1989年 弘前ねぷたまつり
1989年8月1日~4日の運行ねぷたです。弘前市中土手町で叔父の原田氏と管理者が撮影しました。 |
1989.8.1 弘前自衛隊ねぷた協力会1989.8.1に弘前市中土手町で運行された弘前自衛隊ねぷた協力会です。 |
1989.8.1 弘前大学1989.8.1に弘前市中土手町で運行された弘前大学のねぷたです。この年まで阿部義夫絵師が弘前大学のねぷたを描いていたのですが、その後お亡くなりになったので翌年から八嶋龍仙絵師が弘前大学のねぷたを担当しています。 |
1989.8.1 十面澤青年会1989.8.1に弘前市中土手町で運行された十面澤青年会です。十面澤とは弘前市北部にある集落で、裾野と言う町が近くにあります。地理的には鯵ヶ沢に近く、5km北に行くと陸奥森田駅があります。弘前市中心部から15kmほど離れています。地名の「とづら」とは、かずらを指し、かずらが多く生えていた沢にちなみます。この年以降、ねぷたの運行が無い団体です。一番下の2枚は、管理者が撮影しました。 |
1989.8.1 本町ねぷた愛好会1989年8月1日に弘前市中土手町で運行された本町ねぷた愛好会のねぷたです。 |
1989.8.2 茂森新町ねぷた同好会1989年8月2日に弘前市中土手町で運行された茂森新町ねぷた同好会のねぷたを御覧下さい。三枚目以降は、管理者が撮影しました。 |
1989.8.2 新町ねぷた愛好会この新町は上新町・中新町が合同でねぷたを運行しています。 |
1989.8.2 弘前建設業協会1989年8月2日に弘前市中土手町で運行された弘前建設業協会のねぷたを御覧下さい。絵師は佐藤 大節さん。弘前市長会連合会賞を受賞しています。この団体は、弘前市役所の裏に事務所があります。ねぷたの時期になると、建設業協会の駐車場がねぷた小屋になります。1日目~4日目は土手町運行ですが、一番スタート地点に近い場所にいる団体です。 |
1989.8.2 小栗山ねぷた愛好会1989年8月2日に弘前市中土手町で運行された小栗山ねぷた愛好会です。小栗山は弘前市南部にあり、中心街から南へ4kmほど離れています。弘南鉄道小栗山駅と松木平駅が最寄り駅です。ちなみに小栗山(こぐりやま)はリンゴの名産地です。 |
1989.8.2 樹木ねぷた愛好会1989年8月2日に弘前市中土手町で運行された樹木ねぷた愛好会です。町名は、明治20年ごろ当地に開かれたりんご園にちなむ。 |
1989.8.1 大城東連合ねぷた1989.8.1に弘前市中土手町で運行された大城東連合ねぷたです。弘前市城東地区にねぷた小屋があります。数々の団体名変遷の後に、現在の東地区町会連合会ねぷたと言う団体名になります。 |
1989.8.1 津軽ねぷた歴史研究会1989.8.1に弘前市中土手町で運行された津軽ねぷた歴史研究会です。自由参加ねぷたをモットーに、みんなで参加しようというねぷたです。「男絵と女絵がスライド式で変わる」見送り絵が、この団体の伝統です。二枚目以降の写真は、管理者が撮影しました。 |
1989.8.1 鬼沢ねぷた同好会1989年8月1日に、弘前市中土手町で撮影した鬼沢ねぷた同好会です。この鬼沢と言う地区は、節分の時に鬼は内・福は内と言って鬼を迎えるので有名です。昔、飢饉があった時、鬼が田畑を耕してくれて飢えを凌ぐことが出来たので、それ以来鬼を奉るようになったそうです。その鬼神社には鬼が田畑を耕した時に使われたと言われる鍬が奉られています。鬼沢では他の団体に無い特徴として、ねぷた絵の下にある開きに描かれる牡丹が鬼になっています。 |
1989.8.1 藤代ねぷた愛好会1989年8月1日に弘前市中土手町で運行された 藤代ねぷた愛好会の様子を御覧下さい。藤代は弘前市中心部から北西に2kmしか離れていませんが、岩木川を挟みます。弘南バスの車庫があります。 |
1989.8.1 陸奥新報社1989年8月1日に弘前市中土手町で運行された陸奥新報社ねぷたの様子を御覧下さい。陸奥新報社は、弘前市を中心とする津軽地方で購読されている新聞社です。 |
1989.8.2 青森県職員福利厚生会1989.8.2に弘前市土手町で運行された青森県職員福利厚生会のねぷたです。 |
1989.8.2 七峰会1989.8.2に青森県弘前市中土手町で運行された七峰会の小型ねぷたです。七峰会とは社会福祉法人の団体名で、障害者支援施設や老人ホームを運営しています。 |
1989.8.2 友好都市弘前ねぷた斜里保存会1989.8.2に青森県弘前市中土手町で運行された友好都市弘前ねぷた斜里保存会の小型ねぷたです。 斜里町に寛政元年(1789年)物資を積んだ船を通じて、斜里アイヌから松前藩に対する正式な交易船の派遣願いで斜里場所開設の要請が出されました。寛政2年(1790年)、宗谷場所から分設する形で斜里場所が開設されました。斜里場所の運営は、ロシア船による樺太、千島など各地で商船襲撃などで脅かされることとなり、北辺の警備が必要となりました。 斜里場所にも津軽藩士100余名が派遣されました。陸行12日をかけて文化4年7月に一番隊が到着。しかし、初めての寒地での越冬に慣れておらず、布団や栄養の補給も充分ではなく、11月中旬にはほとんどが水腫病にかかり、70数人という多くの藩士が無念のうちに斜里の土と化してしまったのです。 この史実があったことから北海道斜里町は、1973年には津軽藩士殉難慰霊の碑が建立され慰霊祭が毎年行われています。1983年には斜里町と青森県弘前市は友好都市の提携を結び、以降の夏祭りでは弘前ねぷたが斜里の繁華街を練り歩いています。 |
1989.8.2 立正佼成会弘前教会ねぷた実行委員会1989年8月2日に弘前市中土手町で運行された立正佼成会弘前教会ねぷた実行委員会のねぷたです。 |
1989.8.1 NTTねぷた愛好会1989年8月1日に弘前市中土手町で撮影したNTTねぷた愛好会のねぷたです。弘前市本町にNTTねぷた愛好会のねぷた小屋があります。 |
1989.8.1 田町地区ねぷた愛好会1989年8月1日に弘前市中土手町で撮影した田町地区ねぷた愛好会のねぷたです。田町とは弘前市田町1~5丁目までの地区で、弘前市中心部から1kmしか離れていない住宅地です。1991年以降の運行はありません。 |
1989.8.1 角長友の会1989年8月1日に弘前市中土手町で撮影した角長友の会のねぷたです。株式会社角長は、弘前市和徳町で明治22年に創業。仕出し業界の老舗です。 |
1989.8.1 新寺町ねぷた愛好会1989年8月1日に弘前市中土手町で運行された新寺町ねぷた愛好会のねぷたです。新寺町ねぷた愛好会とは、弘前市の新寺町にある団体名です。 |