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津軽線は青函トンネル開通時に海峡線とともに乗り鉄したことがありました。当時の津軽線はキハ22という北海道のローカル線でお馴染みの気動車が走ってましたが、今ではやはり、キハ40あたりになってるのでしょうか・・・。ローカル線ゆえにか、今の津軽線は5往復で三厩発の終列車は17:55発という早仕舞いぶりですね。
一方、下北交通は私は乗ることなく終わってしまったのですが、2002年5月連休のツーリングで廃線跡を見てきました。駅はホームが残っていたものの、田名部、大畑以外は駅舎(待合室?)が撤去され、ワンマン運転用のバックミラーの柱も転がっていました。レールもほとんどはがされていましたが、どういうわけか下北駅近くの踏切部分だけレールが残されていました。同じ日に行った南部縦貫鉄道は路盤にレールが残っていて踏切部分だけ撤去されていたのと対象的でした。まあ、南部縦貫は休止扱いだったからかもしれませんが、それにしても小さな駅の駅舎(待合室?)が今まさに崩れつつある状態でした。
津軽線は今別町大平の手前で津軽海峡線と分岐して三厩まで延びていますが、収支計算で津軽海峡線と同じに分類されていたら廃止されないと思います。
但し、今別町大川平にある津軽線の津軽二股と海峡線の津軽今別駅は山の中なので利用者が殆どいないようです。ここは青森ヒバが多く、ガイドブックにも載っていないような静かな渓流があるそうです。
また、青森まで通勤通学者が多い路線なので廃止されないようです。もしかして今別から青森まで通っている高校生もいるかも知れません。ちなみに蟹田には高校が無いので、これも生活必需路線ですね。元々津軽線は平舘村の海岸を通るコースだったのですが、険しい崖のため難工事が予想されました。そこで交通の不便な山沿いに鉄路が敷かれたのだそうです。
小樽に行った時に市内を散策していたら手宮線跡に遭遇しました。一部線路が残っていて遊歩道を兼ねた小公園になってましたが線路上には手造りのトロッコが置いてありました。以前に訪ねた時には線路跡は荒れ放題状態だったので整備されたのでしょうね。維持・管理してくのには大変だとは思いますがこういう形でも残っていれば嬉しく思います。
青函トンネルが完成した時の津軽線はどうなるのか心配しましたが(特に末端区間)開通後は区間運転になったもののそのまま残ってますが、これからも大丈夫なのでしょうか。
まるたてくんたさんは、わらしめごめごですね〜
鉄道でも1サロスの時間が経過すると、まるで景色が変わってしまいますね…>_<
私の1サロス前は、胆振線や富内線を撮りに行ってました。今から思えば、あまりに早すぎる廃止でしたね。今では多分草ボウボウか道路にでもなっていると思います。中でも旧白糠線跡地の荒れようは凄まじいそうで、殆ど自然にかえっているそうです。駅名標の枠が錆び付いてそれをボウボウの草が隠している状態だそうです。
昨日,筑波鉄道の廃線跡のサイクリングロードで,子供をつれて電車ごっこならぬ気動車ごっこをしてきました.田んぼの中に突然現れる国道の立体交差がかつてここが鉄道であった証拠です.子供たちも踏み切りだったところから「線路」に入り,「がたんごとーん,ファーン」と大喜びでした.
常陸北条駅跡にプラットホームがあり,上に上ったら交換設備のあった場所が草ぼうぼうになってました.線路がないかとおもったのですがありませんでした.残念.
しかし,こんな駅だったかなぁ?と思い,近所を散策してみたら,なんと駅舎のあった土地が売りに出され,すでに新しい住宅が3軒建っていることが判明.なるほど,これでは見た感じが違うと妙に納得しました.旧駅前通りは,観光バスの車庫や,旅館,味噌醸造元,麹屋など鉄道のあったころそのままに寂れており,17年の月日の境目を通り越えた妙な感じがしました.
