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ken様、まさに読んで字の如しですね。私が生まれた頃の時刻表は賑やかな路線だったのでしょうけど、いかんせん実感できないのが残念です。道内ではちょっとした土塁跡があれば廃線跡と定義して良さそうですね。
道内私鉄で乗れたのは、三菱石炭鉱業だけです。廃線前の現役路線を集中して乗っていたので、この路線は良い記録が撮れたと思います。逆に名寄本線の湧別支線には行けなかったので、凄く悔やんでいます。中湧別に2回も撮影しに行ったのだから四号線に行くべきでした…>_<
知人から昭和46年発行の地図を借りています。画像処理のアレンジをした後、当時の路線を路線別に再現させようと画策しています。また現在サーバー移転作業中で、アクセスカウンターが10000を超えた時点で新サーバーに移転する予定です。移転後も宜しくお願い致しますm__m
札沼線は今では石狩線という方が合っているような気がします。私が持っている時刻表の復刻版1964年や1967年を見ているとその当時は道内には鉄道が張り巡らされ、路線図だけで北海道地図が書けるほどです。国鉄の根北線といった路線や、私鉄では三井芦別鉄道、三菱鉱業大夕張鉄道・美唄鉄道、寿都鉄道、夕張鉄道、定山渓鉄道、雄別鉄道、留萌鉄道、羽幌炭鉱鉄道、歌登町営鉄道、北海道拓殖鉄道など道内各地に数多くの鉄道が走っていたんですね。まだ鉄道跡の残る所もありそうですね。
新十津川は鉄道の終着駅なのに人気がありませんね。
昭和末期に札沼線沿線の大学へ通っていましたが、同級生で滝川から当別に部屋を借りている方がいました。帰省するのは札沼線を使うの?と聞いたら函館本線を使って帰るのだそうです。札沼線の新十津川から滝川まで近いよ!?と言ったのですが、札沼線で帰省することは考えていないようでした。如何にマイナーな路線か…と言うことですね>_<
'83年夏に北海道の国鉄全線乗車した際、滝川の宿に泊まって翌朝新十津川経由浦臼行きのバスに乗りました。国鉄バスでしたが直接新十津川駅には寄らず、駅入口の国道沿いの停留所に停まったように記憶しています。朝、宿を出るとき宿のおばさんに「今日はどちらへ行かれるんですか?」と聞かれ、私が新十津川へ行く、と告げるとおばさんは不思議そうな顔をして「あんなところへ行っても何もないと思いますけどねえ・・」と言っていたものです。
多分昭和末期の時には浦臼〜新十津川間のカウントをしていたので、廃止しようと思われたのかも知れません。なぜかJRバスも通っているのに廃止にならないのは貴重な存在なので今後も存続するでしょうね。実は札沼線の写真も未現像FILMから焼き増ししたものですが、こちらの方が早く見つかったので天北線より先にupしています。
旧池北線のふるさと銀河鉄道も毎年のように危ない危ないと言われていますが、存続しているのは地元住民の熱意が今のところ実っていると思われます。廃止するのは簡単!でも存続するのが如何に難しいことか…
keiさんも歩いたんですか?あそこ。
>新十津川〜滝川間が非常に近いので鉄路で結ぶと言うことは考えられないものでしょうか?
これは私も前々から思ってましたが実現しませんね。
まあコストかかりますし、それに見合う収入があるかというと絶望的ですから・・・。そう考えるとやっぱり浦臼〜新十津川も廃止の検討をされた時期があったはずだと思われてなりません。
>そういえば昔、新十津川〜滝川を歩いたことがありましたっけ。(^^;
みかん様、私も同じところを歩きました。石狩川の橋を渡る時は、雄大な景色に目を奪われたものです。今や線路名もその性格を果たしていない感のする札沼線ですが、新十津川〜滝川間が非常に近いので鉄路で結ぶと言うことは考えられないものでしょうか?
新十津川まで通しで来る乗客もいるので、滝川から線路を結べば浦臼や月形方面の乗客も増えると思います。最もバス路線が発達しているので、JRでは二点間の工事もしないのでしょうけど…
>当時のなごりの残る線名も今では合わない気がします。
芦別線は私の知識不足で、資料も用意していなかったです。新十津川〜滝川が結ばれて札滝線!?ともなれば路線の性格も変わるのでしょうけど…
新十津川から北が廃止になった後に乗りにいったことがあります。
ちょうど国鉄の蒸機最後の年でしたが、そのとき、浦臼から北はホームにマトモな駅名標のあった駅はなく「もしかしたら浦臼から北も廃止するつもりだったんじゃないの?」と思ってしまいました。
>浦臼〜新十津川間を乗車したが、その区間だけ車掌が乗客をカウンタで数えていた
なるほどなぁ・・・。
そういえば昔、新十津川〜滝川を歩いたことがありましたっけ。(^^;
なるほど、私が訪ねたのは未成線の「芦別線」だったんですね。塚本さんの調査報告の写真を拝見しましたが、私が見た風景そのものでした。この時は数年後には列車が走るんではないかと思ったほどです。
札沼線は大都市近郊路線ということもあり需要が見込まれこれからも開発が進み札沼線もさらに風変わりしそうですね。当時のなごりの残る線名も今では合わない気がします。
札沼線利用から16年以上も経過すると、特に札幌周辺は景色が変わりますね。札沼線らしい釜谷臼もなくなったし、東篠路は拓北に名前を変えたのですね。釜谷臼周辺は駅名標も駅舎も凄く古くて良かったのですが、何もかも変わってしまった印象を受けます。高架前の札沼線は桑園と新琴似の写真がありますので、これからスキャナして皆様にお見せ致します。以下のURLにupしました。桑園駅は札沼線をクリックすると現れます。
新川は開業時によく利用していたのですが、これだけ駅舎が変わると思いませんでした。昔はホームが一つしかなく、列車の陰が見えてからも充分間に合うような作りだったのですが、今では高架化されて駅に着いてもホームまでは1分以上も掛かりますね。まるで札幌地下鉄南北線の高架駅のようです。