日本の北端で見た金星の太陽面通過
日本の北端で見た金星の太陽面通過

もくせい

 14時12分過ぎ、私は1995年のタイ皆既日食以来、海外遠征の際に使用している6cm屈折望遠鏡で太陽の一角を眺めていた。食の開始時間を過ぎてもそのものが姿を現さない。アイピースを急いで交換して太陽全体が見えるようにした。あった・・・考えていた部分よりもずいぶん違った場所で確実にその物体は太陽面を侵食しようとしていた。急いで拡大し、慌てながらも撮影を開始した。こうして130年ぶりの金星の太陽面通過は慌しくスタートした。場所は北海道稚内市にあるノシャップ岬、周囲には同じ目的で集まった仲間がいた。

 ここで今回の金星の太陽面通過の概要を述べる。ほぼ1年前の5月7日、水星の太陽面通過があったばかりだが、このときは太陽の北の方を横切って行った。今回はその逆で南側を横切って行くものである。時間は日本国内でも若干の差はあったものの2004年6月8日(火)の14時12分ごろ太陽面の中に金星が入り始め(第1接触)、17時13分ごろ食の最大、金星が太陽面から抜ける(第4接触)のは20時19分ごろなので、最後の最後までは見ることができない。
 世界的に見て最も条件が良いのが中東である。事実アラブ首長国連邦のドバイへの観測ツアーの募集もあったほどである。その他、イラン、イラクやサウジアラビアも条件が良い。ヨーロッパも太陽高度が低いと思われるが、全経過が見られる位置にある。反対にアメリカ西海岸は今回の現象とは縁が無い。ハワイもギリギリで外れてしまっている。

 私にとって金星の太陽面通過との最初の出会いは中学校1年のときである。無論実際に眺めたわけではなく写真(スケッチ)である。そこには太陽面を横切っていく金星の姿で、大気があるので周囲はリング状に光っているものである。このような光景を自分の目で見たいと思った。今回の太陽面通過は、1874年12月以来約130年ぶりの天文現象だったので是非とも観望したいと思った。しかし、今回の現象で大きな壁、いや最も大きな壁は天気ある。6月8日といえば梅雨に入るか入らないかの時期、過去の天気図などを眺める日々が始まった。本州でも晴れる年があるがそれは数年に一度、それに対して北海道や東北の日本海側は晴れる可能性が高い、逆に日本列島沿いに前線が停滞し全滅になる可能性もあることが分かった。今年の5月は天候不順で5日早朝の皆既月食や中旬から下旬の2彗星(ニート彗星(C/2001 Q4)及びリニアー彗星(C/2002 T7))はパーだったので、せめて6月は空梅雨であってほしいと願った。

 今回はこのように天気の様子が不安定だったので、いろいろなところに遠征することや、その場所によってどのような機材を持っていくのかを検討した。ひとまず自宅で観測することはもちろんとして、地元よりも梅雨前線の影響を受けにくい某県某町にある観測所や、前線が本州付近に北上した場合は晴天になる沖縄に行く場合などのいろいろなケースを考えた。観測館で行なう場合はCCDで撮像する予定だったので、CCDカメラの他パソコン持参しようと計画した。それに対して沖縄は機材のすべてを持参する必要があった。この場合は、重い赤道儀などの機材を宅配で宿泊するホテルに発送しようと思った。しかしそれでは天気が急変した場合、身動き出来ない可能性もあった。某県の海沿いでも去年5月の水星の太陽面通過のように雨天でも、内陸で雲が切れることがあるので、知り合いの観測所で観測することも考えた。この場合も自分で機材を調達する必要があった。もちろん、運良く自宅での天候が良好な場合は、パソコンの電源が確保できる自宅マンションのベランダで撮像することにした。