みかん様、C62ニセコ拝見致しました。20ページ全て拝見させて戴きました。
素晴らしい大作で言葉も出ないのですが、よく編集なさったと思います。こちらはにわかSLファンですから撮影地についてコメントのしようがないのですが、ただただ見惚れているだけです>_<
私も数枚のSLを撮っていますが、廃止前路線紀行が中心のため、オマケみたいな写真で終わっています。やはりHP運営に関して重要なのは、自分が楽しいと思えるようなページを作るのが重要であり、例えカルト的な内容であっても必ず共感してくれる方がいます。弊サイトは無煙のページですが、未現像FILMが見つかり次第新たなコンテンツを制作しようと思います。お知らせありがとうございましたm__m
ちょとご無沙汰しました。
北海道のワイド周遊券は重宝しましたよ。
特に学生時代、10月から5月は2割引きでしたから、学割2割×冬季2割で3割6分引き。
お金のない学生には福音でした。
東京からだと通用20日間でしたが、ほとんどいつも有効期間ギリギリまでいましたね。もっとも道内での食費はメチャクチャ切り詰めてましたけど。(^^ゞ
さて弊サイト、「C62ニセコ」を完全リニューアルしました。
ページ数が多いですが、お暇なときにご覧下さい。
かつて札幌に住んでいた時は道東周遊券を使ってよく釧路や根室に行ってましたが、北海道に行かれる方は周遊券で回っていた方も多かったですよね?そう言えば周遊券販売なんて今でもあるんでしたっけ?どうしてもバス便の安さに釣られてヤボ用がある時は買ってしまいます。
新幹線には何回か乗りましたが、青春18きっぷのダイヤ接続が悪かったので2区間の駅だけ乗っていたりしました。一ノ関→仙台とか仙台→福島とか郡山→那須塩原とかです。ある一定の距離を越えなければ、これらの区間は3000yen以内で行けます。弘前→大館→盛岡に接続する花輪線のダイヤが秋田県人寄りに作られているので、弘前から鈍行で東京に行く場合は大変不便です。
庶民級の値下げは鉄道会社で行われないでしょうね。そう言えば国鉄時代に北海道で唯一の私鉄だった三菱石炭鉱業は清水沢→遠幌までが40yenで清水沢→南大夕張までが60yenでした。これは特例で、沿線住民の殆どが三菱石炭鉱業に就職していたので通勤や通学に運賃を値上げしても結局は負担が同じなので超低料金となったようです。
実は昭和50年代に、国鉄のA寝台及びグリーン料金を値下げしたことがありました。
でも所詮は庶民の使うものではありません。私も社会人になってから東海道線の普通列車
のグリーン車に2、3回乗ったことと、ジョイフルトレインでスーパーエクスプレスレイン
ボーに乗ったくらいです。
運賃での値下げというと・・・京阪神地区の特定区間割引が導入されたときなどは、どう
だったのでしょうか。あの辺は競合する私鉄のほうが安いでしょうから、新快速130km/h運転
で対抗するしかないようです。
今の時代、飛行機や夜行バスに対抗しようと思うなら、何らかの長距離割引が必要ですね。
かつての周遊券など、良かったんですがねえ。
私も5年前に車を取得してから殆ど鉄道には乗らなくなりました。都心や大都市では鉄道網が発達しているので乗る機会が増えますが、田舎の小都市では街がドーナツ型に広がって車がないとどこへも行けない状況です。先月ヤボ用で夜行バスに乗って東京まで行きましたが、鉄道だと青春18きっぷ以外の期間では鈍行往復でも20000yen近くするのに、バスは昼行便だと一番安くて往復10000yenで行けます。
デフレ化が進んでいますが、鉄道運賃が値下げされたのを聞いたことがありません。値下げしなくても良いから鉄道会社にはもっとコストを抑えるように工夫された方が良いのでは?と思います。
そう言えば家の近くに弘南鉄道大鰐線が運行されていますが、学生と車を持たないお年寄り、沿線付近の住民しか利用していないように思います。ちなみに弘前中央駅→大鰐駅は、弘前駅→大鰐駅の約2倍運賃が高くなっています。