写真は南部縦貫鉄道の天間林駅舎です。画像をクリックするとメインページに飛びます。

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湘南顔の車両 投稿者:かわうそ99  投稿日: 2月 3日(木)19時55分15秒

 鹿島鉄道や茨城交通には、複雑な前歴を持つ中古車両が走っていたと思います。昭和30年代は東海道本線を走っていた80系電車のデザインを真似て、地方の気動車にも前面2枚窓の車両が数多く登場し、それが巡り巡って・・・今では鹿島鉄道あたりでしか見られないでしょう。茨城交通の銀色の車両は那珂湊駅構内で台車を外されて物置になってますし。鹿島の車両は確か夕張鉄道あたりからやってきたんじゃなかったでしょうか?
 私は鹿島鉄道には3年前に乗車し、終点ひとつ手前の坂戸で下りて徒歩10分の「ほっとパーク鉾田」で温泉入浴してきました。


キハ11 投稿者:まるたてくんた  投稿日: 1月30日(日)02時01分40秒

茨城交通のキハ11、本日、水戸線を回送されるとおもいました。
ドナドナドーナドーナ♪

ただ、幸い解体のための回送ではなく、郡山で整備後、大宮の殿堂に入るとのことです。
つくばのキハ04の隣に並ぶのでしょうね。きっと。


ぷっち2世 投稿者:マサ  投稿日: 1月28日(金)09時55分22秒

 近年、大手私鉄が新車を精力的に製造している関係で、そんなに古くもないステンレス製の中古車輌が、安価で地方中小私鉄に渡される為、昭和40年代以前のノスタルジーな中小私鉄の車輌が、加速度的に廃車の憂き目に遭っております。
 その中で、鹿島鉄道では、近年の車輌もある中で、奇跡的に郷愁を感じるディーゼルカーが現存しており、その中に2台もプッチ(熊谷線)と同系車が今も現役で走っております。
 私も、当然この霞ヶ浦沿いを走るプッチ2世(勝手に命名(爆))に乗りに行っております。
 ペイントが上半分がクリーム色、下半分が1台は緑、1台は赤。また、前照灯、車内アコモ等、多少、熊谷線と違いはありますが、現在でもこの車輌に乗ることが出来ることを嬉しく思っております。
 中小私鉄の車輌が、ほんのちょっと前まで大手私鉄で走っていた車輌に変わっていく中、このプッチ2世にはこれからもずっと走り続けて欲しいです。 


そうか.熊谷か. 投稿者:まるたてくんた  投稿日: 1月28日(金)01時24分39秒

この前,石岡で鹿島鉄道を見かけたとき,どうもどこかで見たことのある車輌だとおもったら,熊谷線ですね.
なるほど.(妙に納得)


ぷっち 投稿者:マサ  投稿日: 1月27日(木)09時29分4秒

 かわうそ99さん、プッチに乗られたことがあるとのこと、実にうらやましいです。私も廃止の頃は神奈川県に住んでいて、ちょっと足を運べば乗ることが出来たので、ホントに残念でした。

>東武としても、こちらの路線ができると伊勢崎線のお客が流れてしまう、という思惑があったのでしょう。

 この思惑は的を射ておりますね。伊勢崎線を使った都心までの乗車距離も長いため、その運賃収入を考えると、東武の思惑は納得です。


東武熊谷線 投稿者:かわうそ99  投稿日: 1月26日(水)22時33分10秒

 私が小学生の頃、時々高崎線の北本の叔父のところへ行く途中、東武バスの車窓から見かけた
ものでした。これが東武鉄道の路線と知ったとき、なんでこんなところに東武が・・・と思った
のです。他の路線とつながっていない理由は、群馬県の大泉町(当時はたぶん小泉村)にあった
陸軍基地への軍需物資輸送のために作られた路線であったが、終戦までには利根川の橋が間に合わ
なかったことによります。その後、群馬県が輸送量調査などを行って「バスで充分」という結論
を出したり、路線建設のための免許も昭和49年に失効。沿線市町村で軌道建設促進期成同盟も
作られたはずですが、立ち消えてしまったようです。東武としても、こちらの路線ができると
伊勢崎線のお客が流れてしまう、という思惑があったのでしょう。実際、太田市民の私でも東京
へ急ぐ時は熊谷駅南口の1日500円駐車場へ車を停めて高崎線を使います。
 '83年(昭和58)年5月末の廃止までに私は3往復乗りましたが、キハ2000の乗り心地はそれこそ
ガタガタビリビリとしたものでした。末期には熊谷駅の新幹線高架下のホームに乗り入れていま
したが、その部分だけはガタガタが収まったのを覚えています。