 6月1日(火)、8日までの週間予報が発表された。天気はこの貴重な天文現象とは関係無い!と言わんばかりの沖縄を除いて曇りや雨の予報であった。しかし、予報が外れることが多いので、大勢は土日(5日,6日)に分かると思って気持ちを落ち着かせた。しかし日を追って予報は悪化した。翌日発表の予報では、沖縄の晴れも消えて南大東島のみに晴れマーク。沖縄だったら日帰りできるかも知れないが、この南大東島はとても日帰りできない場所、外は先週発表の週間予報と異なり晴天!今晴れても無駄だ!と文句を言いたくなるような天気であった。大勢は6日ごろ分かるとは言っても不安で一杯であった。3日(木)は予報がさらに悪化した。ついに南大東島の晴れのマークも消えてしまったのである。「こんなのありかよー」と叫びたくなった。遠征も考えて準備を進めていたが、この予報で正直やる気が無くなったのは確かであった。

 4日金曜日、外は憎たらしいほどの快晴である。関係ないときに晴れやがって!と思わずにはいられなかった。気象衛星ゴーズ9号の写真を見ても日本付近に晴天域が広がっているものの、大陸から低気圧軍団、南からは動きの遅い低気圧とおとなしくしていた梅雨前線が北上をはじめ晴天域が徐々に狭まっていた。しかし、この日の朝出社する前に、以下のHPの予想天気図をチェックすると北海道方面に弱いながらも高気圧が張り出す予報になっていた。これはひょっとしたら大丈夫かもしれない、全滅ということは避けられるかもしれないと思った。事実、この日の昼に発表された週間予報では、北海道各地の天気が軒並み「曇り時々晴れ」に変わってきたので、少し希望が見え始めた。
参考サイト……http://www.aganet.or.jp/kisyou/gsmchart/ag_gsmchart.html

 5日の土曜日、8日が目前に迫ってきた。またしても予報は北海道の晴れのマークは消えてしまった。早朝、これまでの皆既日食遠征に使用したスーツケースを送ってもらうように実家に連絡したが、あいにくお袋は不在だった。予報が予報だったので、翌日の予報で晴れ間が出たら再度ケースの発送をお願いしようと思った。候補地としていた観測所も望遠鏡の故障及び悪天予報だったので某県への遠征はこの時点で断念した。最悪、下手に遠征しないで、東海上に離れた高気圧が強化・梅雨前線を押し上げて晴天をもたらすことを期待して踏みとどまった方が良いのでは?とも考えた。このころ、今年は天文現象が豊富なのに天気で全滅してしまうのはないか?と最悪のことも考えた。皆既月食、彗星、すべて楽しみにしていた現象が悪天に阻まれ、これで金星の太陽面通過も見られなかったら天文現象に関しては最悪の年になるのはないか、そう思いたくなるような心境であった。

 6日日曜日、ついに明後日の予報である太陽面通過当日の8日の予報が発表された。稚内:曇のち晴、沖縄本島:晴のち曇という予報で、まさに日本の北か南かへの究極の選択である。さて、どちらにしようか?ただ、梅雨前線は南下傾向だったので稚内に分があると思った。これはメッシュ予報や雲発生予報を見ても同じであった。いずれにしても遠征すれば観測できそうな気象状態になったので、実家に再度スーツケースを発送してくれるようにお願いした。それと同時進行でこれまでの日食遠征で使用した機材をまとめ始めた。撮影計画も北海道と沖縄のいずれかで観測を行なうことを想定していった。現象2日前の夜に遠征準備開始というのは、これまでの海外遠征を含めて最も慌しいスタートであった。最後の関門は、飛行機の空き状況である。いくら目的地の天気が良くても交通機関(飛行機の空き)がなくては何もならない!沖縄はさすがに便が多く便利である。日帰りも充分可能である。対する稚内は便数が少なく日帰りは不能である(遠征することを想定して8日・9日の休暇申請はしていたが・・・)。飛行機の空き状況をインターネットで調べたが、稚内便は充分空席があることが分かった(沖縄は便が多いので特に心配はしませんでした)。早くチケットを購入した気持ちがあったが、気象状態が確定しないうちは下手に購入してはいけないと思った。予報も変わる可能性があったので、この時点ではチケットの購入は8日に空港で行なうことにした。
 この日の夜に再度気象状況をチェックした。さすがに現象の時間帯の雲発生予想やメッシュ予報が発表される。それによると稚内の晴れの予報は確実になり、沖縄の天気はかなり不安なものになっていった。こうして遠征先はほぼ稚内が確定した。ただし、梅雨前線の雲が盛り上がってきた場合、たちまち曇り空になる可能性も考えられたため、不安が完全に無くなったわけではなかった。航空機のチケットの購入は、翌7日(月)の11時発表の予報を見て最終決定をしようと思った。

