地球の反対側でみたちょっと太めの金環日食
小山田 博之
@ツアーの無い日食

今年3月29日の夜、納品の物件があったので、この日は下呂温泉に宿泊していた。時計は21時を回っていた。予想していた通り、アフリカからトルコで見られた皆既日食のニュースを行っていた。18年前の1サロス前の皆既日食はインドネシアからフィリピン、小笠原沖を通っていた。本土でも食分が70%も欠ける深い部分日食だったので、非常に期待したが雨天。このような屈辱的な思い出があるサロスだったが、今回その屈辱を晴らすことが出来なかった。

一方今年は勤続10年ということで5日間の休みがもらえることが分かっていた。さて、何に使うか?ふと目に飛び込んで来たのが、9月22日の南米で見られる日の出金環日食の予報である。仕事の関係で2002年6月のテニアン島金環日食以来、日食とは御無沙汰状態になっている。3月の日食を見ることが出来なかった悔しさと、せっかくの休みを有効に使おうと南米日出金環日食への遠征を考え始めた。

しかし金環日食、起きる場所は日本から見て地球の反対側である南米北部で低空、さらに好条件の皆既日食の直後だっただけに肝心のツアー発表はいつまで経っても無かった。しかし6月になって阪急交通社がツアーを発表したので不安が無くなっていったが、催行人数に到達するのかが不安であった。結局8月後半の締め切りでも定員に到達しなかったが、遠征メンバーの一人でもある日食情報センターのTさんが阪急に交渉した結果、手配旅行ということになった。参加費を支払ったのが9月11日、出発まで1週間という非常にバタバタしたが、催行されることが実感できたので、急ピッチで準備を進めた。

今回の金環日食帯地図 A今回の日食

今回の日食であるが、概要を述べる。金環日食帯は日の出時に南米ギアナ地方を横切る以外は大西洋を南東に移動するだけで、観測候補地はほとんど選択の余地は無かった。しかもわずかにかかる陸地すべてで欠けたまま太陽が昇っているエリアで、全経過は見られない。このように天文学的条件はそれほど良いとは言えない日食であった。金環日食そのものは、月が地球からもっとも遠い時期にあたってあるので、極太までいかないまでも、比較的太めのリングが見られる可能性があった。

フランス領ギアナは一番高度が高く(それでも8度)、熱帯地方であるが、幸いにもこの時期は乾季(9月〜10月)である。その点では、絶好の機会で起こる日食であった。ギアナ地方を拡大した地図によると、観測場所としたカイエンヌ市(首都)は日食中心線のほぼ真下である。天気や場所を考えると今回の金環日食観測では、カイエンヌ市がもっとも観測に適した場所の一つであった。            今回の金環日食帯地図(地図をクリックすると拡大)

Bいざ地球の反対側へ

昨今の原油の値上げで重量制限が厳しくなっていること、金環日食なので日食中の星野撮影などテーマはそれほど多くない!?、予備を持っていてもほとんど使ったためしがないといったことから、今回は思い切って持っていくものを出来るだけ減らすことにした。その結果、カメラは一眼レフタイプのデジカメ(EOS20Da)1台、スナップ用のコンパクトタイプのデジカメ1台だけにした。

集合は19時50分であったが、その30分前、一緒に行くことになっているTさん、Wさんと合流。先に集合場所であるカウンターにいたKさん(旧姓Sさん)とも無事合流。機内預けの荷物(約18kg)を渡して、日食仲間のYさんの見送りを受けつつ、飛行機はほぼ時間(22時15分)通りに成田空港を出発した。

パリでの乗り継ぎを経てフランス領ギアナの到着はほぼ時刻どおりの現地時間15時ごろであった(丁度日本とは時差12時間、時計も無論そのままで調整の必要なし!)。現地の旅行会社の人とガイド(英語ガイド・ドライバー兼:イザベラさん、女性)の出向かえを受けて、首都カイエンヌ市街地郊外にある日食観測場所のレストランに下見に行った。

17時過ぎ、カイエンヌ市内のホテルに到着。イザベラさんに治安のことを確認したところ、19時以降は外出するなと言われた。残念ながら南天の星空撮影は諦めざる得なかった(確かに、ゴミゴミしていて夜は治安が悪そうと思いました)。水や虫除けを購入したかったが、翌日の観光の帰りにスーパーに立ち寄って、購入することにした。

