豪華客船皆既日食・父島編
(8)父島から南島まで
皆既日食の翌朝は、小笠原諸島の父島に上陸します。ふじ丸のような巨大客船は港に横付けすることが出来ないので、通船と呼ばれる船と島を結ぶ漁船が活躍します。出発と食事と帰港の時間帯には、通船がピストン輸送されます。前回、父島に上陸したときも二代目のにっぽん丸でした。当時はまだ規模が小さかった船なので、二見港に横付け出来ました。
下の写真は、通船から撮った係留中のふじ丸です。
父島の山と海が、ふじ丸の船体を際立たせています。
父島に係留中のふじ丸
真夏の父島は日差しが強烈で、海の青さも尋常ではありません。南島海中公園ボート観光は、午前と午後の部に分かれました。同室の3人は私も含め、全て午前中の同じコースでした。
南島周辺の地層は、今から3400〜2300万年前に作られた石灰岩です。そのため岩の中ほどで、侵食によってできた穴が開いています。海自体も浅く、海底の様子が手に取るように分かります。日差しが強烈なので、これほど白い肌では、また日焼けしそうです。
南島周辺の小島
父島は約4800万年前、赤道直下にありました。3000万年前にはフィリピン海プレートが広がり、フィリピン海膨が小笠原近海を北へ持ち上げるように広がりました。そのフィリピン海の東部が割れて四国海盆が発達し、伊豆小笠原海嶺と九州パラオ海嶺に分かれました。同時に日本列島が南下して現在の配置になりました。
まだ海底にあった小笠原海嶺は、伊豆小笠原海溝の沈み込み帯によって海面へ押し上げられます。すると小笠原海嶺が海上に顔を出し、小笠原諸島が形成されました。皆既帯の通過した硫黄島は、小笠原海嶺とは別の伊豆小笠原海嶺に属します。(先山教授の資料から抜粋)
南島周辺の小島
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