 7日月曜日、金星の太陽面通過前日である。さすがに天気予報が気になって早く起きてしまった。予報では沖縄の天気が悪化していた。それに対して稚内の天気は晴れのマークであった。それは日中発表された予報でも7日は曇りのち晴れ、8日は晴れ、9日は晴れのち曇りということで、メッシュ予報や雲発生予報でも稚内周辺は晴天。この時点で稚内行きを最終決定。会社の昼休みを使って往復の航空機のチケットを確保した。宿は現地で決めようと思った。稚内の場合は、観測地として一緒に観測する仲間(メーリングリストの隊長)からノシャップ岬周辺が提案された。会社の同僚に確認したところ、駐車場はあるし西の見晴らしも良いということでノシャップ岬にすることにした。現地での移動はレンタカーを考えていたが、これは当日羽田空港での待ち時間を見て予約することにした(空港の営業所が17時で終了になっていた)。この日は心配された飛込みの仕事もなく、17時過ぎに会社を出発。フィルムを調達するためにYバシカメラに向かった。空は朝までの大雨も止んで青空が広がり始めていた。夜も晴天が続いたが、私は実家から届いたスーツケースに赤道儀や三脚などをエアパックで包みながら機材の漏れが無いように梱包していった。フィルターはこれまでの日食観測で使用したものをそのまま使用することにしていたが、予備のフィルターも持参することにした。また何らかの応急処置に役立つと思い、ガムテープやはさみも持参することにした。この日の夜に発表された予報では稚内は晴れ時々曇り、関東も南部では曇り時々晴れ、沖縄は雨の予報であった。関東でも何とか見られそうな雰囲気であったが、不安定な天気では機材を長時間そのまま外に置くのは危険で、満足に見ることはできないと考え、遠征準備を進めていった。

 8日、いよいよ金星の太陽面通過当日である。さすがに天気が心配になって4時ごろに起きてしまった。24時ごろに寝たので、約4時間程度の睡眠である。5時に天気予報が発表されるので、それまではベットで横になっていた。待つこと約1時間、ついに予報が発表された。稚内を含む北海道宗谷地方は北海道の日本海側から高気圧に覆われ、地域予報も晴れ、地域予報、メッシュ予報でも晴れということであった。ほっとしたが、日本海中部には北のほうに盛り上がっているような雲の塊があり、完全に心配が無くなったわけではなかった。関東地方もこの時点では晴天であるが、午後から天気が下り坂になるということ。正直遠征してよいものかとちょっと悩んだ。7時まえに自宅を出発し、金星の太陽面通過稚内遠征が正式にスタートした。