C灼熱のリゾート地

ロワイヤル島 刑務所跡 翌朝(20日)はカイエンヌから車で約1時間の所にあるクールーから、沖合いに浮かぶ悪魔の島サリュー諸島へ船で渡るものである。船といっても20人程度は乗れる豪華なヨットである。クールーの港から約1時間の距離にあるサリュー諸島は1951年までフランスの流刑地として使用されていたが、現在は観光地になっている島である。「悪魔の島」と名づけられたのは当時のライバルのイギリスが勝手に名づけたそうである。事実、そんな怖い島ではなかった。

しかし日当たりはさすがに強烈だった。時差ぼけを早めに直すためには日光に当たるのか効果的とは言っても、強烈過ぎる日差しであった。刑務所の廃墟などを見せてもらったが、1人あたりのスペースは極めて狭い状態である。島の周囲は強い海流で脱獄しても生きては帰れない。流刑地としては確かに最適すぎる場所だと思った。

日食パンフレット(中身)

午前中はロワイヤル島、午後はゴムボートでセントジョセフィ島に移動した。船での移動の間はずっと裸足で、船を乗り降りするときは桟橋を移動した。日差しが強烈だったので桟橋の暑かったこと、やけどをするのでは?と思いたくなるほどの暑さであった。それでも桟橋に水をまかれることは決してなかった。少しは考えて欲しいと思った。

帰りはイザベラさんにお願いしてミネラルウォーターや蚊取り線香などを購入するために郊外のスーパーに立ち寄ってもらった。ふと本が並んでいる棚を見たところ、表紙に太陽と月が掲載されているB6サイズ程度の本を見つけた。もしかしてと思い中身をチェックしたところ、1ページ見開きのみであったが今回の日食が特集されていた。4部あればベストであったが2部しかなく、発見が早かった私とTさんが購入した(Wさん、Kさん、ごめんなさい・・・)。

D世界有数のロケット発射場とTシャツ

日食ポスター この日(21日)も早朝からクールー市内へ移動である。本日の午前中は日食の次に重要なイベントであるギアナ宇宙センター(ロケット打ち上げ基地)の見学である。この名前はハレー彗星探査機ジオットの打ち上げられた場所して中学生のときに聞いていたので、是非とも訪れてみたい施設であった。

宇宙博物館兼受付で手続きを行い、パスポートと引き換えに入管のワッペンが配布された。さすがにセキュリティは厳重である。ワッペンと一緒に今回の日食の案内(フランス語)や日食グラスが配布された。金環日食とはいえ、テニアンの時と異なり、熱の入れようが違う。打ち上げ基地内には専用のバスで移動するので、それまで博物館の入り口で待つことにした。

この受付のそばには売店があり、入り口には日食ポスターが掲示されていた。さらによく見ると今回の日食Tシャツも飾られていた。早速購入したいと思ったが、売店はOPENしてない。やきもきしながら待っているとようやく開いた。早速Tシャツを買い求める。本当は数着購入したかったが、23ユーロ(1ユーロ:約150円)ということと、色や柄が1種類しかないので、1着で我慢せざる得なかった。

8時半過ぎ、最初に宇宙センターの説明をPCで説明を受けた後、専用のバスに乗り込んでロケット打ち上げ基地内に入った。さすがに周囲は鉄条網が敷かれていた。ここでは主に車内からロケット組み立て工場や発射場を見学した。さすがにスケールが大きい。大きなロケット発射場が迫ってきた。アリアン4の発射場である。外に出て写真を撮っても良いということで、夢中になってシャッターを切った。

次に向かったのはコントロールセンターである。さすがに打ち上げが今すぐ迫っている状態ではなかったので、比較的のんびりとした雰囲気であった(さすがに打ち上げ時期になると見学が休止されますが)。ここには先ほどの売店前で見たものと異なる日食ポスターが掲示されていた。

再度バスに乗り込み、今度はアリアン5の発射場に向かった。先ほどのアリアン4の発射場と異なり、若干コンパクトであった。今度は発射場の直下まで行き、しばらく離れたところで外に出てシャッターを切った。

その後、ワッペンを返却して宇宙博物館を見学した。アリアンロケットや気象衛星であるメテオサットの模型が提示されていたほか、手動のプラネタリウムがエアドーム内で開催されていた。解説はすべてフランス語であったが、どのようなことを言っているのかは雰囲気で分かった。

