首都圏のお祭りと郷土芸能

弊サイトは、群馬県太田市と茨城県鉾田市について歴史と郷土芸能を特集したページです。
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  • 鉾田の山車
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  • 鉾田の山車披露

    2007.3.31 鹿島鉄道最終日 鉾田の山車披露


    鹿島鉄道の最終日(2007年3月31日)には、鉾田駅前の閉店されたセブンイレブン駐車場で鉾神社の山車が列車のお別れで披露されました。鉾田市内の10団体200人の囃子方が朝から13時間半ずっと2台の山車の上で太鼓をたたき、狐やひょっとこの面をつけて踊り続けました。一部鉄道ファンの方からは「鹿島鉄道の葬式の日なのに、お祭り騒ぎとは何ごとだ。」とありましたが、「蛍の光で送るよりも、鉾田市民から鹿島鉄道へ最高の感謝の気持ちの表し方なんです。」とのことです。
    鉾田ネバーギブアップかしてつ代表談

    鉾田の夏祭りは400年以上の歴史がありますが、こうした特別なイベントがある時は山車が出ることもあります。一旦出ることが決まったら、全ての町内が出たいと言い出します。そこで代表して横町と旭町の山車が出ることになりました。当時たまたま仕事で鉾田に住んでいたのですが、かしてつの最終日に立ち会うにあたって普段出る時期ではない山車に出会って、一気に鉾田の夏祭りが大好きになりました。

    鉾田駅から300mほど歩くと鉾神社があります。
    鉾神社の夏祭りは、400年以上の歴史があります。鉾神社には、日本武尊命・大巳貴命・武甕槌命の三柱の大神が無病息災・交通安全・五穀豊穣などの神として奉られています。

    鉾田の夏祭りは、毎年8月最終週の土日に市街中心部の交差点を通行止めにして山車の音合わせが行われます。祭り期間中は、子供からお年寄りまで町中に繰り出し、夜中までにぎわいます。笛や太鼓のリズムにのって神輿や山車、獅子舞が町中を練り歩く鉾神社祭礼が盛大に行われます。 ちなみに鉾田の由来も鉾神社から来ています。鉾神社の田…神田(しんでん)と言うことで鉾田と言う地名になったそうです。

    鹿島鉄道最終日 鉾田の山車披露

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  • 鉾田の夏祭り

    鉾神社の夏祭りは、400年以上の歴史があります。現在のような鉾田の夏祭りになったのは大正4年頃から。旧鹿島鉄道鉾田駅から東へ300mほどの所にある鉾神社には、日本武尊命、大巳貴命、武甕槌命の三柱の大神が無病息災、交通安全、五穀豊穣などの神として奉られています。

    毎年8月最終金、土、日の3日間、神輿1基・山車8台が市内を練り歩きます。
    鉾神社の宮神輿と鉾田地区の橋向町、本町、旭町、新町、古宿町、櫻本町、七軒町、横町から山車が出ます。
    鉾神社の宮神輿は、8団体から毎年持ち回りで担当します。また山車とは別に獅子屋台も櫻本町から出ます。

    鉾田の夏祭り・山車の紹介

    運行町名 山車制作年 山車の人形
    本町(ホンチョウ) 1984年(昭和59年) 素戔嗚尊
    古宿(フルジュク)町 1986年(昭和61年) 木華開耶姫
    櫻本(サクラモト)町 1989年(平成元年) 源九郎義経
    新町(シンマチ) 1991年(平成3年) 天照坐皇大御神
    横町(ヨコマチ) 1996年(平成8年) 建御雷命
    七軒町(シチケンチョウ) 2005年(平成17年) 豊玉姫命
    橋向(ハシムコウ) 2016年(平成28年) 日本武尊
    旭町(アサヒチョウ) 2017年(平成29年) 安徳天皇

    鉾田の夏祭り・お囃子の紹介


    獅子舞、神輿。石岡系囃子と佐原系囃子の分岐点に位置すると言われており、鉾田に独特な囃子を含め、石岡と佐原双方の影響を感じる多くのレパートリーが楽しめる。

    お囃子に関しては、石岡や佐原の影響を受けたと思われる鉾田独特の囃子。曲目として鉾田独自のものとしては「はやばか」「おかめ」「きつね」「ひょっとこ」「しちょうめ」の5つが挙げられ、石岡の囃子もレパートリーとして取り入れている。これらとは別に「さんぎり」もある。

    ‥山車の音合わせを撮影した年‥  [工事中]


