Keietsu Sayama |
…いつもより目が醒めるのが早い。そうか!今日は金星の太陽面通過当日だった。という事で、昨晩札幌入りしていた私はベッドから飛び起きた。早速TVを付けて今日の天気予報を見る。「オホーツク海に高気圧がありますが、ヤマセの影響で道東はくもり、道央はくもりのち晴れ、道南はくもりのち雨、道北の宗谷地方と日本海側はヤマセの影響を受けないので一日中晴れるでしょう。」予想通り稚内が晴れるようだ。地元の弘前を出発するまでネットで天気予報と気圧配置を見て、稚内が一日中晴れることが分かっていた。昨年の南極皆既日食は行かれなかったので、金星の太陽面通過だけは是非とも見たかった。 | |
札幌発 8:30のスーパー特急宗谷に乗る。約5時間の列車旅。元々鉄道が好きなので時間が長いのは車窓でも見ていれば苦にはならない方だが、今回ばかりは少しやきもきしていた。…というのも、金星が太陽に潜入開始する第一接触が14:11に始まるからだ。稚内着13:28なのであまり時間に余裕が無い。でもこれしか列車のダイヤ編成がないことを考えると、潜入開始前に着くだけでも良しとしなければならない。今回は事前に日食掲示板の関東隊と連絡を取っていて合同観測することになっていたので、稚内駅で関東隊の車に乗って観測地に行けば良かった。 | |
地上から見上げると、北へ行くにつれて雲が薄くなるのが分かる。期待に胸を膨らませ、列車は稚内に向かう。その頃、関東隊は飛行機で北海道上空を移動していた。稚内到着が午前中なので、列車よりも早く着ける。やがて列車は稚内駅へ。関東隊で鉄道ファンであるTさんの顔が見えた。到着前の特急を撮ってから観測地まで送ってくださった。ノシャップ岬に着いたのは13:40。着いた途端、携帯電話が鳴った。群馬からの電話だが、そちらは全滅とのことで稚内は快晴だと伝えた。第一接触まで間もないので皆様へ挨拶もそこそこに慌てて機材の設置に取り掛かる。 | |
心の準備が出来ないままやってきたので、太陽の方角もなかなか合わない。とうとう金星が太陽に潜入してしまったのだが、相変わらず太陽すら導入出来ずに緊張はピークに達していた。皆既日食の場合は、部分日食から始まるから前半部分は比較的落ち着いて観測できる。ところが金星が潜入するところはある意味クライマックスだから、この機会を逃したくなかった。ピントが合わないまま第二接触であるブラックドロップ現象を迎えた。現像してみたら案の定、潜入時間とその数枚は写真がブレていたりピントが合わなかった。今更ながらもう少し時間が欲しかった。 | |
第二接触のブラックドロップ現象を撮ってから金星は日没まで太陽面を通過するだけなので、10分おきに金星の移動する様子を記録。この頃になってやっと余裕が出来たのか、隣の女性の機材を拝見させて戴いた。その奥に二人観測者が居たが、聞き覚えのある声がしていた。なんと日食情報センターの方で、3年前のザンビア皆既日食で御一緒したW氏とI氏だった。今回は日食掲示板の仲間だけで観測するはずだったのだが、知っている人達なので仲間が増えた気がする。早速挨拶を済ませた。W氏は以前日食掲示板に参加していたが、ここで再会するとは… | |
稚内でも快晴の日は真夏の日差しが降り注ぎ、結構暑かった。最初から半袖で観測していた方もいる。Oさんは事前に観測スケジュールを立てていて、撮影スケジュール表が数字でびっしり埋まっていたのには驚いた。10分おきに撮影すればアニメにしても面白いから、私は携帯のアラームを10分おきに鳴らして撮影のタイミングを取っていた。すると皆さん携帯のアラームに合わせて写真を撮るようになった^_^;; やがて陽が傾き始め、気温も下がってきた。途中地平線の雲に隠されながら太陽は確実に地平線へ向かって行く。19:10にフィルターを外して太陽を撮る。 |
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先に金星が地平線の雲に隠されて、これから8年後まで金星の太陽面通過はお目にかかれなくなった。もうすぐ日没…と思った瞬間、自然からの素晴らしいプレゼントをいただいた。太陽の上縁が大きく歪んで伸びたかと思うと。一瞬緑色に光った。見間違いでなければ、これが人生初のグリーンフラッシュだ。2002年12月4日のオーストラリア皆既日食も皆既終了後、部分日食のまま太陽は地平線に沈んだのだが、砂漠の砂が乱反射したのかグリーンフラッシュはお目にかかれなかった。まさか稚内で見られるとは!!日食掲示板の仲間達も雄叫びをあげて大興奮していた。 | |