Eいよいよ日食

日食当日(22日)、ロビーへの集合時間は3時30分になっていたが、天気が心配で2時30分過ぎに起きてしまった。蚊が心配で窓が開けられないが雲は無く晴れていた。前日の日中及び夕方も遠くに(内陸方面)に積乱雲があったものの、ここ海岸付近には雲がほとんど無く晴れの天気が続いていたので、大きな天気の崩れはないでは?と思っていたが予想通りの天気であった。

マゼランとカノープス メンバーが揃ったので、イザベラさんの車に機材を積み込んで観測場所としているレストラン「L'auberge des plagues」に向かった。夜中だったので道路はさすがに空いていた。雲はほとんどなく快晴の状態であった。4時ごろレストランに到着、機材のセッティングを開始した。レストラン自体は無論営業していないが、街灯(ナトリウム光)の光が砂浜に届いていたので、思ったよりもセッティングはやり易かった。問題は太陽が出てくる東の方向をどのようにして見当付けるかである。カシオペアから北極星の位置を割り出して、さらに高く見えていたオリオン座から、東の方向を割り出すことにした。ちなみにイザベラさんも旦那さんと一緒に我々と同じ場所で日食を眺めることになっていたが、車の中で6時ごろまで休むということであった。毎日、本当にお疲れさま。

朝焼けと土星・観測地の様子早速三脚・赤道儀及び望遠鏡を取り付けた。一方、快晴が続いているので、北中するカシオペアや垂直に登ってくる土星・黄道光、アケルナルやカノープスを撮像した。市内の治安が良くなく、撮影自体を諦めていたので空が明るくなるまで夢中で撮影した。5時になるとなぜか街灯が消されて一気に暗くなった。引き続き撮影を続けた。やしの木などで見通しが良くなかったが、天の南極方向も撮影した。5時30分を過ぎると少しずつ白み始めた。カノープスのそばには大マゼラン雲があるはずだが、低空のためか見つけることが出来なかった。5時40分過ぎ、いよいよ固定撮影を中止。カメラを望遠鏡にセットした。TさんのGPS時計で時刻を最終修正した。最後にピントの調整が残った。日食遠征で惑星を望遠鏡で見ると曇ってしまうというジンクスをTさん、Wさんに聞いたので、当初予定していた金星を使ったピント合わせはやめた。 恒星にしようと思ったが、カメラをセットした時点でほとんど見えない状態であった。とっさに沖合いに浮かんでいる船でピントを合わせることを思いついた。海岸から結構遠くにあり、ほとんど動いていなかったので、絶好の対象であった。

6時過ぎると、日食を観望・撮影する現地の人たちもどこからともなく海岸に集まり始めた。空は快晴、ただ水平線上に雲があった。水平線から昇ってくる太陽を拝むことは無理か?と思った。しかし雲が陸地に向かって移動してくる感じは無かった。周囲も明るくなってきたので蚊が出てこないと思い、Tシャツ(クールーで購入した日食Tシャツ)の上に着ていた長袖を脱いだ。イザベラさんも起き出して、旦那さんと合流していた。

6時15分過ぎ、雲が次第に明るく輝き始め、太陽の大よその位置を見当することができた。ひとまずその方面に望遠鏡を向けて日の出を待つことにした。

F黄金色のリング

地平線から昇る部分日食 6時19分過ぎ、雲の向こう側から太陽が姿を現した。思ったよりもずっと南よりだったので慌てたが早速望遠鏡の向きを調整して、撮像を開始した。液晶で映り具合をチェックしながら撮像を進めていった。極軸を完璧に合わせたのではないので、時々モータードライブや微動で構図を調整しながらの撮像である。しかも太陽は次第に輝きを増していることから、露出の調整も大変だった。日の出から約10分後の6時28分ごろ、露出の調整だけでは限界になってきたので、ついにNDフィルターを対物レンズに装着した。

太陽高度は徐々に上がっていたが、食が進んでいるためか周囲の明るさは日の出時にくらべ若干明るくなっている感じだった。6時40分ごろになって、木漏れ日がある場所を探しにレストラン方向に向かった。幸いにも階段付近にあったので、数枚撮像して望遠鏡に戻った。

木漏れ日 金環中 次第に月は太陽の前面に入り始めた。テニアンのときと異なり、今回は月の大きさが太陽に比べ明らかに小さい。太陽が月を覆う感じであった。当初の計画通り10秒ごとのインターバル撮像から連写モードに切り替えた。書き込み速度の関係で時々休止してしまうことがあったが・・・月は太陽の前面に入り込み、遂にリングが完成した。ベイリービーズの方は、事前にTさんが予報したように、単調なものであった。皆既と異なり周囲の歓声は全くなかった。金環日食突入からほぼ1分、連写モードから10秒ごとのインターバル撮像に切り替えた。