    2007年 鉾田の夏祭り  2016年 鉾田の夏祭り  2018年 鉾田の夏祭り  2019年 鉾田の夏祭り


    鉾田の夏祭り 音合わせ会場の地図
    鉾田の夏祭り 音合わせ会場の地図

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  • 尾島ねぷたまつり

    2014年 尾島ねぷたまつり

    荘厳な武者絵巻が夏の夜を鮮やかに彩る尾島ねぷた。

    開催時期:毎年8月14日~15日の2日間開催
    開催場所:太田市尾島商店街大通り(国道354号)
    主催/尾島ねぷたまつり実行委員会


    ----------◆◇◆ねぷた出陣予定団体 ◆◇◆-------

    実行委員会・大田市民ねぷた会・三菱電機(株)・大澤建設(株)・群馬銀行・大舘・生きる塾・
    尾島児童館・世良田児童館・東群馬信用組合・サッカークラブ・上州ねぷた会・愛育会保育園・尾島剣道部・松島ファミリー・タカラ電器  (出陣団体は変更される可能性があります)


    ----------◆◇◆津軽物産市◆◇◆-------

    開催時期:午後1時~10時
    開催場所:3丁目地内(国道354号沿い商店街大通り)

    ●販売品●

    津軽塗製品・こぎん刺し・ねぷた玩具・津軽焼・つがる凧絵・郷土玩具等各種・りんごジュース・りんご加工品・津軽産地酒・アップルワイン・郷土銘菓等各種
    ※会場で、りんごジュースの試飲があります
    協賛/弘前市・(社)弘前市物産協会


    ----------☆★☆2015年の尾島ねぷたまつりパンフレット ☆★☆-------

    尾島ねぷたパンフレット
    画像をクリックすると原寸大のパンフレットが見られます。元に戻るにはブラウザの戻る矢印で戻ります


    ----------◆◇◆ねぷたまつり交通規制図 ◆◇◆-------

    8月14日・15日 交通規制にご協力ください。

    8月14日・15日の尾島ねぷたまつりでは、ねぷたの商店街運行に伴い、
    下図のとおり交通規制が行われます。規制される時間は、両日とも
    午後6時~午後10時までです。よろしくご協力ください。

    尾島ねぷたパンフレット
    画像をクリックすると原寸大のパンフレットが見られます。元に戻るにはブラウザの戻る矢印で戻ります

    路上駐車全面禁止

    ----------◆◇◆シャトルバスのご案内◆◇◆-------

    午後6時~午後10時 随時
    A:尾島庁舎駐車場・道の駅おおた←→まつり会場
    B:木崎駅←→まつり会場
    ※駐車場や道路が大変混雑します。自動車の乗り入れはご遠慮下さい。

    ----------◆◇◆お問い合わせ◆◇◆-------

    尾島ねぷたまつり実行委員会
    (太田市商業観光課内)
    ℡ 0276-47-1833

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  • 尾島ねぷたの由来

    弘前城天守閣

    ◆弘前市とのつながり

    尾島ねぷたまつりは上州の夏の風物詩として定着し、県内外から2日間で約10万人もの見物客で賑わうまでになりました。

    弘前ねぷたが初めて尾島の夏祭りに出陣したのは昭和61年まで遡ります。当時、盆踊り・八木節と花火が中心のまつりに地元商工会青年部の熱意と弘前市青年会議所のメンバー、津軽情っ張り太鼓の会、弘前市七夕会の方々の多大なる援助と尽力によりねぷた出陣が実現しました。そして、このねぷた出陣実現の橋渡しをしてくれたのが、400年もの時を超えて連綿と受け継がれ、培われて来た先人達の歴史でした。

    初代藩祖・津軽為信

    ◆江戸時代は津軽藩の飛び地

    豊臣秀吉により津軽3郡等4万5石の所領を安堵された、津軽藩初代藩主津軽為信(ためのぶ)公は秀吉没後の慶長5年(1600)関ヶ原の戦いでは、2000余の兵を率いて東軍(徳川方)として戦に参加しました。その際美濃国(岐阜県)大垣城攻撃での戦功により、翌慶長6年「御馬飼所」として上州8ケ村(大舘村、安養寺村、出塚村の一部:以上尾島町、赤堀村、村田村、下江田村:以上新田町、女塚村、境村:以上境町)2千石を加増され4万7千石となると同時に、津軽藩の飛び地が上州に出来ました。この時、加増された2千石のうち約半分を尾島町の地域が占めていました。また大舘村には代官を居住させ、これを管轄させる他に津軽藩の陣屋が置かれ、参勤交代など江戸出府の折りには藩主も滞在しました。東楊寺(大舘地区内)境内には、代官を務めていた足立氏の五輪塔や宝篋印塔があります。

