■帰路へ
ロビーでの集合も済んで、22時30分過ぎに各自決められたバスに乗り込んだ。そのとき、タヒチ・ヌイ・トラベルの方から、来たときと異なり、貝殻で作成したレイを首にかけてもらった 。PTSの方が、人数を確認した上で、来たときと同様、バス3台に分乗して空港に向かった。ほどなく空港に到着して、機内預け荷物の手続き、パスポートのチェック、手荷物のチェックなどを順次進めていった。
東京に向かう飛行機はチャーター機であったが、今回の日食ツアー以外の日本人も多数いる感じだった。出発は翌13日の1時、搭乗手続き開始の0時15分まで40分以上あったので、待合室にあった免税品店に向かった。現地の通貨を使い切りたいのか?お土産をまとめ買いするのか?店の中は非常に混んでいた。
タヒチから東京に向かうTN778便はほぼ時間通りに出発。真っ暗中、東京(成田)に向かった。機内食が出された後は時間帯が時間帯だったので、静かに睡眠を取り始めた人がほとんどだった。
どの程度寝たのだろうか?足が痛くなって目を覚ましてしまった。その後は寝たり、起きたりを繰り返すようになった。トイレ付近に行ってストレッチも行った。
そうこうしているうちに、朝日が差し込み始めた。機内(タヒチ時間)の時計で13日の8時頃。日本時間では7月14日の3時頃。日の出から約1時間後に機内食を取って数時間後、飛行機は日本領空内に入った。
マサさんとアマゾンさんと私は、航路によっては南鳥島が見えるはずだと思って探したが見落としたのか?南鳥島の位置が考えていた場所からずれていたのか?遂に見つけることはできなかった。
房総半島など日本列島が近くなってきた。梅雨前線があるので、激しい乱気流があるかと思いきや、雲の切れ間もあり陸地も見えていた。思っていたよりも悪天ではなかった。心配していた乱気流に巻き込まれることなく、7時頃(日本時間)無事成田空港に着陸した。
入国審査、手荷物の受け取り、そして税関の通過などを行って、最後は流れ解散ということになった。集合に比べれば、流れ解散というのはなんとも寂しいのですが…S条氏などその場にいた方に簡単に挨拶をして、京成線のライナー券を購入して乗り場に移動した。
その後、上野からJR高崎線で移動した。京成線共に終点の頃には熟睡状態になって、特に高崎線では駅員にたたき起こされてしまった。ちなみに上野では晴れ間もあり、蒸し暑さの方はタヒチに負けず劣らずといった感じであった 。高崎駅では改札口にかみさんが待っており(上野駅で乗車する電車の出発時間を連絡した)、今回の旅行は慌しくも無事終了した。
■エピローグ
薄雲に阻まれてしまった今回の皆既日食。
薄雲越しの皆既日食は、1999年8月11日にハンガリーのバラトン湖で見て以来である。
今回の皆既日食は5回目で、金環日食を合わせると7回日食の遠征を行ったことになった。但し、1年経たないうちに皆既日食を見ることが出来たのは今回が初めてであった。
(2001年と2002年も日食の遠征であったが、 このときは皆既日食・金環日食の組み合わせだった)
次回の皆既日食は2012年11月のケアンズ近傍で見られるものである。しかし時期的に厳しいというのが本音である。
確実に遠征できそうなのは、2017年8月のアメリカ合衆国を横断する皆既日食である。またも日食欠乏症が再発しそうである。
最後に同じ部屋でいろいろ付き合っていただいたマサさん、南天の星空を教えて頂いたアマゾンさん、一足先にハオ島に入って準備を行った塩田さんやPTSの方々に感謝の意を表して今回の報告を終了させていただきます。
以上
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