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取り合えず題名の通り初めまして。
自分は高校なのですが、今日学校で
英語の時間先生が幸福ゆきという
切符があると言っていたので
気になって調べた所ここを
見つけました。こういうのはなんか
ロマンがあって良いですね。
とかちみつまたさんは、現役の弘前大学の学生さんかと思っていました。今は故郷に戻って生活しているのですね。初めて日食写真展を開催したのが1999年で、翌年天文台“銀河”で写真展をやったので私の作品はもしかすると見たことがあるかも知れませんネ。
楓駅の往復は時間が早いので、どこかに泊まって遠征したのですか?私が行った時期は4往復の午後だったので、余裕で往復できました。その後、再び占冠へ行き冬の占冠駅周辺と郵便局に行きました。午後4時前に郵便局に着いたのですが、あたりは薄暗く駅に向かう時はすっかり暗くなっていました。三脚を持ってきていなかったので最初の写真はブレたのですが、二枚目に撮った写真は荷物の上にカメラを置いて撮ったので鉄道のHPに掲載しました。差し替えた写真も占冠駅で撮ったものですが、占冠駅名標が映っていないので信憑性が薄いです。
つい、701系(秋田色)が映っていたので書き込んでしまいました。
私が弘前大学に入ったときはちょうど客レと701系が混在していたような気がします。
ちなみに、私は北海道十勝地方出身で(この時点でかなりわかるかも)帯広ナンバーの
赤いインテグラに乗って天文台に時々出かけた人です。アルバイトはしていませんでした。
学生番号で言えば96SG**世代です(平成8年入学→平成12年3月卒業)。
今は違う車に乗っているのですが…とは言っても銀色の丸目インテグラになっただけ。
ちなみに、楓駅営業終了日以前だと昨年11月下旬の土曜日に1往復乗車しました。
新夕張駅まで車で行きましたが。
とかちみつまたさん、よくお気づきになりました。何の疑問も持たないで占冠駅をまとめたアルバムに入っていた写真なので載せましたが、よく考えると占冠駅は特急しか停まらないのですよね。知らないうちに弘前駅のものが入っていたのかも知れません。ヘンな写真は削除します>_<
弘前大学天文同好会なら、相馬村の天文台“銀河”でアルバイトしていませんでしたか?昨年9月末までそこで皆既日食の写真展をやっていました。もしかしてお会いしたことがあるかも知れません。あとでメールを送ってくれませんか?ここの一番下の管理者へメールのリンクで届きますので…。もしかして悪戸に住んでいる石岡君ではないですよね?(彼は確か卒業したはず…)
楓駅の最期を見届けましたか。あそこは平成7年に行ったきりですが、一日4往復していました。待合室には誰もいなくて、僅か12分間楓で過ごしました。本来の楓駅を経験できて良かったと思います。昭和61年の富内線廃止前に占冠へ行き、町営バスで日高町に行きましたが石勝高原の駅名標は撮っていなかったです。今のトマムの方が最もらしく、好きな駅名なので前の駅名は撮っていませんでした。どうしても当時は廃止前の駅に興味があったので…
差し支えなければ、みちのく天文サークルにもおいでください。私がここのHPを立ち上げたので、以下にリンクを書いておきます。
はじめまして。
サイトを見ていてちょっと気づいたのですが、占冠駅ホームの画像が弘前駅1番線(工事前)の
ような気がするのですが(後ろにあるのはアプリーズ・シティ弘前ホテルかも)
ところで、私は弘前大学天文同好会COSMO出身です(その割に天文知識無しですが(爆))。
もしかしたら知らないところでお会いしているかもしれないです。
それでいて、大学時代は仕送り少なめということで、18切符で旅行したりしていました。
先週金曜日は楓駅営業終了記念行事に行ってきました。そして、3番線の駅名標と時刻表が
はがされる瞬間を見届けてきました。
今は占冠駅の2世代前の駅名標が見てみたいです。
占 冠
しむかっぷ
<○ ○>
かえで せきしょうこうげん
だったと思いますが。当時はまだ小学生であまり裕福じゃなかったので石勝線経由のおおぞらは
高くて乗車できず富良野経由の急行狩勝しか乗ったことはありませんでした。