    津軽藩二代藩主信牧津軽藩二代藩主信牧(のぶひら)公は、側室の辰子(西軍〔石田三成の三女〕)をここ大舘村に住まわせました。辰子はこの地名から大舘御前とも呼ばれ、この地で信義公を産みました。信義公は寛永8年(1631)13歳で津軽藩の家督を相続し、三代藩主となりました。なお、辰子の墓は、藩主信義公の生母として弘前市の貞昌寺にあります。

    信義公が明暦元年(1655)死去すると、信政(のぶまさ)公が四代藩主となりますが、10歳という若さなので信義公の弟信英(のぶふさ)公が後見職に任命され、信英公は明暦2年(1656)上州の飛び地2千石と津軽黒石領、大舘御前平内領併せて5千石の所領を分知され、黒石(青森県黒石市)に陣屋を置きました。

    後に上州の飛び地は津軽黒石藩領として元禄11年(1698)まで統治されました。また、大舘区内にある八幡宮の社殿は天和2年(1682)津軽黒石二代藩主信敏(のぶとし)公が建立したと伝えられることから、当地と津軽藩との密接なつながりを物語る史跡が数多くあります。 信牧と大舘御前の画像はこちらの下段です。

    ◆400年の時を超え交流を再会する
    ねぷた絵とねぷた絵師

    これらの史実を講演会で聞いた弘前市青年会議所のメンバーが、昭和60年6月1日に尾島町を訪問。地元商工会青年部との交流が400年の時を超えて再開されました。

    昭和61年のねぷた初出陣以来、2年後には弘前市の茂森新町から大型ねぷたを譲り受けるなど尾島町でもねぷたに対する意気込みが盛んになり、今では祭りが近づくと町内にはねぷた囃子の太鼓の音が聞こえるようになりました。

    平成3年11月25日には弘前市と尾島町との友好都市締結の調印が行われ、まつりのみならず産業や文化、人の交流も活発に行われています。

    出典:「群馬歴史散歩」第160号


    ※現在、尾島町・新田町は太田市と合併、境町は伊勢崎市と合併しています。

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  • 新田太鼓保存会

    2005年10月23日に撮影した新田太鼓を紹介します。場所は群馬県新田町です。


    上州 新田太鼓 2005

    新田まつり太鼓

    大地①

    大地②

    大地③

    大地④

    上州 新田太鼓 2006

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  • JA新田町 郷土芸能大会より

    2005年11月20日に撮影した新田太鼓を紹介します。場所は群馬県のJA新田町です。


    新田太鼓 上毛 2005

    新田太鼓の車両

    上毛①

    上毛②

    新田太鼓 大地 2005

    大地

    新田まつり太鼓 2005

    新田まつり太鼓①

    新田まつり太鼓②

    新田牛試食販売①

    新田牛試食販売②

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  • 麻生不動尊だるま市


    麻生不動尊だるま市 2011

    我が家は、麻生不動尊から歩いて5分もしないようなところにあります。こちらへ越してきて一年半近く経ったのでしょうか?1/28は、年に一度の関東納めのだるま市が開催されます。

    上のビデオは、麻生不動尊で行われている昨年の祈祷の様子です。既に朝から近くの団地まで参拝客の駐車で道がふさがれていて、片方しか通れない状態です。

    露店位置
    だるま市の露店位置

    だるま市の露店位置はピンクの印を付けています。この外側は、露天商や買い物客の車で溢れていました。露天商には路上駐車の許可が下りているらしいです。

    住宅街の小道が参道なので、約200店もの露天商が軒を並べているため人間も車も大渋滞となります。午前中がものすごい混雑で、午後から段々と人波も途絶えてきます。

    だるまを売っている露店でだるまを買うと、ダルマに魂が籠められる儀式が行われます。
    まず店主が火打ち石をダルマに向けて「よぉ~よよよい・よよよい・よよよい・よい」と言います。これは、だるまを購入された方に行われる習わしです。周辺は午後5時頃から露店の撤収が始まり、それから日没までには普段の道路となってしまいます。境内には、15店ものだるま屋が威勢の良い掛け声と手拍子でにぎやかでした。

    麻生不動尊の屋台と人波麻生不動尊… 川崎市麻生区下麻生809

    【交通機関】
    小田急小田原線・多摩線「新百合ヶ丘」駅よりバス15分「大谷」下車徒歩8分
    小田急柿生駅から徒歩25分
    「柿生」駅よりバス10分「麻生不動入口」徒歩5分
    *柿22系統(柿生駅北口~桐蔭学園)は増発便が出ます。
    県道12号側からの参道は大混雑します。鶴見川支流と片平川の側道が臨時駐車場となります。