羽田空港には9時前に到着することができた。外は所々に雲が広がっているものの晴天、晴天を求めて遠征する身にとってはちょっと複雑な心境であった。しかし、「不安定な天気」を裏づけするように黒い雲が西の方に広がっていた。機内預け荷物が23kgであったが、職員からは何も言われなかった。手荷物検査時にフィルム(X線除けの袋に梱包)があります、と言ったら丁寧に中身をチェックされた。これまでの飛行機を使った遠征(いずれも海外)と異なり言葉が通じる相手だったので気が楽であった。
飛行機は予定通り羽田を出発(9時45分ごろ)、旋回してしばらく経つと雲が広がっていた。どうやら晴天は空港周辺のみであることが分かった。雲は次第に厚みを増していった。
機中の後半分は明らかに観光客のおじちゃん、おばちゃんの団体で満席の状態であったが、前半分はそれ以外の方であった。飛行機に向かうバスの中で見覚えのある顔、2002年のテニアン島金環日食で知り合った日食情報センターの方であった。挨拶をした後、今日の予定を確認した。今日中に帰えらなければならない人は空港周辺で観測、それ以外はノシャップ岬に移動して観測するということ。ノシャップ岬で再度お会いしましょうということで一旦別れた。それ以外にも明らかに同業者と思われる人が機内にいた。特に日食情報センターの前の座席の人は彗星の写真を何枚も広げていた(後から分かったのですが、沖縄のS君でした。彼とはノシャップ岬でも会った。)

 11時過ぎになった着陸まで約30分になった。そろそろ北海道である、稚内はまだ先であるが天気が気になる。雲が広がっているものの大きな山が(地形からして火山)見えてきた。近くに海が迫ってきたので恐山かと思ったが、あと30分でまだ青森上空では遅すぎる。座席に置いてある航空路を示した冊子を眺めたどうやら札幌の北東にある山(厚寒山)であることが分かった。このころから飛行機は高度を徐々に下げ始めていた。まだ雲が広がっていたものの、稚内に向かうにつれて薄くなっていくのが分かった。下層の雲が無くなってきた。上層雲も次第に遠ざかっていくのが分かった。遂に利尻・礼文島が見えてきた。雲が無い晴天で両方の島ともきれいに見えた。あの礼文島で1948年にきわどい金環日食が見えたのか・・・と思った。飛行機はノシャップ岬を眺めるように空港に向かった。その沖合いにはサハリンも見えた。ノシャップ岬を眺めながら、あそこのどの場所で観測しようかと考えた。飛行機は無事稚内空港に着陸、空は快晴。わずかに南の方に上空のうす雲が見える程度であった。

今回の遠征では、同じメーリングリストの仲間と一緒に行動する計画であった。携帯の電源を入れた上で仲間を探し始めた。到着ロビーに向かうとき、私のハンドルネームを呼ぶ声、無事に合流することができた。子供を含めて合計6人、汽車で向かっている人(メーリングリストの仲間の隊長)は、到着が13時30分ごろなので一旦解散し、再度ノシャップ岬に集合しましょうということになった。私は同乗を約束した仲間(住所を確認すると番地まで一緒!ちなみに去年11月の南極皆既日食を観測されたそうです)と共に空港のレンタカー屋の受付に向かった。
 レンタカーの受付で手続きに入っていると重そうなスーツケースを引いた女性が近づいてきた。金星の太陽面通過を見に来た方ですか?と聞いてきたので仲間がそうですよと答えると、一緒に観測に行っても良いですか?と聞いてきたので、仲間が増えることは嬉しいので快諾した。話を聞いてみると皆既日食遠征を何回も行なっている感じだった。さすがに荷物が増えたので、レンタカーのサイズも当初予定していたサイズよりも大きな車種に変更、12時過ぎには手続きも完了。ちなみに同じレンタカー屋には新潟のNさんがいた。途中のコンビニで昼食を調達することにして、太陽の光が降り注ぐ中ノシャップ岬に向かった。

