テルナテ島皆既日食・皆既編

Keietsu Sayama

2016.3.9 テルナテ日本村で皆既日食

(17)ついに皆既日食

ちょうどその頃トイレが近くなり、用を足しました。写真は皆既10分前の木漏れ日です。トイレのすぐ近くで撮りました。近くで軍鶏を飼っているらしく、しきりに甲高い声をあげていました。

久しぶりの皆既日食で機材を触る手が震えています。ワイルドナビの宮田さん(添乗員)が肉声でガイドをしてくれています。「あと1分!」と言う声が聞こえます。
皆既10分前の木漏れ日
皆既10分前の木漏れ日
アストロソーラーフィルターは既に外しています。ピントも合わせていますが、これでは撮影失敗です。失敗しても目で見ることが大事なので、皆既中はファインダーに穴が開くほど眺めていました。

太陽が細くなると皆既まであっという間です。やがて太陽の光は月に隠されます。月の谷からこぼれ落ちるように輝く第二接触のダイヤモンドリング。本影錐を見る暇もないくらいの速さでした。あちこちで歓声が沸き上がります。ファインダーに巨大なループ状のプロミネンスが見えています。ループ状になったプロミネンスは1988.3.18小笠原沖皆既日食以来、実に28年ぶり。
第二接触ダイヤモンドリング
第二接触ダイヤモンドリング
ファインダーには、コロナの微細構造が見えていました。十字の形をしたコロナに線上に絡むコロナ流線がきれいでした。右の写真は銀塩フィルムで撮ったコロナです。拡大するとコロナの淵がブレていて、撮影に失敗していると分かります。

撮影しながらも傍目には戦場でした。最大接触の前にレンズのピントが合わなくなって、慌ててテレコンバーターを外して500mmF8で撮影したのが右写真のコロナですが写真はブレています。それでも肉眼でコロナを見る冷静さは失われていなかったようです。
日本村から見えたコロナ
日本村から見えたコロナ
一番最初に観測した1988.3.18小笠原沖皆既日食では、カメラと三脚が一台ずつしかなかったので肉眼で観測しました。今でもその光景が目に焼き付いています。丸くなった蛍光灯の白いリングが天空に浮かんでいるように見えるのが肉眼で見たコロナの様子です。

肉眼では5秒くらいしか見られませんが、あの時の記憶のままコロナが見えていました。やがて太陽の上の端が段々と赤くなってきて皆既日食の終わりを告げる第三接触のダイヤモンドリングです。月の谷から太陽の光がこぼれて段々大きくなりました。もう皆既日食は終わったのか…と言う虚脱感に襲われました。右写真はビデオカメラの映像からキャプチャーしました。
第三接触ダイヤモンドリング
第三接触ダイヤモンドリング

Muhammad Rayhan氏がパルで撮影した巨大プロミネンス
Muhammad Rayhan 氏がパルで撮影した巨大プロミネンス:一部引用しました

(18)巨大プロミネンス

Muhammad Rayhan氏がパルで撮影した巨大プロミネンスには敵いません。自分で撮影するのがバカらしくなってしまうほどの素晴らしい写真です。あのプロミネンスで地球が5個ほど入ってしまうような大きさです。

三脚固定撮影では、到底太刀打ちできません。色々あって青森県弘前市の実家には、知人からいただいた古い赤道儀があります。単一電池を入れて極軸望遠鏡で北極星に合わせると自動でガイドします。
ダイヤモンドリング直前の彩層とプロミネンス
ダイヤモンドリング直前の彩層とプロミネンス
赤道儀も重かったので、次回の遠征から赤道儀も導入する予定です。8月初旬には恒例の弘前ねぷたまつりを撮影しに行きますが、その時に赤道儀も持って帰ります。来年起こるアメリカ横断皆既日食の予行演習で行ったような今回の皆既日食ツアーでしたが、いつでも本番は本気を出して撮らないと失敗作品ばかり増えるので、今度こそは撮影を成功させたいです。

右の写真はノーフィルターで撮った部分日食です。ピントが合えば、カメラは自動で撮ってくれます。撮影が難しくなるのは2倍のテレコンバーターを付けるとピント合わせも手動でやらざるを得ないところにあります。右写真は、第三接触後に曇られた太陽です。
ノーフィルターで撮った部分日食
ノーフィルターで撮った部分日食
実は皆既日食の直前も結構怪しかった空なのです。右写真は、第二接触10分前の太陽と雲の様子です。既に薄い雲が掛かっていました。山側の雲がこちらまでやってきたのです。それでも薄い雲間からコロナとプロミネンスは確認出来ました。

完全な快晴でコロナとプロミネンスが見られたのは、Muhammad Rayhan氏が撮影したパルとテルナテ島の南に浮かぶティドレ島でしょうか?ティドレ島には日本人と欧米人が数名観測に行かれたそうです。
第二接触10分前の太陽と雲の様子
第二接触10分前の太陽と雲の様子
後日談ですが、グアム島の沖まで遠征した豪華客船ぱしふぃっくびいなす号は正午中心食付近が雲に覆われてしまい、北方の雲がない海域まで移動したため1分強のコロナしか見られなかったそうです。