    麻生不動尊は昔から「火伏せの不動(木賊不動)」と言われ、火難から人を守ってくれる不動として信仰されてきました。1月28日は初不動の縁日で、明治の終わり頃からダルマ市の露店が立つようになりました。関東の納めのダルマ市として、関東一円から参拝客が集まり大変にぎわいます。

    麻生不動尊だるま市 2018

    上のビデオは、2018年1月28日に撮影した映像です。今年は晴れて更に参拝客も増えたように見られます。参拝客は、団魂世代が一番多いです。昔から1/28にやると決まっているので、平日に開催される確率が高く半数以上が女性客です。

    麻生不動尊幟
    麻生不動尊幟

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  • 麻生不動尊だるま市の写真


    露店位置
    だるま市の露店位置

    麻生不動尊前に置かれた露天商の車列だるま市の露店位置地図に書かれている下麻生1と言う文字の真下に道の分かれた個所がありますが、ちょうどそこで撮った写真が右の写真です。

    住宅街の小道が露天商の車列と化しています。掲載してある写真は、全て2011年1月28日朝に撮りました。

    麻生不動尊の屋台と人波露天商が軒を並べている界隈では、右写真のような物凄い混雑でした。

    露天の種類は…
    焼きそば・煮卵付き焼きそば・富士宮焼きそば・お多福ソース焼きそば・たこ焼き・飯蛸のたこ焼き・お好み焼き・モダン焼き・広島焼き・もんじゃ焼き団子・大判焼き・お焼き・上州団子・焼き鳥・シシカバブ・白コロホルモン・バナナチョコレート・飴・海産物・目刺し・シラス・ワカメ・金魚すくい・だるまなど…珍しいところでは、埼玉県川越市から出店された白蛇殿の祈祷コーナーもあります。

    露天商のだるま販売 この白蛇は、元々青大将が白化した突然変異によって劣性遺伝子が代々受け継がれてきたものです。そのような動物をアルビノと言います。アルビノは突然変異によってメラニン色素を合成できなくなった生物で、劣性遺伝のため通常個体との間にできた次世代では通常の体色となります。

    また、体色が白くて目立つため天敵に捕食されやすくなります。自然界でアルビノの出現は稀で、ハツカネズミやシロウサギのように飼育下で系統をコントロールすることで個体数が維持されます。

    白蛇を神として崇める風習が各地にあります。その一例として白蛇の脱け殻(脱皮によるもの)を財布に入れておくと金運が舞い込む。納屋や家屋に住み着くと、その家は栄えます。

    露天商のだるま販売 白蛇殿の白蛇は、1000円から白蛇に触らせてもらえます。2000円で白蛇の抜け殻と金運のお守りと白蛇を財布の上に置いてもらえます。私は2000円で祈祷してもらいましたが、赤い目をした白蛇のウネウネとする様子はかなりめんこいです♪

    麻生不動尊本殿 5000円をお布施すると、更なるプレミアとしてお守りと白蛇を首に巻きつけてもらえます。女の人は結構怖がるヒトも多いのですが、白蛇は大変おとなしいので怖がる必要はありません。

    水を飲んで育てられた白蛇は、格子の中で元気に動き回っていました。白蛇殿にお布施をすると、カラーコピーされたパンフレットがもらえます。そこには、招福開運!お金の運は白蛇にむすびついている…云々と書かれていました。

    本殿脇に捨てられただるま 右写真は、麻生不動尊の本殿です。ここでお坊さんが火を使って祈祷をします。最も麻生不動尊のだるま市が開催される日以外は、ひっそりとした住宅街となっているので普通の日に祈祷する様子を見るのは困難です。

    賽銭箱付近にも人波が押し寄せてくるので、移動するのも大変でした。天気が悪いと人波もまばらになるのですが、今年のだるま市は快晴だったので物凄い人々の数です。

    だるま市の露天商 本殿の脇に捨てられただるまが積みあがっています。これは燃やして処分するそうです。ここで買われただるまは一年間家庭で飾られたのち、麻生不動尊で処分されます。だるまが3000円以上するので、とても買うことができなかったです。

    その他の露天商も便乗値上げらしき高値で物品を販売しているので、あまり買う気にはなれません。唯一、海産物の露天商から干しエビだけを買いました。

    だるま市は今日だけのイベントですが、約8万1000人(麻生警察署調べ)の人出でにぎわいました。

    ダルマは、起き上がり玩具の一種で、転んでも起き上がるので縁起が良いとされ、 生産の豊穣・商売繁盛・開運厄除の縁起物とされています。

    ダルマは赤色のものがほとんどですが、この赤色はこどもの疱瘡避けの呪いとして喜ばれます。

    麻生不動尊幟
    麻生不動尊幟

    麻生不動尊碑
    麻生不動尊碑

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