 稚内は南北に長い町並みで周囲には人家がまばらなことを考えると人口4万人程度といっても大都市であった。さすがに道路は広く、車もゆったりと走っていた。コンビニはセブンイレブンやサンクス、ローソンはなく、地元のコンビニしかなかった。そのような町並みを抜けて目的地であるノシャップ岬に向かった。
ノシャップ岬には出発前にYahooの地図を調べて、稚内市青少年科学館、ノシャップ寒流水族館があることが分かっていたので、この敷地内で観測できればと思っていた。しかし、現地に行ってみると駐車場はあるものの、望遠鏡を適当に広がられる広場がなかった。展望台は観光客が押し寄せてくるので駄目、近くに適当な観測できそうな場所は無いものかと科学館の職員に確認を取ったりした。海辺の広場は車道になっているので駄目だった。我々が悩んでいるところに空港で一旦別れた日食情報センターの方々も到着、早速場所の選定にかかっていた。彼らは水族館の壁沿いの敷地に望遠鏡の設営を始めた。確かに車の通り道ではなく、西の見晴らしも良い。我々もその隣に望遠鏡の設営を始めた。時間は13時を回り、太陽面通過まで一時間を切っていた。慌しく望遠鏡の設営が終わった後、コンビニで調達した昼食を取った。この時点で太陽面通過開始まで30分を切っていた。このころ汽車で向かっていた隊長を迎えに行った家族連れのメーリングリストの仲間も到着。隊長は挨拶もそこそこに機材の設営にかかっていた(つまり、時間が無い…)。このとき13時50分を回っていた。私は機材の最終チェック、仲間が持参してきた方位磁針を元に極軸合わせを行なった。さすがに北緯45度は赤道儀の傾きが大きくなっていた。

 14時を過ぎると次第に緊張が走り始めた。設営を始めてから1時間も経ってないので、準備不足は否定できなかった。太陽の東西方向の確認もままならなかった。おまけに極軸も完全に合っていたわけではなかったので、赤経・赤緯の微動を頻繁に調整して太陽が視野から逃げないよう必死になった。
 撮影計画では接触時は強拡大で30秒おきに撮影しようと考えていた。しかし、慌しくなることを考えて1分おきに変更した。また太陽全面に対する金星の位置の変化も追いたかったので、拡大写真を10分ごとに撮る他、30分ごとに拡大率を下げた写真も撮影するようにした。また金星を抱いたままの日没になるので、この瞬間も連続的に撮影することにした。(正直、準備不足でどの写真も完璧に成功ではなかった…)

 接触の時間が迫ってきた。慌しくフィルムを装てんしてそのときを待った。去年の水星の太陽面通過の経験から潜入位置に望遠鏡を向けた。カメラのファインダーに瞳が反射するので、寒さ対策で持参したジャンパーを被ってである。しかし予報時刻を過ぎても金星の姿は見えない。1分が経過した、2分が経過したところでどうもおかしいと思った。だれも金星に気が付かない。しかし、しばらく経ってから金星が見えた!との声があった。私は接眼レンズを太陽全体が見えるものに交換した。急いでピントを調整して太陽面を注視した。すると考えていたよりもずっと離れたところで潜入が始まっていた。水星に比べはるかにデカイ丸い影が太陽面に入り込み始めた。しかし、図鑑で見たような周囲がリング状に輝いているのは分からなかった。とにかく急いで接眼レンズを交換(このときに太陽全体の写真を撮ればよかったのですが、後の祭り・・・)して、金星を視野の中心に移動させようと思った。しかし、極軸が正確に合っていない上に、どのハンドルやボタンを動かせば太陽(金星)が中心に入るのか分からなかったので、本当に四苦八苦しながらようやく視野の中心に金星を移動、当初の計画より数分も遅れて撮影を開始した。ピントも正確に合っているかどうか不安であったが、とにかく1分おきに撮影していった。

 金星は徐々に太陽面に入り込んでいった。30分を過ぎると第2接触が迫ってきた。今回の金星の太陽面通過で最も注目されているブラックドロップの瞬間が迫ってきたので、撮影間隔を30秒に変えて、その変化を追うことにした。金星はすべて太陽面に入り込んだ。接触面が水滴や橋のように見えるようなことを期待したが、それらしい現象は結局みられずあっさりと潜入が終わった。それからしばらくして30秒おきの撮影は中止、2時50分過ぎからは当初の予定どおり10分おきの撮影に切り替えた。空はうす雲があるものの、ほとんど快晴の状態であった。

