鼓は、一番最初に見える合同運行のすぐ後に出てきます。大太鼓とねぷた囃子の登場で、ねぷた祭りが一気に盛り上がります。最近は女性の叩き手が増えました。大太鼓の上にも乗っている女性がいます。 |
1999.8.1 津軽情っ張り大太鼓1999年8月1日に弘前市中土手町で運行された津軽情っ張り大太鼓です。勇壮な大太鼓の雰囲気をお楽しみ下さい♪ |
1999.8.2 樹木ねぷた愛好会1999年8月2日に弘前市中土手町で運行された樹木ねぷた愛好会です。町名は、明治20年ごろ当地に開かれたりんご園にちなむ。 |
1999.8.1 城南ねぷた愛好会1999年8月1日に弘前市中土手町で運行された城南ねぷた愛好会のねぷたです。城南とは、弘前市南部にある城南地区が運行しているねぷたの団体名です。 |
1999.8.2 茂森新町ねぷた同好会1999年8月2日に弘前市中土手町で運行された茂森新町ねぷた同好会のねぷたを御覧下さい。絵師は三浦 呑龍さん。扇ねぷたの部 知事賞を受賞しています。この団体は、毎年第一位の知事賞を受賞している名門ねぷたです |
1999.8.1 本町ねぷた愛好会1999年8月1日に弘前市中土手町で運行された本町ねぷた愛好会です。自治会の小屋に戻るまでお囃子が続きます。 |
1999.8.2 下新町ねぷた愛好会下新町ねぷた愛好会のねぷたです。絵師は三浦 呑龍さん。2008年より下新町ねぷたの絵師として復帰しました。この下新町は新町と言う地名ですが、これも土手町と同様に上・中・下があります。下新町は誓願寺がある町会で、南側の中・上新町とは別に独自にねぷたを運行しています。 |
1999.8.2 西地区ねぷた親交会1999年8月2日に弘前市中土手町で撮影した西地区ねぷた親交会の組ねぷたです。この地区は組ねぷたの部で毎年知事賞を獲得している名門団体です。後ろから巨大なハリボテが出てくるのが見物です♪ |
1999.8.1 弘前銀座街協会1999年8月1日に弘前市中土手町で運行された弘前銀座街協会の小型ねぷたです。 |
1999.8.2 弘前建設業協会青年会1999年8月2日に弘前駅前で運行された弘前建設業協会のねぷたを御覧下さい。絵師は佐藤 大節さん。弘前市長会連合会賞を受賞しています。この団体は、弘前市役所の裏に事務所があります。ねぷたの時期になると、建設業協会の駐車場がねぷた小屋になっています。1日目~4日目は土手町運行ですが、一番スタート地点に近い場所にいる団体です。 |
1999.8.2 NTTねぷた愛好会関興は、三国時代の官僚・軍人。蜀(蜀漢)に仕えた。字は安国、関羽の子。父・関羽とともに樊城攻めに出陣していたが、戦果を報告するために戦列を離れていたので難を逃れる。劉備が関羽の弔い合戦として呉征伐の軍を挙げる際、その先鋒を張飛の息子である張苞と武芸比べで争う。勝負は互角であったが、劉備の采配で一年年長の張苞を兄、関興を弟として義兄弟の契りを結ぶ事になる。 関羽の弔い合戦では全身に白い鎧をまとって出陣。そこで亡き父の霊に助けられ、父の仇の一人である潘璋を斬り青龍偃月刀を取り返す。呉征伐の終盤、夷陵の戦いにおいては劉備をかばい重傷を負うことになる。しかし以後も蜀軍における将軍として度重なる北伐に参加し、張苞と同じく得物は父の形見である青龍偃月刀を用い、たびたび関羽の霊に助けられつつ活躍する。第4次北伐には病のため参加できず、ほどなく病没することになっており、諸葛亮はこの訃報を漢中で受け、悲しみのあまり倒れてしまうという描写である。 |
1999.8.2 東目屋地区ねぷた愛好会かつて弘前市の飛び地であった東目屋から参加したねぷたです。隣の西目屋村は世界遺産白神山地を抱えているので、弘前市とは合併しませんでした。ここは十年来、成田幻節さんがねぷた絵を描かれています。 |
2000.8.1 富田清水町会青年部2000年8月1日に弘前市中土手町で運行された富田清水町会青年部のねぷたです。 |
2000.8.1 向外瀬ねぷた愛好会2000年8月1日に、弘前市中土手町で撮影した向外瀬ねぷた愛好会のねぷたです。 |