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廃止前路線鉄道の掲示板

写真は鹿島鉄道の夕張車両です。 画像をクリックするとメインページに飛びます。

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鉄子さんのいないかしてつ  投稿者:kei  投稿日:2007年 4月30日(月)23時26分36秒
  昨日、TAKAさんと共に鹿島鉄道の廃線跡を探訪しました。
最初に常陸小川駅へ行ったのですが、駅舎はまだ残っていたものの長椅子で閉鎖された状態となっていました。
KR-500形がちょうどトラックで運び出される直前でした。二台ほど留置されていた車両が全て運び出されたので、ホームを残す価値が無くなったようです。ホームは完全に土と瓦礫の山と化していて、とても映す気にはなれなかったです。常陸小川駅舎が取り壊されるのも時間の問題でしょう(>_<)

次に小川高校下駅へ行きました。駅名標は外されていて、ホームと雨避けの待合所だけが残されていました。既に鉄路が雑草に覆われています。雑草の一部が木に替わるのも時間の問題です。某サイトの廃線跡探訪で、線路跡のど真ん中に樹が伸びていた写真には驚きました。でも廃止から僅か一ヶ月で、こうも様変わりするものなんですね…(T_T)

次に桃浦駅を訪れました。駅舎が完璧に残っているのを除いては、ホームの駅名標が外されているだけでした。でも駅周辺の鉄路以外は外されていたようです。八木蒔駅も駅名標が外されている以外、そのまま残っていました。
問題は浜駅です。浜駅駅舎の土台だけが残されていました。ひどい変わりようです。浜駅の時刻表と定期運賃表が駅舎もろとも無くなっていました。

その後、玉造駅・榎本駅で探訪を終えてTAKAさんと温泉に行きました。玉造駅でバスの運転手さんに聞いたら、廃止をすごく残念がっていました。町や市ぐるみで補助金を出さないから廃止されたとか、滑車(トロッコ)を走らせればまだ持ったのに…とか町の政治家が悪いとか色々言っていました。八木蒔〜桃浦に行く途中で霞ヶ浦が見える風景がすごく良かったと言っていました。

また、こう早く駅舎やホームを取り壊すのはワケがあって、何でも固定資産税が高く付くので金が掛かっても更地にするそうです。取り壊し工事は、石岡〜浜まで先に進めているそうです。終点の鉾田駅が壊されるのはまだ先の話ですが、“鉾田ネバーギブアップかしてつ”の努力も空しく、取り壊しは時間の問題となりそうです(>_<)

ちなみに玉造駅と榎本駅は駅舎がそのまま残っていたものの、玉造駅のホームが無くなっていました。玉造駅も取り壊しの運命にあるそうです(T_T)

http://ameblo.jp/megomegoco/

 

鉾田の取り組み  投稿者:ブン太郎  投稿日:2007年 4月21日(土)09時27分53秒
  趣旨は分かりますし賛同できる部分も多いのですが、ちょっと大風呂敷広げすぎで虻蜂取らずにならなきゃいいなと危惧してます。保存車輌でちょっと有名な方ともご近所のこともあり親しくさせていただいておりますが、諸条件を考えると、車輌x3と鉾田駅の双方の保存は、市民団体やファン倶楽部レベルでは下記メールに書かれている内容だけではちょっと無理です。ヤミクモに募金集めしても、募金が宙に浮いてしまいますので、まずは署名活動で得た賛同者に、市への陳情に同意してくれないか個別にあたる必要があるでしょう。自治体が乗り出してくれないと、保存に成功したとしても5年後には荒廃・解体の可能性が極めて高くなると感じています。  

そういえば・・・  投稿者:くにさん  投稿日:2007年 4月20日(金)22時29分35秒
  そういえば今日はちほく高原鉄道が廃止されてから1年目ですね。北海道の地図から消えてしまったのが寂しいです。  

鉾田ネバーギブアップかしてつ  投稿者:kei  投稿日:2007年 4月 6日(金)23時40分17秒
  御礼状

鹿島鉄道の廃止届けを取り下げ、営業休止を求める「鉾田ネバーギブアップかしてつ」に賛同し署名してくださったすべての皆様へ

 2007年3月31日23時45分、定刻から1時間あまり遅れて鹿島鉄道の鉄路を走る最後の気動車の動きが止まり、廃線となりました。鉾田の小さな駅には真夜中にもかかわらず鉄道ファンだけでなく地元の人たちも集まり、祭りのようなにぎやかさでした。実際最終が到着する予定だった22時30分までは、鉾田市内の10団体200人の囃子方が朝から13時間半ずっと2台の山車の上で太鼓をたたき、狐やひょっとこの面をつけて踊り続けてくれました。一部鉄道ファンの方からは「鹿島鉄道の葬式の日なのに、お祭り騒ぎとは何ごとだ。」とのお叱りも受けましたが、「蛍の光で送るよりも、鉾田市民からの鹿島鉄道の83年間への最高の感謝の気持ちの表し方なんです。」と説明いたしました。すると「たくさんの廃線に立ち会って、しんみり悲しい廃線の日しか経験したことがないからこんなのは初めてだけど、地元の人たちにこれほど愛されていた鉄道だったんだねえ。それにしてももう少し早くなんとかすればよかったのにねえ。」と毎度の決まり文句で結局行き場のない怒りを話されていました。

