(5)観測地で再会
ベネズエラ国内では1916年2月3日に今回と似た経路でカラカスの200q西で観測されて以来、82年ぶりの皆既日食。今回の皆既継続時間は3分45秒です。皆既日食の当日、観測地は曇っていました。これでは部分日食も撮れません。まだ第一接触まで1時間以上あるので入念に機材のセッティングをしていました。すると見覚えのある美女が近づいてきます。サングラスを掛けていますが、もしやと思って声をかけたら以前1991. |
観測地で撮った現地の人々 |
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7.11のメキシコツアーで御一緒した晴れ女のMさんでした。彼女は1983.6.11インドネシア皆既日食から曇られた事がないと言う方なのです。私も1988.3.18小笠原沖皆既日食以来曇られた事が無いので、これは御利益があるのかな?
1995.10.24タイ皆既日食の翌日にも偶然バンコクのシルク売り場で再会して以来の出会いです。昨年彼女はモンゴルに行って初めて曇られたようです。その時、私はシベリアの荒野で地平線まで晴れわたる完璧な青空の下で観測していました。 |
只今観測中です |
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Mさんは機材の周りに敷いたシートを固定するための石を探しにここまで来たそうです。自分の石も足りないので一緒になって集めているうちに段々と暑くなってきました。ふと空を見上げるとあれだけあった雲が一つも無くなり、快晴の下で観測を始めました。
晴れ男と晴れ女が偶然出会うと雲も退散するみたいです。太陽が欠けてだいぶ暑さもやわらいだ頃、ダイヤモンドリングが輝きました。太陽の上から光が消えていき、上下に伸びるコロナが見えます。 |
中間期のコロナ(露出1/90秒) |
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同時にピンク色のプロミネンスも見えていて、その廻りに二つの惑星が輝いていました。左斜め上は水星で、右斜め下は木星です。天頂に近い皆既日食なので、皆既特有の夕暮れ状態が地平線の全てを覆いました。
それが太陽方向に移動した瞬間、月の谷から光が漏れてダイヤモンドリングになり皆既日食も終わりました。皆既日食中でも2台のカメラを駆使して撮影に没頭しているので、時間の経つのもあっという間です。感動の余韻に浸る時間はいつも短く、太陽は元の姿に戻りながら地平線方向に向かってゆっくりと沈んでいきます。 |
中間期のコロナ(露出1/250秒) |
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先程再会したMさんの宿泊地は冷暖房完備の豪華ホテルだそうです。我々の泊まるホテルは冷暖房完備なんて望めません。室内に一ヵ所冷風扇らしき機械は置いてあるのですが、冷気が上の方向しか行かないので夜も付けっぱなしで涼を取ります。
部屋には冷蔵庫も無いので、冷風扇の吹き出し口にミネラルウォーターを載せて冷やしました。それにしても皮膚が痒い!よく見ると蚊に刺されていました。蚊は皆既日食の間、たった4分の夜を我々の血を吸うために活動していたのです。 |
中間期のコロナ(露出1/1000秒) |
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これがアフリカなら黄熱病です。日食観測後は疲れ果ててしまいました。すっかり元の姿に戻った太陽は相変わらず日差しが強いし、暑いというだけで疲れるのです。
真冬から真夏の状態で日食観測。雪国出身の私は汗腺が少ないので寒いのはなんとかなりますが、熱帯地方で湿度が高い暑さでは身体に熱がこもりダウンします。観測後ホテルに戻って速攻でシャワーを浴び、夕食を食べてからすぐ寝ましたzzz |
藤井龍二さんのイラスト |
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(6)マイアミで牡蠣の洗礼を受ける
皆既日食の翌朝は再びカラカスまで移動します。マラカイボ空港売店で皆既日食記事が書かれた新聞を十部買い、ここでギアナ高地に向かう11日間コースの方々とお別れします。7日間コースの我々はカラカスで市内観光です。早速バスの中で買った新聞を広げます。例によって外国語アレルギーの私は、気が付いた箇所を日本語が喋れるガイドさんに訳してもらいました。昨日の観測地は世界中から観測者が約300〜400人ほど集まったそうです。 |
シモン・ボリーバル石碑 |
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新聞を発行したPANORAMA社は、皆既帯が通過するマラカイボ市内にあるので新聞のトップがコロナの写真で占められていました。
別の紙面を開くと、PANORAMA社のコロナの合成写真が載っていました。同じく皆既帯が通過するパラグアナ半島でも大挙人が押し寄せて、大変な日食フィーバーだったそうです。CBSの取材陣が一昨日の下見で観測者の取材をしていましたが、そのカメラマンも新聞に載っていました。 |
シモン・ボリーバル公園 |
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ここベネズエラの通貨単位はボリーバルと言いますが、これはベネズエラを建国したシモン・ボリーバルにちなんだものです。市内の至るところにはボリーバルを讃辞している銅像や石碑がありました。カラカス市内観光後、空港に向かいます。隣国コロンビアの影響で検査が非常に厳しい。空港係員が全員にX線検査とボディチェックをします。空港に着いてから機内に入るまで約2時間かかりました。カラカス→マイアミまで移動します。遅い夕食はTAXIに分乗して全員でマイアミ市内のかに料理屋に行きます。 |
カラカス市内の様子 |
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魚介類では唯一牡蠣を口にしたことがなかったのですが、あまりにプリプリして美味そうなので、口にしたら今までにない身の柔らかさが美味く、何も付けなくてもこのままで充分です。日本の牡蠣の三倍くらいはあったでしょうか?全部で5つ食べました。
マイアミでは牡蠣を食べるコンテストがあり、200個食べて優勝した強者がいるそうです。こちらの牡蠣はRの付く月が食べ頃だそうで、まさに旬を味わいました。 |
生牡蠣(クリックするとメニューが出ます) |
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(7)通じない英語
翌朝、腹の調子は良くて牡蠣に当たることもありませんでした。朝食は空港近くのファーストフード店へ。ベーコンとチキンを挟んだパンを頼み「BACON…」と店員に伝えましたが、なぜかパンだけが出されました。
「What is this?」と聞いたら「It´s a bagle」と言います。何のことか理解できません。英語の堪能な方が、「これはただのパンですよ。店員が聞き間違って持ってきたんじゃないですか?」と言われました。 |
THE CRAB HOUSE |
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恥ずかしながら語学力ゼロの私は、ベーコンとチキンを挟んだパンを頼む事が店員に伝えられません。レシートが目の前に置かれたままだし、このままパンだけを買いました。パンにバターを付けた味気ない朝食です。
「bacon egg please」と正直に言えば良かったのでしょうか?bagleは一個70¢。Large Milkの半値以下でした。当然、腹が満たされる筈も無く、機内食に期待しました。 |
マイアミを空撮@ |
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マイアミからL.Aを経由して成田まで長時間のフライトでやっと帰国しました。ギアナ高地に行った11日間コースと違い、7日間コースは旅の余韻に浸れなくて残念です。成田に着いたら寒風が吹いています。
この日、関東は午前中に雪が降ったそうです。マイアミで過ごした格好のままの私は、ジャンパーを羽織っただけで千葉の親友宅に泊まるため列車に乗って行きました。 |
マイアミを空撮A |