ケロリン町田さん初めまして。面白いHPですね♪私がもう少し早く生まれていたらケロリン方面に向かっていたような気もします^_^;;
ホーローに興味があったのですが、田舎の青森県でも見かけなくなってしまいました。ボンカレーのホーローが有名ですが、グリコのホーローは幻とも言われる逸品だそうで、是非生で見てみたいです。その他、懐かしい写真は“tsugaru”にも掲載しています。こちらは米軍の空襲に合わなかったので、明治時代の建物が現存しています。スカラ座はどこにも属さなかったので、トップページにリンクしました。
D61時代の羽幌線を見たかったものです。昭和末期にC62ニセコ号が復活しましたが、数年経たないうちに運行廃止になったそうです。D51は7年前に市内のJRを通ったので撮影出来ました。そちらの掲示板にも伺いに行きます。
kei様、はじめまして?ハスビーさんのところからきました。懐かしい写真いっぱいでうれしいいです。わたしが鉄道研究会に籍があったのはのは1965年から大学卒業までの1973年、その間全国の鉄道をまわりました。(スイスを含ヨーロッパは1972年に)
羽幌泉は当時はまだD61でした。14日仕事で福島へいくのでついでに「茨城交通」へのります。昔キネマ旬報が「蒸気機関車」という雑誌を出版していたのしてますか?私はレギュラーでイラストや記事をかいてましたもう30年以上前のことですが。「旅」という雑誌にもたまに登場していました。今後とも宜しくおねがいいたします。私のHPも覗いてくださいね。
みかんさん、おはようございます。
根室標津は列車ではなく、たまたま釧路まきばYHに泊まって知り合った方の車に同乗させてもらい、標津線の計呂地駅と根室標津駅を撮ることが出来ました。当時の写真ですから駅舎の近くで撮らずに遠くから撮った画像を拡大して載せています。思えば手元に根室標津駅の入場券があるのも実際に根室標津駅で買っていたからあるワケで、駅舎の写真ももっと撮っておけば良かったのですが何故か遠くから撮った一枚の写真しかありませんでした…
かわうそ99さん、おはようございます。
D51アニメは元画像が2枚しかないので他の2枚は加工したものです。列車のつなぎ目付近がヘンですが、笑って許してくださいね^_^;;
私も昭和末期に北方領土記念館へ行きましたが、納沙布岬にある記念館の方へ行ってきました。ここの職員は販売員しかいなかったので、ゆっくり自分のペースで見ることができました。薄曇で対岸の島々は見えなかったのですが、晴れた日の北方領土の写真が売ってあったので買いました。その前に日本最東端の東根室駅と最東端の珸瑶瑁郵便局で記念貯金をしてきました。
それから十数年後モスクワに行きましたが、そこにあった地球儀には根室半島の先から知床半島の海岸まで国境線が引かれていました。時差も日本より2時間早いそうで、世界各地の時間が分かる世界地図にも時刻の違いから国境線が引かれていました。
D51画像、拝見しました。昔、飛び出す絵本というのがあったような(^^;)(歳がばれそうですが)。
>草凪みかんさん
私は標津線で根室標津に行った時、海岸沿いの「北方領土記念館」に寄りました。ヒマだったのか、そこの職員氏が頼みもしないのにいろいろと説明してくれて、戦前にはこのあたりから国後島へ連絡船もあったんだ・・ということも言ってました。
その後、根室から納沙布岬へ行き、貝殻島灯台やらソ連(当時)の警備艇まではるかに見てしまい、冷戦の国境の厳しさをほんの少し分かったような感じがしました。あの時根室から乗った列車は茶色の旧型客車でした。
おおお!
D51が飛び出してくる〜〜。(^^)
動画UPするよりは軽くて済みそうですね。
根室標津・・・駅を出て少し歩くと国後島が見えるところでしたよね。
初めて行ったとき、あんなに近くに見えるなんて思わなかったんでちょっとショックでした。
狭い海峡隔ててすぐ向こうに見える島見てるうちにだんだんハラがたってきて・・・あそこが日本じゃないなんて許せない気がするんだよね〜。
思わず「バカヤロ〜!」と叫んだりして。(^^;
(羅臼岳の山頂から国後島を見ると、その感じはもっと増幅されますが)