 鉾田市民にとってかしてつは、あってあたり前、あんまり乗る人はいないけれど今まで大丈夫だったんだからこれからもなんとかなるだろう・・・・と何の根拠もなく楽観視される存在でした。まるで、病気の人を他人が心配するほどは、いつも一緒に暮らしている家族はあまり気にしないかのような。

 昨年8月に老後をのんびり暖かいところで過ごしたいと、何のゆかりもない鉾田にスウェーデンから移り住んできたばかりのヤンさん由美さんのへニックス夫妻が、「鹿島鉄道のために市民はなにもしないのか。」と言い出したのが今年になってからです。「鹿島鉄道はまだ走っているし、線路もまだある。ヨーロッパでは廃線になって線路も取り外された場所に、環境を配慮した鉄路をまた引きなおして戻ってきているのに、日本は時代に逆行しているじゃないか。」と説得され、まあ、私でできることがあれば手伝おう、ぐらいの気持ちで始めたのが「鉾田ネバーギブアップかしてつ」の始まりです。

 とりあえず廃線ま近ということで、かしてつ最終駅である鉾田駅まで全国各地から来てくださるたくさんの方達を土日祭日だけでもおもてなししようと、地元の野菜やお茶、地図を配り名所案内などをしながら Welcome to Hokota 活動を2月10日から始めました。その前後の平日は関東鉄道を初め鹿島鉄道、行政、先輩存続運動団体などを訪ね勉強しながら署名活動の準備をし、17日から実際に皆さんにお願いしたわけです。

 鉄道のことについてほとんど無知な私にとって、鉾田駅でのたくさんの方との出会いの一つ一つが貴重な学習の場になりました。小学生の熱心な鉄道ファンから昔の集団就職セレモニーの思い出を語るお年寄りの方まで、多くのかしてつメモリーや再生案などを聞かせていただきました。

 廃線まで1か月半という時期ではありながら皆様の御温情のおかげで集めることができた署名を、一度は鹿島鉄道側に受け取り拒否をされたものの、その後も増え続け14265名になったものを3月23日、なんとか民意として会社に届けることができました。その際会社側からは、「なんとしても廃線届けを取り下げることはできない。」という即答を受けたので、それならばせめて駅舎と客車と最初の踏切までの線路土地を売っていただけるよう、提案しました。価格の提示をしていただければ募金活動をし、鉄道交通公園としてでもかしてつを残したいと考えたからです。でもおばさんと変な(!?)外人の素人団体のせいかどうか、いまだに価格提示をしていただくことができません。ただ、老朽化が激しいから4月になったらすぐ取り壊す、の一点張りだった駅舎はまだちゃんと建っていて、最終は石岡に回送されてスクラップにされるはずだった客車が3両、鉾田駅に残っています。新聞社の質問に会社側は「鉾田ネバーギブアップかしてつの交通公園構想も思慮に入れて今後の資産処理を考えています。」との回答だそうです。

 鹿島鉄道の本体、関東鉄道が青息吐息で、20年前筑波鉄道跡をまとめて県に60億(83億という説もある)で買ってもらってりんりんロードにし赤字補填をしたように、今回も2匹目のどじょうねらいが、県はおろか沿線市町村も企業もまとめて買ってくれるところがない状態です。時間がたてばたつほど関東鉄道の立場は苦しくなってしまうし、でも切り売りよりはまとめて売りたいし、でいろいろ大変なんでしょうね。

 さし当たって、野ざらしの日本最古の気動車にカバーを掛けること、「関東の駅百選」や「21世紀に残したい日本の駅舎新百選」に選ばれた鉾田駅の補修をすることなど、すぐ取り掛かりたい仕事があります。鉾田の人たちが諦めなければ、その後行方市、小美玉市、石岡市と熱意がつながるのではないかという希望を捨てずに今後もがんばっていきたいと思います。

 まずはお忙しい中署名活動にご支援をいただきましたことに、深く深くお礼申しあげます。残念ながら廃線にはなってしまいましたが、失くすには惜しいもの、失くしてはいけないものがあることを今後も訴え、再生活動を続けるつもりですので、どうぞよろしくお願いいたします。

