―大日本ノスタルジィ鉄道の概要―

昭和50年代後半から国鉄地方交通線の多くは、膨大な国鉄の赤字を解消するために廃止させられた。車社会の影響も多分にあると思うが、ずさんな国鉄経営のあり方については問題にされなかった。地方交通線の赤字は国鉄全体の7%未満だったにも関わらず…

廃止路線の選定に関しては、路線単位の収支計算により一日の乗客が数人未満だと廃止対象路線にカウントされていった。昭和53年12月24日に北海道士幌線糠平〜十勝三股間が休止されバス転換された。これをモデルケースとして、その後北海道の白糠線を皮切りに次々と地方交通線が廃止された。それ以前にも、昭和45年11月30日で廃止された根北線(斜里〜越川間)や沿線4町の同意を得て昭和47年6月18日に廃止された札沼線(新十津川〜石狩沼田間)も存在した。また鉱山が閉山となり、鉱石輸送がなくなった胆振線の京極〜脇方間も昭和45年10月31日で廃止されている。ローカル線の名の下に廃止された北海道の鉄路は、当時の半数以上が切り捨てられ現在に至る。まるで、奥地への架け橋が取り外されたようだ。現在のようなスカスカの鉄路には何の興味も抱かなくなった。
その国鉄は昭和62年3月31日で営業を終わり、全国を6分割にしたJRへ生まれ変わった。切り替え当時は国鉄謝恩フリーきっぷもあった。

このサイトでは、昭和61年〜平成元年にかけて集中的に廃止された路線を北海道と青森を中心に私鉄も含めた現役当時の姿で紹介する。行き損ねた路線や昭和60年以前に廃止されたものについては、昭和56年7月の時刻表を参考にしてページを作成した。廃線当時は私もまだ若かったので無造作に写真を撮ったり硬券切符を集めていた。今から思えばもう少し計画を立てて各路線毎の記録を綿密にしておけば良かったと後悔している。

また昭和60年以前に廃止された路線については、廃線跡の現役時代の状態を留めている駅舎だけを撮影している。これも廃止前路線のテーマに沿ったものなので、廃止前の現役時代の姿と想って戴いて差し支えない。また、駅名標にホーロー看板が使われていたのも良かった。現在の駅名標は、何だか味気ない気がする。このホームページは、失われた古き良き日本を探しに行く旅への始まりでもある。

ちなみにサイト名を“国鉄廃止前浪漫紀行”から大日本ノスタルジィ鉄道”にした。大日本自体に、明治・大正の香りがしたのである。弊サイトで取材した鉄道は、大日本時代に敷設された鉄路が数多くあり、昔の郷愁を愛でることから“大日本ノスタルジィ鉄道”と改題した。

―参考資料―
北海道鉄道百景/アテネ書房
写真集国鉄北海道ローカル線/北海道新聞社
JTB時刻表 1981年7月号/日本交通公社
JTB時刻表 1986年3月号/日本交通公社
各駅停車全国歴史散歩北海道/北海道新聞社編/河出書房新社
各駅停車全国歴史散歩青森県/東奥日報社編/河出書房新社
その他、HP管理者の佐山が独自に集めた資料
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