Keietsu Sayama
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(12)ふじ丸のイベント ふじ丸の船内は、色々なイベントが行われています。これは全員参加しなければならない講義を除いて、自由参加です 。同じ時間に幾つものイベントが行われるので、適度にヒトが散らばります。この機会に弘前ねぷたまつりのスピーチをさせていただこうと思ったのですが、対応できるスタッフがいないとのことでお流れになりました。まぁ興味のある方はhttp://eclipse.star.gs/lock/を御覧下さい。 私は観測中の日焼けがひどく、操舵室を見学した後は寝ていました。昨日から食事は後半になったので、食事の時間まで紀行文の執筆やビデオカメラの充電をします。 |
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午後のイベントでアクアマリン最後の船内コンサートがあるので、聞きに行きました。結構心を打つメロディで感動しました。CDプレイヤーがないのでCDは買いませんが、数曲ビデオカメラに収めました。著作権の関係があるので、ここでは掲載しません。その後、和の心を知りたくてお茶席に行きました。足が尋常ではない日焼けなので、正座するのも大変苦しいです。ものの10分も持たずに退席しました。同じ和室で片山旭星先生、筑前琵琶の弾き語りを聞きます。元々九州が発祥地で弾き語りされたものが、三味線にとって変わられたそうです。宮崎の延岡付近で残っています。 | |
ふじ丸にはピアノ奏者の福田直樹さんが毎日3階のラウンジで演奏されているのですが、この日だけはチェンバロと言う珍しい楽器での演奏となりました。ウィーンに留学していただけあって楽器の知識も豊富です。このチェンバロと言うのは、ピアノよりも古く音を伸ばす足踏みがありません。ピアノとチェンバロを弾きこなす奏者は、日本でも福田さんを含めた二人しかいません。普通はバロック音楽において、チェンバロ専用に作曲されたものしか演奏されません。 福田さんのすごいところは、チェンバロでギター演奏も出来ることです。右の動画は禁じられた遊びをチェンバロで弾いたものです。 |
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チェンバロの色ですが、様々な色が施されています。一番多いのが、黄金の国ジパングをあしらった漆色のチェンバロです。当時、日本は鎖国していたのになぜ漆色のチェンバロが流行ったのでしょう?それは、貴族たちが見栄を張るため舶来品を自慢するために塗った色だと言われています。 会場には、チェンバロの音色が響いています。この弦はカラスの羽で出来ています。羽の根元に堅い部分があり、その先を弾くとチェンバロ独特の音色になります。チェンバロと同じ時間に星空観望会とナイトシアターが行われていますが、結局行かなかったです。 |
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(13)慣れ親しんだ部屋を離れる 今までふじ丸の宿泊施設に触れないでいましたが、乗船最終日に部屋の写真を撮りました。私の部屋はエレベーターに近い527号室。そこに4人が寝泊りしました。先着順で良い寝床が抑えられるかと思ったら、部屋の鍵にA〜Dまでアルファベットが刻印されていてベッドの位置もA〜Dに割り振りされていました。一番最後のDだった私は、冷蔵庫とTVが目の前にあるベッドでした。部屋の窓も目の前にあり、そこから大海原が見えています。飲料水は自前で用意しなければならないのでペットボトルのお茶を2本持っていったのですが 、最終日にはカラになりました。 |
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冷蔵庫の左横には机とイスがあり、Bに割り当てられたTさんは撮影した資料をまとめるのにそこへ座っている機会が多かったです。Dのベッドの前にも小さな机が置いてあり、 私はそこで紀行文の一部を執筆しました。 部屋のTVですが、衛星放送が基本です。日本本土近海なら映りますが、和歌山沖からTVは何にも映りません。父島ではNHKの衛星第一放送が見られただけで、こちらも携帯と同様の情報弱者で浦島太郎気分です。さすがに最終日には衛星や地上波も全部映っていましたが… |
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(14)雨の姫路港 太平洋高気圧が弱いせいで、今回の日食も小笠原近海以外は全滅状態だと聞きました。日本本土の天候も芳しくなく、姫路港に入港後も雨が降り続いていました。全員参加の修了式が終了後、航行すぐに行われたウェルカムパーティと同様にフェアウェルランチが行われました。立食パーティで好きなものが食べられます。アイスクリームとは御無沙汰な生活だったので身体が火照っていることもあり、4コも食べました。13:30過ぎに我々5階のヒトが下船しました。雨が降り続いていたこともあり、皆様にお別れの挨拶も出来ないまま乗船された皆さんは自宅へ帰りました。 |