 接触が終わって多少気が抜けたころから観光客が数人足を止めていった。撮影の邪魔にならない程度に太陽を見せていた仲間もいた。また何人かは科学館に入場して投影板に映し出された太陽を眺めに行った。私は10分おきに撮影していたので、望遠鏡のそばを離れることができなかった。北国とは言っても日差しが強く、気温が17度程度とは言っても半そでで丁度良かった。テレビ局も取材に来たので、インタビューに答えたりした。いつごろ稚内に入ったのか?どこから来たのか?というような質問を受けた。
 15時を過ぎるともう一つしなければならないことがあった。宿泊先を決めることである。しかし、観望している場所が博物館の壁に迫っているので携帯電話が繋がらない状態であった。私は電波の通りの良い場所まで移動して、宿泊先のリストから最も安そうな駅に程近い宿を予約した。そこが空いているのが分かると仲間も相次いで同じ宿に予約していた(家族連れで来ていた仲間及び空港で会った女性は遠征前に別の宿を予約していた)。このころ肉眼での日食観望用に以前購入していたV社のフィルターで太陽を眺めた。すると太陽面の9時の方向に黒いポッチが・・・今回の現象は肉眼でも充分見えることが分かった。このころになると余裕が出てきて自画像の撮影も行なった。
 空は風もなく穏やかな晴天が続いていた。科学館の人から話を聞いた仲間によると、稚内付近は晴れていてもガスが出ており、風も強いとのことであった。このように風もなく穏やかに晴れているのは珍しいそうである。
 16時30分過ぎると金星は太陽面のより中心に移動していった。接触時以来、金星を中心に横方向を長辺として撮影していったが、このままでは回りが全面太陽面になってしない、白い太陽面に黒い円盤という傍目にはどのような写真になるのか分からない写真になってしまう。エッジが入らなければ太陽面に対する大きさが分からなくなってしまうので、カメラを90度回転させて撮影を進めていった。
 17時を回ると太陽高度が下がってきたのが分かった。同13分は食の最大である。接触時以外では動きが少ない今回の現象の中ではある意味で区切りというべき瞬間である。ここでは持参した接眼レンズで拡大率をそれぞれ変えて撮影した。ただ、皆既日食と比べ最大になった瞬間がほとんど分からなかったので、食の最大といっても実感が沸かなかった。食の最大を過ぎるころから雲が横切り始めた。10分おきという撮影計画が徐々に崩れ始めた。しかし、これよりも金星を抱いたままの日没を撮影したかったので、そのときの好天を願った。18時30分を過ぎると太陽高度はさらに下がり始め、シーイングが悪化していった。丸いはずの金星が次第にいびつになっていった。大気による減光も大きくなり、撮影のたびごとにカメラの露出計チェックすることになった。
 このノシャップ岬は日没を撮影する人も多いので、水族館の外壁にはその日の日没時間が掲示されていた。この日は19時20分であった。(関東では18時55分ごろ日没だったので、20分以上より長く経過を見ることができる!)そこで現在の拡大撮影は19時ごろに終了、フィルムを装填しなおして日没を撮ることにした。そうして19時になった。金星はアメーバ状態になって、これ以上拡大撮影を継続しても無駄だと思って、拡大撮影を中止した(19時6分が最終)。最も視野が広いLV25mmによる拡大でも太陽が画面いっぱいになってしまうので、日没は直焦点で撮影することにした。このころ肉眼で太陽を眺めると金星の黒いポッチが太陽面の7時と6時の間に移動してきたのがわかった。
 日没が迫ってきた太陽はだいぶいびつになってきた。しかしまだ水平線からの高度があったことと、透明度が良かったせいかNoフィルターでは明るすぎた。19時14分過ぎから撮影をはじめていった。太陽は次第に赤みを増していった。ためしにフィルターを外したところまだ明るいので慌てて装着した。数枚撮った後で太陽を眺めると水平線まで間があるのに消え始めていた。大陸に隠れてしまったかと思ったが、距離がありすぎる。何と水平線に沿って雲があったのである。そのため金星を抱いたつぶれた太陽は数枚しか撮れなかった。太陽はどんどん沈んでいった。フィルムは余っていたのでせっかくだということで撮影は進めていった。高度による露出補正も限界にきたので、フィルターをついに外した。多少まぶしかったものの撮影を再開した。
 太陽の輝いている部分はどんどん小さくなっていった。太陽が雲からわずかしか顔を見せなくなった状態で、私は撮影しながら太陽面の変化に気がついた。沈む直前に太陽面からの光がわっと左右に広がったかと思ったら、緑色に変わった。一瞬、グリーンフラッシュ?かと思った。でもグリーンフラッシュは本当の地平線・水平線でしか見えない、今回は雲の向こうに沈んでいったのでまさかと思った。そう思うまもなく太陽は雲の向こうに消えてしまった。慌てて周囲の仲間に確認する。皆沈む直前に太陽の残った部分が緑色に見えたという。間違いなくグリーンフラッシュであった。生まれてはじめてみたグリーフラッシュが何と金星の太陽面通過で遠征したノシャップ岬で見られるとは思いもよらなかった。その後も太陽は水平線に広がっていた雲越しに所々見えていたが、その光もなくなり太陽は完全に沈んでいった。その瞬間、観測の終了と大成功に拍手が沸き起こった。
 太陽が沈むと急速に寒くなり始めた。急いで機材の撤収にかかった。天気もほぼ恵まれて観測できたので、心地よい疲労感であった。私自身、これでゆっくりと休むことができると安堵した。20時前には撤収を完了、ノシャップ岬は普段の静けさを取り戻した。
 20時30分からはホテルの近くの居酒屋で打ち上げが行なわれた。居酒屋ではテレビがおいてあり、太陽面通過のニュースも放映されていた。我々の仲間の一人のインタビューがあった(本人は不在だった・・・)。その後12時近くになって北海道版の「今日の出来事」でノシャップ岬での観測風景が放送され、インタビューに答えている私の姿が放映された。一同爆笑!!北海道内だけの放送だったので、我々以外に気がついた人はいないと思った(ちょっと残念)。