2007年4月6日 鉾田ネバーギブアップかしてつ
代表 吉田亜里子

と言う御礼状がメールで送られてきました。代表の吉田さんとは何回も話をしていますので、この掲示板でも鉾田ネバーギブアップかしてつの活動を応援していきたいと思います。
土日に廃線マニアが来るケースもあるので、募金活動をされては如何でしょうか?…と提案しました。
どうか皆様、ほんのお気持ちだけでも結構ですから“鉾田ネバーギブアップかしてつ”に募金してあげてください。宜しくお願い致します。

http://www.nihonkai.com/railroad/

 

深夜の構内  投稿者:マサ  投稿日:2007年 4月 5日(木)11時10分30秒    編集済
   ブン様も最終列車到着時、鉾田におられたイヤ、その列車に乗っていたのですね。最終アナウンス、感動的だったのですね。この最終列車鉾田到着時には、既に駅では、通常切符、記念乗車券、各種かしてつグッズは売り切れで、唯一2500円の各駅の記念入場券の台紙付きセットのみ残りあと10枚ほどで売り切れ寸前状態でした。(これも最終的には売り切れたことでしょう。)
 0時を過ぎた深夜、鉾田駅構内に留置された3両のディーゼルカーを、小さな男の子とそのお母さんが見ていました。そしてお母さんが「もう帰るよ」と帰宅を促しても、また線路前に戻ってきて(それを何度も繰り返して)、ジーっと「さよなら」と見送っていた小さな男の子の後ろ姿がとても悲しかったです。このときふと、東急玉電最終日に首都高も出来ていないだだっ広い国道246号大坂上付近(当時この近所に在住)で、じっと玉電を見ていて、祖母に帰宅を促されながらもそれを拒否してじっと見続けていた。自分が4歳の時のおぼろげな記憶がフラッシュバック致しました。
 

土曜日はギンギラギン  投稿者:kei  投稿日:2007年 4月 5日(木)00時02分56秒
  >鉾田は、恐らく夕方16:00〜17:00ごろの到着予定です。ご都合が合えば如何でしょうか?
土曜日は日曜日の分も仕事をしないと休めないので、多分遅くなります。夕方6時〜7時頃にケイタイへメールして出なかったら仕事中ですので御了承下さい。

>車窓が何かいいのですよ。
日立方面の海岸線は実際に行ったので想像がつきますが、新鉾田以南は分かりません。何か良さそうな海岸の景色とかありますか?車があると、つい使ってしまうもので…

>茨城交通は、那珂湊や阿字ヶ浦の駅の周りを散策したいと考えております。
これは比較的短い路線なので、もし都合が合えば車で全駅散策したいですね。また前面車窓風景も狙っています。かしてつのように、どこか適当な駐車場があれば良いのですが…

http://www.nihonkai.com/railroad/

 

茨城訪問  投稿者:TAKA  投稿日:2007年 4月 4日(水)23時15分54秒
  Keiさま、こんばんは。
昨日は、携帯へメール送信ありがとうございました。PCの方も設定を変えれば入ると思いますので、送付いただければ幸いです。

さて、標題の件ですが今週末土曜日に訪問します。Keiさまは、日曜日がお休みとのことですが、生憎小生の都合がつかずその日は伺うことができません。検討させていただきましたが、誠に申し訳ありません。鉾田は、恐らく夕方16:00〜17:00ごろの到着予定です。ご都合が合えば如何でしょうか?
>臨海線は廃止しないと思っているのでノータッチです。
私もそう思うのですが、車窓が何かいいのですよ。これは、お会いしたときにでもお話しします。
茨城交通は、那珂湊や阿字ヶ浦の駅の周りを散策したいと考えております。
 

最終便・生の声  投稿者:kei  投稿日:2007年 4月 4日(水)20時24分59秒
  あれ?ブン様、鉾田駅の最終便に乗っていたのですか?
私とマサ様は鉾田発最終便と鉾田着最終便を見送るため、ホーム近くに陣取っていましたよ?貴重な車内放送をありがとうございます。満員ラッシュ時よりも混雑されただろう貴重な車内からの声をありがとうございました。私は仕事で乗れず、遠巻きに撮影するだけでした(>_<)

撮影と言えばブン様のブログもROMしましたが、私とは違った角度からの撮影がまた良いですね。またお邪魔します。

廃止当日の31日は大変忙しく、午後10時過ぎまで残っていた方も十名ほどいたそうです。でも、来客中と言って強引に会社を抜けてきました(昨日のうちに許可は取りましたが…)。こんな日にシゴトなんかしてられないですよね?
今週の月曜日に11歳も若い部長(お互いに前の会社は同じで、そこでは後輩)から「かしてつ乗りに行ったんですか?」と聞かれましたが、「いや、撮りに行っただけです。」と答えておきました^^ゞ