10秒ごとのインターバル撮像が順調に開始されたことを見計らって、部分日食時に探しておいた木漏れ日が出ている階段付近に向かった。期待していたように無数のリングが広がっていた。現地の人は気がついていなかったが、私が夢中で撮影しているのを見て気がついたみたいだった。

すぐに戻って望遠鏡にかじりつこうと思ったが、裸眼ではどのように見えるのかと思い、太陽を見た。さすがに黄金色のまぶしい太陽であったが、かろうじてリングであることを認めることができた。Tさんから金環日食終了まであと1分が告げられる。皆既ほどではないが、やはりメインは短く感じる。再び連写モードに切り替えて第3接触に備えた。月は次第に太陽の隅に移動してきた。突然リングが途切れ始めた。これまた事前の予報どおり、単調なベイリービーズであった。皆既日食終了時には歓声があがるが、こちらもなく、あっけない幕切れであった。それでも夢中で撮像を続けた。金環日食終了からおよそ1分後、連写モードから10秒ごとのインターバル撮像に、7時をまわったころから当初の計画通りに10分ごとの撮像に切り替えた。

金環日食撮影経過
金環日食撮影経過………撮影位置(Tさん測定):北緯4°53´52.0" 西経52°15´39.8" 標高5m


そのころ、現地の人が私に向かってさかんに話をかけてくる。どうやら日食Tシャツのことであった。ジェスチャー等で背中を撮影したい(私の姿ではない(笑))ということで快諾した。また望遠鏡を覗かせて欲しいと言われたので、これも快諾した。また先ほどの階段に向かって木漏れ日の撮像を行った。初めは何を撮影しているのか?と思っていたが、ようやく気がついて歓声をあげていた。

ギャラリーの観測風景 太陽が次第に復円するにつれて、太陽光線も次第に強烈になってきた。あまり日焼けをしたくなかったので、再度長袖を着た。周囲のギャラリーも次第に少なくなってきた。前半の部分日食の半分が省略されていたので、後半はとにかく長く感じた。よく見ると黒点がほとんどないさびしい太陽面で、太陽活動が極小期であることを実感した。8時10分で日食終了であるが、8時目前になるころから次第に撤収の準備にかかり始めた。部分日食とはいえ、貴重な天文現象だから見なくてはと思いながらも日差しの強烈さにはうんざりした。今朝、星野撮影で活躍した三脚などを真っ先に撤収した。

8時10分過ぎ、遂に部分日食終了。Tさんから終了が告げられるとやっと歓声があがった。天気が気がかりであったが、結局は水平線から昇ってくる太陽を拝むことが出来なかったが、それ以降は全く問題ない天気であった。高度8度という低空のために、折り重なる雲の心配もあったが、不安を吹き飛ばす見事な日食であった。撤収や記念撮影の撮影で砂浜が元の静けさを取り戻したのが8時50分ごろであった。

日食が見られたという満足感のもと、ここに来てはじめてのんびりとした朝食にありつけた。朝食は無論、観測場所のレストランである。パンやフルーツ中心のさっぱりとしたヘルシーなメニューであった。お酒を飲めない?Kさん以外は、日食成功ということでビールで乾杯した。結局日食で撮像したコマ数は何と600枚近くで、無論これまでの海外遠征の中では最大の枚数になった。

G活気あふれる市場

カイエンヌ市街の野外市場 カイエンヌ滞在最後の日(23日)である。本日の午前中はイザベラさんの案内でカイエンヌ市内の観光である。天気は晴れているが、昨日に比べ若干雲が多くなっていた。主に市街地中心にあるパルミステ公園、市内を一望できる高台、漁港などを回ったのち、野外市場を回った。野外市場は非常に活気が溢れていて野菜・果物や香辛料、衣服などが売られていた。野菜・果物の中にはスイカやゴーヤ、バナナ、青梗菜など日本人にとっても馴染み深いものも売られていた。

