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ナバコダ様のサイトを全て拝見しました。福島にお住まいなんですか。長崎バスを70年代から撮られていると言うことは、長崎が故郷なんでしょうか?福島でしたら、もらい物の写真で日中線を特集しています。
北海道は90年代に撮影したものが多いのですね。私は80年代後半、札幌に住んでいたので札沼線をよく利用していました。そのため、廃止路線の情報がニュースで放送されるたびに富内線・胆振線を皮切りに乗りに行ったものです。それ以前に廃止された路線には乗ったことが無く、それまでは弘前に住んでいたので情報が入りませんでした。
弊サイトは廃止前の北海道・青森の鉄道を中心に紹介しているのが特徴で、廃止後は殆ど訪れていません。そのため、未現像FILMが見つからない限り更新は非常に難しいものがありますが、当時の時刻表や廃線記念切符など盛りだくさんで紹介していますので、こんなサイトでも宜しければ相互リンク致しましょう。
はじめまして、kei様
ナバコダと申します。
わたしもKei様と同じ東北の福島に住んでおり、北海道のローカル線が大好きです。
私のホームページでも少しだけ載せているんですが、kei様の素晴らしいサイトを
ぜひ紹介したいので、宜しければ、相互リンクしていただけませんか。
ナバコダ
nabakoda@hotmail.com
10冊シリーズの本は知りませんでした。まるたてくんたさんの手元にはゲットされた本があるそうで、おめでとうございます♪
廃止路線の線路が剥がされている以上、駅舎やエセ駅名標くらいしか撮る価値はないのですが、再び北海道に行った時は廃線跡を探訪しようと思います。問題は自家用車で行くのとレンタカー借りるのではどっちが安いのかですね。青森県弘前市に住んでいるので、とりあえず大間までは陸路で行けます。大間から函館はフェリーの運行本数が少ないですが、5年以内に行きたいですね〜
この掲示板の方はご存知かとおもいますが、1983年刊行の宮脇俊三氏・原田勝正氏の最強コンビ編集による国鉄末期の全駅の配線図がでている10冊シリーズの本です。駅の沿革や写真と懐かしい車両の写真、編者の瀟洒なコメントとまあ涙物の内容なのですが、残念ながら絶版です(爆)。
で、古本なんかをさがしたりしているのですが、復刊をリクエストするというサイトを発見いたしました。100票集まったら交渉の対象になるそうですが、まだ6票…(T_T)なので、皆様、是非投票してこの鉄道史跡研究に重大な資料をぜひ復活させましょう!!
ken様>猿払駅の転轍機は本人も知らずに撮ったものですが、天北線未現像FILMから焼き増ししたところ出てきた写真です。現在は殆ど自動転轍機に切り替わっているので、廃線前は昔のままの転轍機だったのでしょう。珍しい場面を撮っておいて良かったです。
まるたてくんたさま>廃線跡の探索には塚本様のサイトが向いています。私は地図こそ掲載するような発想はなかったものの、廃線前の写真で現在の廃線跡との比較が出来ると思います。廃線当時大学生だったので、写真は適当に撮っていました。体系的に撮っていないのが災いして好きな路線以外は殆ど撮れていないのですが、それしか写真がないのでしょうがないですね…>_<
先程別サイトで廃線後の渚滑線北見滝ノ上駅舎の写真を見ました。線路は綺麗に剥がされていますが、駅舎は保存されています。ただホームも無くなり駅名標が別のところにあって新しく書き直されている点は納得行かないのですが、結構廃線跡を探訪する価値はどの路線でもありそうです。
文章オンライン編集していたら最初の行が消えてしまいました.
塚本さま,初めまして.
大変詳しいサイトで勉強させていただきました.
と書いたつもりでした.失礼しました.
お写真を拝見するかぎり,緑の丸屋根の建物は国道から見えました.少なくとも,稚内空港から声問郵便局にいたる間に工事現場はなかったような...と思いますので,供用されているのかもしれません.空港から国道に出るところのT字路のちょっと手前に斜めに国道に抜ける道も,以前の地図を拝見するとやっぱり鉄道跡だったんですね.ちょっと築堤っぽかったので,線路とは思いませんでしたが,旧道跡かなにかだろうなぁと思いました.しかし,良く考えたら東京などと違って,そうそう「旧道」が存在している場所でもありませんね.
教訓:北海道の郊外で「旧道」をみたら「廃線跡」を疑え.
皆さんのご教授のおかげで以前から疑問に思っていた天北線の線名について納得しました。地名や両端の駅名をくっつけたりの線名が多ですが天北線のような名前もいいですね。天北線のTOP画面の猿払駅の写真ですが、昔は良く見かけた転轍機も最近は見かけなくなりました。JR東海・名松線では今年の冬まで使っていたのでそれほど気には留めてなかったですが、なくなってみれば廃線跡と同じで写真に残すことの大切さを感じます。
塚本様、お久しぶりです。そちらの掲示板は毎日見ていますが、なかなかコアな話題に知識が追いつかず御無沙汰しておりました。ヤボ用で美幸線まで行けたら写真を撮って掲示板に書き込めたのですが、先月稚内に行った時も鉄をやれるような状況ではなかったもので…^^ゞ
私も写真が出てこないので、帝国書院に許可を申請中です。…と言っても地図をスキャナして広域地図をそのまま載せるだけの何の工夫もない情報なんですが、無事許可が下りてupしたらお知らせ致します。
天北はやはり地区を結ぶことが由来のようですね。そうでなければ、あんなにロマンチックな名前にならないはずですから。
リンクされた写真を拝見しました。かつての鉄道跡はどこへやら、面影など微塵も感じさせない様子ですね。廃線前の鉄道を撮るということがいかに大事か…ひしひしと伝わってきます。
管理人さん、ご無沙汰しております。
拙サイトの鉄道現役時代の地形図も、意外と役に立っているようですね。もともと廃線探索をなさる方々の便宜を図るために、わざわざ国土地理院長の承認を取って掲載しておりますので、このように役に立てば掲載のし甲斐があったというものです。
さて、「天北」の由来ですが、地名というわけではありません。もともと維新期の北海道開拓時代に、北海道を11の国に分けましたが、そのうち、だいたい今の上川支庁にあたる所が天塩国、そしてだいたい今の宗谷支庁と網走支庁にあたる部分が北見国とされました。
ですから、音威子府(上川国――厳密に言えばそうではないかも)と稚内(天塩国)を結ぶということで、天北線と命名された模様です。
天北峠というのは、天北線の駅で言えば上音威子府〜小頓別間にありますが、これも天塩国と北見国を結ぶ峠だったからです。
天北峠と言えば、もう一つ名寄本線の一の橋〜上興部間の峠がそう呼ばれていますが、これも下川町(天塩国)〜西興部村(北見国)を結ぶ峠だったからです。
まるたてくんたさん、初めまして。稚内空港の航空標識が設置された笹の生えた土盛は、ご指摘のとおり天北線の築堤上です。私は稚内市内にはもう2年半も行っていないのですが、声問駅構内を突っ切る国道の新道はもう完成して供用されておりましたか。
http://mtuka.cool.ne.jp/tenpoku/ten_koetoi_st2.jpg
今度行った時(夏に家族旅行の予定です)に確認してきます。