[ Rental BBS ] [ Rental Chat ] [ 通販ショップ無料作成!! ] [ ブログ始めました! ] [ 前ページへ ] | Reload |
札沼線の部分廃止については、そのとおりです。それにしても、深川まで乗り入れている列車があったのですね。 札沼線も、太平までの間は高架化されて、また八軒〜あいの里教育大間は複線化されていますので、管理人さんの記憶にある風景とは相当変わったかも知れません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AD%E6%B2%BC%E7%B7%9A
http://www.onitoge.org/tetsu/sassyo/top.htm
ちなみに芦別から納内への計画線は、未成線の「芦別線」です。今でも痕跡は残っているようです。
http://www.mifuru.to/frdb/maboroshi/abline/abline03.htm
http://iburi.hp.infoseek.co.jp/report05.htm
今では札沼線も通称“学園都市線”となって、かつて通学した“大学前駅”もホームが一つしかなかったのが、複数あるそうです。石狩金沢以北の路線は大学前の一番外側ホームに泊まるようで、昭和末期の光景がまるで変わりました。
現在の北海道医療大学は、歯学部で5年生以上から車通学が認められているので、学生の通学は札沼線を利用するのが必須です。さすがに石狩金沢以北はローカル色が濃くなって、新十津川まで完乗した時に車掌が乗客のカウントを行っていました。
ken様>
1981年以前の時刻表は持っていないのですが、札幌から深川まで札沼線経由で運行されていた時期もあったのですね。昭和48年の札沼線部分廃止は、沿線の町が廃止に同意したとのこと。線路の盛土も未成線だったのでしょうね…
ナバコダ様>
地域の交通体制が滝川寄りとなっているので、札沼線部分廃止も止むを得なかったのでしょう。実際に石狩金沢以北は車内が閑散としているし、北海道は車がないと通勤に不便なので利用者が限られる傾向にあります。北海道第二の都市・旭川も人口が札幌へ流れるために減っているそうです。炭鉱の灯が消えて地方に住む意味が無くなった今では、札幌に一極集中するのは致し方ないことなんでしょうかね?
たぶん、需要が昔から少なかったのではと思います。
戦時中にも樺太の線路需要のため1度廃線の区間もでましたし
もともと並行ラインに国鉄バスの空知線も走っていましたし
実際、廃線後に新十津川駅により石狩沼田まで走るバスも列車に接続
する形で設定されたそうですが、利用者が少ないので廃止(新十津川によらない)
になりました。やはり、新十津川や浦臼、月形の住民は滝川や岩見沢に出るのが
ふつうなのだと思います。
札沼線にはまだ乗っていませんが、所持している1964年時刻表の札沼線を見ると札幌から石狩沼田まで直通列車が7本程走っていて内2本は深川まで運転されてます。現在は新十津川というなんとなく中途半端な所で終点となってますが、この駅から先の区間が廃止されたのは需要が少なかったからでしょうか。以前にこの札沼線廃止区間に沿ってR275を走り途中、雨竜沼湿原に行った覚えがあります。またこの時に使った道路地図(1994)に根室本線・芦別から函館本線・納内に抜ける道道7号線に沿って鉄道計画線が書かれていたので訪ねて見てまっすぐに延びる線路の盛土を確認しましたがこれも未成線のひとつだったのでしょうか。
>西部劇に出てきそうな駅?
日高幌別駅のことです。只今見返したところ、あまり西部劇風ではないようですね…
それにしてもどの駅も国鉄色が全く無くなっているようです>_<
毎回素晴らしいサイトを紹介して下さりありがとうございましたm__m
西部劇に出てきそうな駅? はて、いったいどの駅のことだか判りません…私はこの春まで、5年間日高線沿線に住んでいて、全線全駅舎を撮影しているのに…(^^;;;;;
下記のサイトの日高線駅舎の中で、どれのことだかお判りになりますか?
