父島は約4800万年前、赤道直下にありました。3000万年前にはフィリピン海プレートが広がり、フィリピン海膨が小笠原近海を北へ持ち上げるように広がりました。そのフィリピン海の東部が割れて四国海盆が発達し、伊豆小笠原海嶺と九州パラオ海嶺に分かれました。同時に日本列島が南下して現在の配置になりました。まだ海底にあった小笠原海嶺は、伊豆小笠原海溝の沈み込み帯によって海面へ押し上げられます。すると小笠原海嶺が海上に顔を出し、小笠原諸島が形成されました 。皆既帯の通過した硫黄島は、小笠原海嶺とは別の伊豆小笠原海嶺に属します。(先山教授の資料から抜粋)
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南島周辺の小島 |
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(8)父島を散策
父島から食事のため、通船でふじ丸に戻ります。日食掲示板常連の方と一緒に行動する予定が、何の連絡も無かったので船に戻って昼食を取ることにしました。 父島ではインターネット環境が整っているようなので、 物見遊山ではないのですが調べることにしました。
午後から何のオプションツアーも入れていなかったので、まず小笠原海運の待合室へ行って資料を集めました。そこには、おがさわら丸の乗客と思われる方々とツアコンの方がいました。街の中心部へ歩いて行きます。
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通船から見たおがさわら丸 |
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皆既日食が終わったばかりなのに、皆既日食ツアー募集の看板がそのまま残っていました。Tシャツなどのグッズは需要があるので、このまま展示しても良いでしょう。通船の発着場所となった青灯台が父島でダイビングするオプションツアーが集まる集合場所となっていて、青灯台周辺が一番活気があってにぎわっていました。
通りを歩くヒトは少ないのですが、男は上半身裸で黒く日焼けをしています。女性は水着を着ているか、薄手のブラウスを着ています。 |
ピンクドルフィンのツアー募集広告 |
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(9)父島で再会
ふじ丸に参加出来たのは、ある知人のメールがきっかけでした。今回同室となったTさんの息子が参加しないことになって、一人枠が空いたのです。最初その知人に話が行ったのですが、おがさわら丸の皆既日食ツアーが当選したのでそちらの参加を優先しました。その知人では枠を埋められないので、私に話が来ました。ややこしい話ですが、知人の知人がTさんと知り合いです。知人の知人がふじ丸に乗れば話は早かったのですが、義理でどうしても上海で観測せざるを得なかったようです。
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父島で見た看板 |
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更にややこしくなりますが、知人の知人も私と旧知の仲です。二人の知人とは、1992.1.4 L.A日没金環日食〜アラスカオーロラツアーで御一緒しました。金が無くて行かれないことを知人の知人に伝えたら、どうしても行って欲しいとのことでツアー代をお借りして参加出来ました。
なので、二人の知人は私にとって恩人になりました。観測を終えたおがさわら丸が停泊して、明日東京の竹芝桟橋に帰港します。せめて恩人にお礼の言葉を直接言いたいため、午後から父島でフリータイムにしました。 |
再会の場所となった土産物屋 |
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父島の青灯台に近い繁華街を歩くと、派手なサンダルが並べられている店がありました。カラフルな陳列に惹かれて撮影し、ついでに店内へ入りました。
すると、その知人がいるではありませんか!Iさん!と声を掛けて再会を喜びました。再会後、土産物を探しに生協へ行きました。すると皆既日食クッキーが良さそうに見えたので、お土産に買いました。近くの喫茶店を探したらグァバとマンゴーのカキ氷が400円とあったので、その店内でよもやま話をします。
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皆既日食クッキー |
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Iさんは、まさかここで会えるとは思わなかったよ…と言いましたが、私は探しに着たので会えて良かったと思いました。Iさんが乗船したおがさわら丸は、ははじま丸と共に北硫黄島北方沖18kmの海上で観測されたそうです。雲ひとつ無い快晴でしたが、ギリギリまでヒトを詰め込んだため観測場所も非常に狭く、船も結構揺れたそうです。そのツアー自体は8万円ですが、ホテルシップは使えずに自力で父島の宿を借りなければなりません 。Iさんも片っ端から電話を掛けて、ここから10分ほど離れた宿を借りたそうです。
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青灯台のスーパー小祝 |
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インターネット環境について聞いたところ、ここはISDNがインターネット接続の主流で回線速度が大変遅いそうです。山の上に無料でインターネットが接続できる施設がありますが、大変遠くて時間もかかる上に本土並みに便利なインターネット環境ではないと聞いてインターネットをするのをあきらめました。借りたノートパソコンを持っていったのですが、これこそ無用の長物です。
青灯台の生協で散策後、茅葺屋根の待合所みたいな施設があったのでそこで通船の時間まで過ごしました。 |
青灯台で突然のスコール |
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その後、30分ほど経ってから突然雨が降り出しました。小雨はやがてスコールに変わり、バケツを何杯もひっくり返したようなどしゃ降りの雨に変わりました。通船にも歩いて行かれないような状態です。1時間ほどすると、茅葺屋根からも雨が滴り落ちる始末。待合所を右往左往して、滴り落ちた雨をタライで受けるとドリフのギャグになるほどでした。2時間ほどすると、やっと雨も小雨になって通船まで行けるようになりました。Iさんによると、昨日もこんな天気だったそうです。もし皆既帯が父島を通過したら、コロナは見えなかったに違いありません。 |
南島周辺の岩 |