 翌9日(水)は慌しくも帰る日である。7時30分からの朝食会場に行くと仲間がすでに食べていた。新聞も置いてあり、各紙とも第一面で取り上げていた。その後、駅の新聞ステーションに行き、各新聞を購入したのは言うまでもなかった。しかしホテルに置いてあった「日刊宗谷」が見当たらなかった。そこで仲間(隊長)がホテルの女将さんからスタンドを教えてもらい、購入に行くことになった。その新聞スタンドは宿から車で10分程度離れたところにあった。新聞の受け渡しは隊長がしていたらしくすでに用意されていた。その新聞で掲載されていた写真は科学館の望遠鏡で投影された太陽面であった。9時過ぎには宿を出発した。外は昨日と打って変わって曇り空。風も強く寒い、昨日は特別にいい天気だったことを改めて実感した。
 飛行機は15時過ぎだったので、それまでは稚内周辺を観光することにした。まず昨日観測場所としたノシャップ岬にあった科学館に行った。ロビーには1986年及び1993年の水星の太陽面通過の写真やHB彗星の写真が展示してあった。その後は北海道最北端の宗谷岬に足を伸ばした。ここには「日本最北端」のモニュメントのほか、サハリンと大陸が繋がっていないことを(間宮海峡)発見した間宮林蔵の銅像もあった。近くの高台には1983年9月に起きた大韓航空機撃沈の慰霊碑もあった。日食情報センターの人の話では、1981年7月31日の皆既日食は皆既帯がサハリンを通過したため、日本各地でも食分の深い部分日食が観測された。特にこの日本最北端の宗谷岬では87%まで欠けたので多くの観測者が訪問、雲が多い天気だったものの観測できたそうである。今だったら相当の人がサハリンに押しかけたと思ったのに、当時の世界情勢ではやむ得ないと思った。ここでは日本最北端のため、ガソリンスタンドや寿司屋などが「日本最北端の・・・」と銘打っていた。
 昼食をとった後、まだ飛行機まで時間があったが早めに空港に向かうことにした。その前に汽車で帰る隊長を送りに稚内駅に向かった。第1接触から丁度1日が経とうとした。空は曇り空、一日違いとは言え、昨日がこの天気ではなくて安堵した。もっともこの天気ではこの地に遠征していないと思った。