http://www.onitoge.org/tetsu/hidaka/index.htm
ナバコダ様
先月ヤボ用で弘前から北海道フリーきっぷで稚内まで行って来たのですが、深名線がまるごとJRバスで運行されていたので行こうと思えば行けました。それと日高本線が未だに不通のようでJRバスが運行されているようですね。日高本線は富内線の帰りに鵡川〜苫小牧間に乗っただけで本線は乗車したことがありません。ですが、友人の車に同乗した際に富川駅だけを撮っています。アメリカ西部劇に出てきそうな駅舎もあるとのことなので、江差線と共に一度乗って見たい路線です。
サムネールは弊サイトのソースでは文字化けして読めませんが、width="",height="",設定で貴サイトでも設定できると思います。私はエクスメディア発行の“超図解HTMLでつくるホームページ入門”を参考にして作成しました。いずれJavaScriptやフラッシュも覚えられたら活用したいと思います。Javaでしたら簡単なソースが検索サイトに乗っていますので、興味がありましたら研究されては如何でしょうか?
弘前に結構来られていたのですね。全部で4件のサイトを運営していますが、“城下町弘前の桜とねぷた”と言うサイトを開設していますので、以下のURLをクリックしてお入りください。今年もねぷたを撮影しに行きます。
keiさま、どーもです。
現役時代の写真ですが、天北線は駅名標の写真や車窓ばっかです。
去年、久しぶりに代替バスにのって充分楽しみました。
あと、サムネールですがまだ実はやり方を知りません。
勉強して、見やすくしたいなと思っております。
ところで、弘前城や岩木山は大好きで5回以上行ったことがあると思います
岩木山は弘前から見てもいいし、津軽半島からみてもいい形でほんとうにいい山
ですね。
ナバコダ様は、天北線の現役時代の写真を撮っていますか?私も天北線は好きな路線でくまなく撮ったはずなのですが、今年になってからようやく未現像FILMが見つかり、焼き増ししたのが掲示板にリンクした写真です。下頓別以北も撮った覚えがあるのですが、未現像FILMが見つかりません。そう言えば先のFILMはダンボールの底から出てきたものです。
貴サイトを拝見して気づいたのですが、写真紹介のページは写真をサムネイル表示にして写真をクリックすると原寸大の写真が出てくるようになれば個人的には見やすい気が致します。弊サイトもその点はまだまだ未整備なので、徐々に改良したいと思います。これから貴サイトをリンクさせていただきます。紹介文に不備がある場合は、掲示板に書いてくださると幸甚です。
以下は、塚本さんの掲示板に書いたのと同じ内容です。一応、今後の更新予定です。
昨日別口のサークルに行った際、サークル会長が持ってきた地図を見たところ、札沼線の新十津川〜石狩沼田間の鉄道が書かれていたのでコピーをお願いしました。すると一ヶ月貸してくれるとのことで、現在手元にあります。
その地図を良く見ると、未成線のルートが書かれているではありませんか!これを弊サイトに何らかの形で活用したいと思います。これで謎だった名羽線と美幸線の未成線ルートが判明しました。三菱石炭鉱業の路線も大夕張炭山まで書かれているので、昭和48年以前に発行されたものだと思います。ちなみにこの地図帳は発行年月日が書かれていません。白糠線に至っては上茶路しか路線がないので、鉄道の時代はこれから…と彷彿させるような地図です。また、寿都鉄道も載っていました。寿都から岩内まで結ぶ計画もあったそうですね。2ページに渡って見開きに北海道の地図が載っているので細かいところはよく分かりませんが、非常に貴重な地図です。
ちなみに東京の地図を見たら東葛飾郡浦安町と書かれていたり、東北新幹線がなかったり、西葛西の臨海地区が埋め立て前の状態となっていました。凄く古い地図のようです。ちなみに沖縄県が存在していない地図なので、これは返還前の状態ですね。
■こちらのリンクは以下のURLでお願い致します。この他にも3件のホームページを持っていますので、その中の一部として鉄道のサイトを紹介して戴けると幸甚です。
kei様、早速のお早いお返事誠にありがとうございます。
早速今夜、(雷ゴロゴロですが)リンク貼らせてもらおうと思います。
kei様の仰るように長崎生まれの長崎育ちで現在は、福島に住んでおります。
バスの写真ですが70年代製造のバスと言うことで撮影は、86年頃です。
北海道へは、JRになった初めての夏に周遊券で旅したのが始まりです。
個人的には、天北線が大好きでした。
これから自分のサイトも少しずつ充実させていきたいと思います。
これからも宜しくお願い致します。