百里基地が移転しても、私が鉾田に住み着くまで走ってくれた鹿島鉄道に感謝します。せめてあと一年ほど長く走って欲しかったのですが…(T_T)
かしてつ応援団とネバーギブアップかしてつの活動が無かったら、当然列車は留置されていないでしょうし、鉾田駅も取り壊しの運命になっていました。熱心な地元住民にも感謝致しますm(_ _)m

http://ameblo.jp/megomegoco

 

かしてつの最終便  投稿者:ブン太郎  投稿日:2007年 4月 4日(水)19時33分49秒
  3月31日は鉾田の始発(525発)から乗り撮りしてました。玉造町のそば屋さんで、そばずしを買ったら「これですべて売り切れです。ありがとうございました。」とここでも最後の客になってしまいました。
その後、現地で合流した友人の車で常陸小川に向かい、最終の鉾田行きに乗車。一つ一つ終点が近づき、坂戸を出て陸橋を越えたあたりで、「間もなく終点、鉾田に到着です。本日は最終列車にご乗車頂きありがとうございました。鹿島鉄道はこの列車をもちまして83年間の歴史に幕を下ろしますが、今日まで営業を続けてこられたのもお客様皆様のおかげです。従業員一同に成り代わりまして御礼申し上げます。」(ちょっとちがうかも)というアナウンスがあり、車内で一斉に拍手がわき上がりました。ホント涙が出てきました。道中、小刻みなマスコン操作とブレーキ操作から運転士さんの緊張ぶりがずーっと伝わって来ましたが、厳かに慎重すぎるくらいゆっくりと鉾田駅に侵入した列車が止まった時に、運転席から緊張の糸が切れた溜息が聞こえた気がいたしました。

その後、最後の1ヶ月間、兄弟仲良くつながっていた432が単行となって、二度と会うことの無いであろう431との別れを惜しむようにゆっくりと闇のなかへ消えて行きました。

最終列車の後、特別回送で送り込まれたKR(水色)+601編成を本線上に留置したのを見届けつつ、常陸小川に戻ったら、まだ信号機は灯っており、明日も列車が来るような錯覚を覚えましたが、構内に入ると714と432、そしてありがとうカシテツ号が本線の交換設備上で並んだまま火を落として静かな眠りについていました。この光景を見た瞬間、本当に廃止になったという現実を突きつけられ言葉を失ってしまいました。

1987年3月31日に国鉄とともに姿を消した筑波鉄道よりも乗客が少なかったのに百里の航空燃料輸送で奇跡的に21世紀に生き延びた文化財級の旧型気動車と沿線風景を単なる「足」としてしか捕らえられなかった茨城県の観光政策のセンスのなさを20年後、きっと悔いる日がやってくるでしょう。

せめてもの救いは、これら気動車群にそれなりに引き取り手が現れていることです。一つくらいは動態で残し、いつの日か復活させたいものです。
 

情報が早いですね  投稿者:kei  投稿日:2007年 4月 3日(火)23時52分7秒
  TAKA様、先程ケイタイからメール致しました。

新聞記事にも記載されている、かしてつ保存会のY会長とは鉾田駅でよく話をしていました。鉾神社の山車情報もY会長から聞きました。31日にもお会いして色々な方を紹介されたのですが、記憶が薄くかしてつの灯が消えてしまいました。

今日、近くのガソリンスタンドへ行ったらY会長の旦那さんのお兄さんが経営している店で、世の中狭いなぁ…と感じました。そしたら31日に紹介された方だったのですが、記憶が薄く思い出せませんでした。“かしてつを救え”の記事のコピーがかなり置いてありました。そのお兄さんには、廃止後のかしてつに行った?とか根掘り葉掘り聞かれましたが…

>茨城交通湊線・鹿島臨海鉄道・鹿島鉄道(廃止)を予定しているのですよ。
鹿島臨海はともかく、私の行きたい路線で近いところばかりですね。臨海線は廃止しないと思っているのでノータッチです。最寄り駅の徳宿に会社があるのですが、当然自家用車通勤です。日立鉄道も行こうと思ったのですが、その頃は群馬県太田市に住んでいて、他の趣味のツアーと重なってしまい行かれなかった経歴があります。

ところで、まだ日立鉄道の駅舎と駅名標は健在でしょうか?いずれにしても茨城交通湊線の廃止は免れない状況なので、鉾田に居るうちに行きたいと思います。

http://ameblo.jp/megomegoco

 

以上は、新着順1番目から10番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 
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