…とすると、一般のツアーで観測できたテルナテ日本村が一番長くコロナを見られた観測地になりますね。以下のアニメはJim Fakatselis氏が撮影した巨大プロミネンスのアニメーションです。巨大なプロミネンスの動きが素晴らしいです。縦に伸びるプロミネンスが、地球5個分も入るほどの大きさです。
第四接触5分前の太陽
第四接触5分前の太陽

テルナテ日本村
Jim Fakatselis氏が撮影した巨大プロミネンスのアニメーション

(19)観測終了後のデレデレ

ビデオカメラを撤収して後は部分日食を撮るだけです。撤収の準備や撮影でまだ忙しいのに、地元の方々が一緒に写真を撮りたいと言ってきます。撮影の合間合間を見て記念撮影に応じました。

ここはテルナテ日本村です。日本村の由来は、ここを開放している家に日本人の奥様と現地の旦那さんが住まれているからです。数年前からここで日本語学校を開いたそうです。生の日本語を生徒に聞かせたくて今回の観測地兼学校になりました。

日本人の奥様は、テルナテ島で皆既日食が見られることを2年前まで知らなかったそうです。日本語学校の活動が人を呼び、警備担当の軍を呼び、ついに日食ツアー15名とツアーを離脱した日本人を呼びました。

なので、これらの人々の撮影は地元の方々がスマートフォンで撮影してから筆者のガラケーで撮影したものです。初めての皆既日食観測から28年も経ってしまうと経年劣化で太ってしまい、外見も悪くなるものです。隣の青年がうらやましく思います。

テルナテ島自体が観光地化されておらず、外国人も珍しい存在なのだそうです。ましてや日本人を見た人も少ないでしょう。日本人の奥様も頭にスカーフを巻いていて、傍目には現地の人のように見えます。
警備担当の軍関係者と筆者
警備担当の軍関係者と筆者
紹介が遅くなりましたが、一番下の写真で左端に映っているのが日本村協力者の野越修さんです。彼は3/1〜3/15までの滞在で日食観測地を探していたところ、たまたまここを見つけて日本村発起人となりました。

棚倉さんのパソコンを借りている時にお話をして名刺交換しました。日本村パンフレットを作成したのも野越さんです。最初は日本語学校のパンフレットで、皆既日食観測が目的の日本人を連れてくるには相応しくないので自身でパンフレットを作成されたそうです。
日本語学校の生徒と筆者
日本語学校の生徒と筆者
皆既時間のDATAは、弊サイトを参考にされました。野越さんも棚倉さんも弊サイトを閲覧されていた方でした。サイト作成者がここに来ていたことに二人ともビックリしたようです。自分の顔写真を載せていなかったので、サイト作成者が誰だか分からなかったですね?

井上さんとは長い付き合いです。1992.1.4のL.Aサンタカタリーナ島日没金環日食ツアーで御一緒しました。参加したコースは違ったのですが、オフ会で話が弾んでそれ以降、何度かツアーに同行しています。
日本語学校の生徒たちと筆者
日本語学校の生徒たちと筆者
皆既日食が終わり、ワイルドナビツアーも撤収して日本村の車に同乗した我々3人が残りました。日本村のあちこちを撮りたかったのですが、野越さんが話好きで聞き役になっていました。

ここには仔猫が2匹ほど居て、日陰で暖かい椅子の下にたたずんでいました。モファラ〜として、ついスリスリしたくなります。野越さんの足元に毛並みの良いネココがいたので撮りました。

ここでも中だるみの時間があるとは思わなかったのですが、これは運転手と夫婦が食事をしに行っているのでそれまでの間、待つことになったようです。戻ってくるのを待ちながら日本村で売られているグッズを買いに行きました。日本村のTシャツもありましたが、Mサイズしか無かったのでお土産にはならなかったです。

簡単な昼食とミネラルウオーターをもらったので、そのお返しと言うことで…結局手作りの石鹸を買いました。これは職場で餞別をもらった方へのお土産です。
日本村にいた仔猫
日本村にいた仔猫
帰り支度も整って、我々3人は日本村を後にしました。何だかずっとここにいたような故郷を離れてしまうような妙な気分になりました。お医者様の棚倉さんは泊まったホテルには戻らず、このままテルナテ空港に向かうとのこと。井上さんと私は、ブルバードホテルに戻ります。道中、棚倉さんにここまで来た総額の費用を聞いたところ、10万ほどで済んだそうです。やはり自力で来た方が安くあがるかも知れません。彼は英語が堪能で日本語学校の生徒からも人気があり、私の数倍は記念写真に撮られていました。

ホテルを過ぎて棚倉さんの土産物を買うのに付き合いました。私も職場のお土産が充分ではなかったので、買い足しました。いよいよお別れ…と思ったのですが、日本村の御主人が歩いてホテルまで行くのは大変だと車でホテルまで送ってくれました。大変ありがたいです。棚倉さんの買い物に付き合う前は、一旦ホテルに戻って荷物を部屋に置いて再び買い物に行ったにも関わらずです。日食が無くてもお金があれば再び日本村の御主人と奥様に会いに行きたくなりました。
日本村にいた仔猫
日本村にいた仔猫

日本村に残ったメンバーで記念撮影
日本村に残ったメンバーで記念撮影:左から野越修さん、お医者様の棚倉健太さん、私、井上滋光さん、現地の方

管理者に無断での使用・複製・転載・流用禁止
皆既編  新聞編  戻る