 駅で隊長と別れた後、一路空港に向かった。結構余裕で到着して、チェックインも終わった。札幌経由で大阪方面に向かう女史とも別れて一路羽田に向かった。上昇中、短い滞在だった稚内の町並みを眺めていった。飛行機の中には今日の新聞があった。なぜが大阪方面の新聞であった。同じ系列なのに札幌支局と大阪支局では異なった写真を掲載していた。いくつか頂いたのは言うまでもなかった・・・・。飛行機はほぼ定刻どおり17時ごろ羽田空港に到着した。空港で手荷物を受け取って解散、慌しくも大成功であった稚内遠征は一区切りがついた。
 帰りは経路の途中駅まで仲間(日食情報センター)に送ってもらった。当初の予定ではそのまま電車を乗り継いで家に帰ろうと思ったが、写真がどのような出来なのか心配であった。せっかくの写真なので、処理が着実なところに現像をお願いしたいとの思いで疲れた体に鞭打ってYバシカメラに直行した。最終的に家に帰ってきたのは19時過ぎ、出発してから約36時間で帰ってきたことになった。帰りは雨の中を駅から自宅までスーツケースを引いてきた。こうして金星の太陽面通過の稚内遠征は名実ともに終了した。

 こうして大成功のうちに終わった金星の太陽面通過、今度は2012年6月6日で、またしても水曜日という平日である。今度は今回とは異なり日本では天気に恵まれれば全経過が観測できるが、梅雨ということを考えるとスコールの心配があるもののサイパンやテニアンも観測地として挙げることができるかも知れない(図17、18)。この年は、この太陽面通過のほかに5月21日に本州南岸を横切る金環日食、6月4日(つまり太陽面通過2日前)に部分月食、8月14日の明け方に金星食など天文現象が豊富な年である。しかし、今年同様天気に泣かされる可能性もゼロとは言えない。この年は天気に恵まれてすべての天文現象が満足に観望できることを願ってやまない。
 今回は太陽面通過の全経過が見られなかったのは少々残念だった。しかし、金星を抱きながらの日没(日出も)もタイミングが重ならなければ決して見られない現象であった。一生に一回の金星を抱きながらの日没を眺められた2004年6月8日は仲間と観測できたことを含めて決して忘れることは無いだろう。

今回の反省を踏まえて、次回の観測では以下のことに気をつけようと思う。
  • 第1接触時は正直どこから金星が潜入するのか分からない。最初の2分程度は犠牲にしても太陽面全体が入る拡大率にして撮影を開始、金星を認めてから拡大率を上げても遅くは無い。
  • 第3接触〜第4接触時(今回は見られなかった)は、金星が第1接触とは逆に金星が見えなくなっていくので拡大率を上げてもOKで、接触時の撮影はこの方がやり易いと思う。
  • (今回見られなかった人には不謹慎であるが)第2接触から第3接触の間は大きな変化が正直無い、正直退屈になる。
  • 皆既日食はメインの第2接触まで時間があるのでピントの調整も充分できると思う。しかし太陽面通過は接触時がある意味メインなので、皆既日食以上に時間に余裕を持ったセッティングが必要である。ピント合わせやフィルムの装てんなど少なくても30分前には準備を完了させるべきである。
  • 季節柄、日焼け止めは必要である。特に高緯度でも太陽の光は強烈である。
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