「プッチ」or「かめ号」 投稿者:マサ  投稿日: 1月24日(月)10時18分20秒

 東武熊谷線。昔、通称「プッチ」あるいは「かめ号」という金太郎みたいなかわいいディーゼルカーが単行でのんびり走っておりました。現在も同型式の車輌が鹿島鉄道で2両走っております。(この車輌の製造会社は「東急車輌」の昭和29年製で、同社では翌年昭和30年にあの玉電名車、通称「ペコちゃん」もしくは「いもむし」もしくは「タルゴ」の200形を製造しています。この「プッチ」と「ペコちゃん」。通りで面構えが似ているわけです。)
 廃止前に一度乗っておけば良かったと今でも悔やんでおりましたが、当時の終点地妻沼には資料館にこの「プッチ」が静態保存されており、つい最近それを見ることが出来ました。
 一部の廃線跡は立派な道路になっていましたし、未開通だった西小泉以南(群馬側)の未完成区間は、緑道公園として整備されておりました。現在、もしこの鉄道が熊谷まで全通していたなら、群馬中央部の諸市から、新幹線熊谷駅へのアクセスが便利になり、都心に繋がる幹線になったかもしれません。早期に廃止になってしまったのが悔やまれる路線です。
編集済


妻沼線 投稿者:kei  投稿日: 1月22日(土)20時57分8秒

本日、東急の妻沼線に行ってきました。妻沼線とは通称で、熊谷〜妻沼まで延びていた支線です。これが太田から伸びる西小泉と結ぶ予定だったのですが、1983年に廃止となったそうです>_<
結構車体の写真を撮ったのですが、例によってPCの無い生活なので写真のスキャナが出来ません。皆様、気長にお待ちくださいm__m
そう言えば新橋の交通書房で見つけた廃止路線硬券切符のスキャナも出来ませんでした…

http://www.nihonkai.com/railroad/


ながれ ほし 投稿者:マサ  投稿日: 1月 6日(木)16時30分22秒

 まるたてくんたさん、近場でもありますし、おいさき短い運命であるなら、是非、子まるててくんた君と一緒に訪問して下さい。私が驚いたのは始発から終点までの運賃が、大手私鉄並みに安かったことです。この金額もこのまま続くのかは疑問ですし、まるたてさんの話しを聞くと存続すら大変な状況ですね。今後の動向を注視していかなければなりませんね。


流山電鉄 投稿者:まるたてくんた  投稿日: 1月 5日(水)20時59分44秒

常磐線馬橋からちょっと上野よりにいくと上り線だと右手に「鉄道部品工場」というのがありますが,以前はあそこで作った自前の車輌を使っていたとおもいました.
最近は緑とかブルーとか朱色とか様々な電車があって綺麗ですね.あのあたりは道路も狭くものすごく渋滞するので,あの電鉄はそれなりに重宝されているように思いますが,Tx開業したらかなり経営は困難でしょう.わざわざ馬橋なんて不便なところまで出てから松戸や東京に出るとも思えません.Tx開業が遅れた原因の一つには,流山電鉄がMIRに対し,交差部の補償金を経営困難となることを理由に吊り上げ訴訟沙汰になっていたからというのもありました.(和解したので今年開業予定)
そこから考えると,いつ廃止になってもおかしくありませんので,私もそう遠くない将来乗りに行こうと思っております.

なお,余談ですが,今来ている彗星は,筑波鉄道の廃線跡ならば,おそらく肉眼で見つけることができるくらいのところですので,お暇でしたら遊びにいらしてくださいませ>マサさま,keiさま(寒いので一人で行く気がしないというのが本音)


以上は、新着順1番目から10番目までの記事です。




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