その後、宿のとなりにある文房具屋、土産物屋に立ち寄ってチェックアウトを行った。このうち、文房具屋に寄ったのは、新聞を購入するためである(イザベラさんには日食翌日の新聞購入希望についてTさんから伝えてもらっていた)。数種類の新聞があったが、日食を取り上げていたのはわずか1種類であった。しかもリング状になった太陽が掲載されていない(ほとんど観望する人物のスナップ)という不可解なものであったが、各自購入した。

H名残惜しいフランス領ギアナ

高台からみたカイエンヌ市街 昼食も終わって後は空港に向かうのみとなった。終わってしまえばあっという間のカイエンヌ市内滞在であった。4日前寝ぼけながら来た道を空港に向かって移動した。周囲の熱帯の森林を写真に収めた。

いよいよ空港。同業者なのか、大荷物を持った欧米の人も多数いた。彼らは今帰れば日曜日中に戻れるので、飛行機は相当混むのではないかと思った。機材預けの荷物は23kgと若干オーバーしていた。係員にいろいろ文句を言われたみたい(言葉が分からない)だったが、イザベラさんが何とか交渉してくれた。

身軽になった我々は出国審査である。審査は来たときと同様、現地の警察が行っていた。イザベラさんは、無論この手前までしか来ることができない。私は使用していたうちわをプレゼントして、別れを惜しみながら搭乗待合室に向かった。イザベラさん、本当にありがとうございました!!

I駆け込み乗機

大西洋に沈む日食翌日の月 搭乗待合室は期待に反して土産物などの売店は無かった。仕方ないので、おしゃべりなどをして時間をつぶす。機内に案内されたが、我々4人は中央の4人がけの席であった。搭乗口にある新聞を取って内容をチェックしたが、日食関係の記事は全く無かった。出発が17時55分(実際は18時10分)だったので、私とWさんは日食翌日の細い月を見ようと考えていた。

水平飛行に入ったが、周囲はまだ明るい。それでも18時30分過ぎ、多少暗くなってきたので、客室乗務員が座る席のところにある窓に顔を押し当てた。すると以外にも簡単に細い月を発見した。急いで座席に戻って、Wさんに連絡した後、かばんにしまっておいたEOSを取り出した。感度・露出を変えて何枚も撮影した。飛行機の向きによっては、もう見えなくなってしまうのでは?と考え必死にシャッターを押し続けた。月の高度は次第に下がっていったが、周囲が徐々に暗くなってコントラストがついて、かえって見えやすくなっていた。周囲の人も気がついたのか?我々の居た窓にカメラを押し当てていた。

オルリー空港からドゴール空港に到着、成田行きの飛行機は13時15分発(現地時間)の予定である。ゆっくりと空港内で過ごし、目的の便の案内開始が出たので、チェックインを行った。機内預けの荷物を渡してから、現地の係員が重要なことを発見した。機内預けの半券を良く見ると便名がAF-272になっているのである。向こうの手違いかと思い、搭乗券をチェックしたところ、これまた便名がAF-272になっている (旅のしおりなどではAF-276)。これでは出発まで1時間程度しかない。現地の係員と別れ、急いで手荷物検査場に向かった。

セントジョセフィ島海岸J地球の反対側から帰還

カイエンヌ‐パリ間の便と異なり、今度の便は半数以上が日本人である。
案内も日本語で行われていた。

長い長い飛行時間を経て、次第に着陸時間が迫っていた。飛行機真下のカメラの映像に切り替えたところ、山岳地帯を通過した後、関東平野に入った。栃木と茨城の県境を飛んでいるのは地図で分かったが、具体的にどこの位置か分からなかった。しかし、やたらとゴルフ場が多いのは分かった。こうして成田空港に無地着陸(日本時間、25日6時50分過ぎ)。トラブルがあったものの、当初の予定よりかなり早く到着した。

入国審査、機内預けの荷物の受け取り、税関を無事通過してから、写真交換会での再開を約束して解散を行った。成田空港から自宅までは出発時と異なり、横浜経由で帰宅した。疲れきっていたため、電車の中ではほとんど寝ていた。自宅に戻ってデジカメデータをPCに移動してから撮影の本成功を確認した。

Kあとがき

今回の日食遠征は、メンバーは皆顔見知りという状態だったので、アドレス交換などは行わなかった。

私自身2001年6月のアフリカ皆既日食以来、コロナとはご無沙汰の状態なので、2008年8月のシベリア‐中国西部の皆既日食は是非とも言ってみたいと思う。

最後になりましたが、今回の旅行全般を取り仕切っていただいたTさんには改めて感謝の意を表します。

以上
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