感動のうちに観測は終了した。日没後の薄明が我々を照らしている。関東隊のレンタカーで稚内駅近くの宿に向かう。日食情報センターの二人は別の車で、家族連れのTさんを除く4人がOさんの運転する車に乗った。私の隣で観測していたI女史は、稚内入りする前に別の宿を予約したらしい。女史とTさんを除く我々は同じ宿だった。稚内駅近くの宿に着き荷物を部屋に入れた。ものの10分もしないうちに祝勝会が始まるのでロビーに集まる。その途端、地元新聞社から取材の電話が入ったが、列車で帰るのに時間が掛かるため金星の太陽面通過の写真をすぐには提供出来ないと伝えたのでボツ記事となる >_< | |
祝勝会場となった飲み屋は、50m位しかない路地の手前にあった。これが稚内の繁華街なのだろう。奥座敷はTVが見える良い位置なので、今日のTVで誰がインタビューされたのかよく分かる。観測中はOさんとI女史、子連れのTさんがインタビューを受けていた。まずは観測成功の祝杯をあげる。それぞれ過去の日食やグリーンフラッシュが見られたことを語り合う。皆さん酒が回ってきた頃、仲間がTVに出てきた。やはり子供連れの観測者が少なかったのか、Tさんの露出度は高かった。地元のテレビ朝日系列ローカルニュースにも再び出てきて大いに盛り上がった♪ | |
祝勝会に参加したのは、日食情報センターI氏とW氏。日食掲示板のSさんとOさんと管理人。飛び入り参加で仲間となったI女史の6人だった。翌朝、本来なら廃線跡観光で美深に行く予定だったのだが、新聞調達と宗谷岬観光を優先したので美深行きはキャンセルした。相変わらず今朝も早く起きた。朝食は7:30なので宿に置いてあった新聞を見た。北海道新聞と他の新聞は駅の売店で買うことにして、日刊宗谷という見慣れない新聞があった。朝食を食べ終わり、先に日刊宗谷の本社で新聞を買おうとしたらSさんが来た。なぜか日刊宗谷は玄関が閉まっていた。 | |
その新聞は駅の売店にも売っていなかった。売店で目的の新聞を買って宿に戻り、日刊宗谷の販売所を電話帳で調べた。どうしても欲しいので執念で捜し宿の主人から住宅地図を借りて場所を確認。事前に10部買うので用意して欲しいと販売所に伝えた。 Oさんの準備が整い、荷物はロビーに置くことにして先に日刊宗谷の販売所までSさんを入れた3人で向かった。往復で30分も時間を掛けたが、何とか数部Getできた。我々が金星の太陽面通過を見るために遠くからやってきたことを伝えると販売所の方が気前良く数部下さった。我々はすっかり気を良くした♪ |
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宿に戻り、日刊宗谷を全員に渡した。残った新聞はみちのく天文サークルの会員に渡す予定だが、新聞を二部以上必要とする方がいないので、残りはそのままもらった。その足で稚内観光へ行き、観測地ノシャップ岬に舞い戻る。昨日の観測地は、日食情報センターの方が選定して日食掲示板の仲間が相乗りしたとのこと。ただ漠然と、海に沈む金星の太陽面通過を見たいがために“ノシャップ岬に行きます”…と掲示板仲間には伝えたが、海岸のどこかで観測するくらいにしか思わなかった。もし駐車場設備や施設が整わない田舎を選定していたらどうなっただろう… | |
稚内は、南極で一年間置き去りにされた樺太犬タローとジローの故郷で、NHKでも特集された第一次越冬隊のプレハブが置いてあった。国鉄寝台列車の二等より設備が悪いが、当時はこれで精一杯なのかも知れない。逆に現代の我々が贅沢をしすぎなのだ。せっかく稚内に来たのだから宗谷岬へ行くことになった。宗谷岬に着いた途端携帯電話が鳴った。家族連れのTさんは先の便で帰るらしい。どうもお疲れ様でした。我々は日本最北端の碑の裏側まで回り、日本最北端の最北端を経験した。他の観光客が最北端の碑から居なくなるのを見計らい記念写真を撮る。 | |
そこから歩いて50mの高台に登った。そこは大岬旧海軍望楼である。大岬とは宗谷岬になる以前の名称で、この望楼は1902年に建てられた。一世紀以上も宗谷海峡を見つめてきた。大韓航空撃墜事件の慰霊碑などが立ち並び、平和の鐘もあった。宗谷海域海軍戦没者の慰霊碑もあった。これらを見ていると宗谷岬は、やはり国境の岬なのだなと思い知らされる。日食情報センターのI氏が1981年7月31日の皆既日食に伴う部分日食を見るため宗谷岬に来ていた。当時は東西冷戦の頃で、自由に樺太までは行けなかった。ここで87%欠けた太陽を見たそうである。 | |
私が初めてロシアに入国したのは1997年3月9日の皆既日食に伴うツアーだった。その頃はペレストロイカが進み、街には商品が溢れ、ロシア人も生き生きとしていた。シベリアのチタで買物をしたが日本人は中国人に見間違われるようだ>_< 宗谷岬の寒風はさすがに堪えた。ジャケットを着てきて正解。昨日とは天候が逆になった。もし昨日がこんな天気なら美深で降りて、美幸線の廃線跡を観光しただろう。その後、日本最北端の宗谷岬郵便局で記念貯金を終えて稚内駅に向かった。レンタカーで色々連れて下さったOさん、日食情報センターの皆様、I女史、Sさん…皆様本当にお世話になりましたm__m |