[ Rental BBS ] [ Rental Chat ] [ 開発スタッフも募集中!! ] [ Shop! ] [ 前ページへ ] | Reload |
ちょっとご無沙汰しました。
外国の鉄道、拝見しました。
シベリア鉄道、乗車されたんですか???
あの線、乗った人に話を聞いたんですが、最初のうちはもの珍しさで車窓を見ていても2〜3時間たつとたまらなく退屈に襲われるということらしいですが…。(^^;
旧ソ連時代と資本主義ロシアになってからとでは、列車内の待遇も違っているんでしょうね。
ちなみに旧ソ連時代、夏に行った人は、停車駅でアイスクリームを買おうとして人波にはじきだされて買えなかったそうです。ロシアの人って体格いいですものね。(^^;
中湧別といえば、湧別までの支線がありましたよね。
途中に四号線という駅(乗降場?)がありましたが・・・。
確か朝夕の2往復しか運転がなくて。夏に四号線で降りて中湧別まで歩いたことがあります。
リュックを背負って降りたら、車掌さんに「こんなとこで降りてどうするの?」と言われてしまいましたが・・・。
kei様そしてみなさま、ご無沙汰いたしました。普段、仕事上殆どとんぼ帰りの旅しか出来ないので、極力列車での旅を心がけてはいますが、既に廃止路線となったものは不可能なので、引き続き本HPの貴重な写真を拝見させて戴くことで、改めて乗車した気分にさせて戴いております。石勝線も恥ずかしながら乗車したことはございませんが、楓駅も山間の秘境とお察ししますが、やはり採算性からどんどん切捨てられていくのはやはり残念です。所で、かわうそ99さんは、よく常紋トンネルのことをご存知でしたね。小生はこの話については『常紋トンネル(小池喜孝著:朝日文庫)』にて初めて知りました。確かに、今になってまた思い出しましたが、小生が通っていた小学校の付近に『空知集治監』という監獄のレンガ煙突のみ残している跡地があって、ひとりでトイレに行くのが怖かったものでした。また、取留めのないことを申し上げました。
下北様、今年も宜しくお付き合いください。
五能線は下り列車のほぼ全てが弘前駅から発車するので馴染み深い路線です。五所川原〜中里間を結ぶ津軽鉄道も健在で、冬には恒例のストーブ列車が運行されています。暖は薪でとるそうです。
思えば私の高校時代もストーブは薪でした。このレトロな感じが旅情を誘うのではないでしょうか?地味ながら安定した経営努力のお陰で廃止の噂も聞かれません。非常に良い路線です。
最近は五能線出身の力士が多いですね。まぁでも良くて三役止まりではないでしょうか?
鉄道と旅行貯金は私の中では並行するテーマで、本編でも〠の写真はかなり載せています。鉄道より旅行貯金の歴史が長かったもので…。それにレイルウェイライターの種村直樹氏は無類の旅行貯金ファンでもあります。鉄道ファンの中でも旅行貯金をやる方は結構多いのではないでしょうか?
こんばんは。今年もよろしくお願い致します。
五能線など、色々拝見しました。五能線は木造、鰺ヶ沢、北金ヶ沢など幕内力士を生んだ駅が多いので、是非乗りたい線の一つです。私は「郵便貯金の旅」はしていませんが、根室本線・厚岸駅近くの厚岸郵便局は行ったことがありまして、非常に懐かしかったです。厚岸局は大きい郵便局ですが、田舎の小さな郵便局は旅情を感じさせてくれる一つのアイテムですね。北海道では北浜郵便局、青森では正津川郵便局などに行ったことがあります。
ちなみに幌内線と広尾線のさよなら列車にも乗りました。トップの写真はいずれも当時の様子です。湧網線は始発から乗らないと混んでいて座れないので、浜佐呂間から一旦網走まで戻り、そこから中湧別まで行きました。幻のオホーツク本線と題して興部まで海岸沿いを乗車したのですが、中湧別から先は当時廃止の噂が耳に入らなかったので、珍名の沙留駅名標しか撮っていません>_<
先日NTV水曜夜7時の放送で下北交通の運転士にレポーターがインタビューしたところ、車庫から出してまた車庫へ戻る復活劇をしてくれた方が村人グランプリを獲得しました。国鉄大畑線には乗りましたが、下北交通には乗っていないので廃止後とは言え、かつての勇姿を垣間見た気がします。
あの橋にも人柱説がありますね。私は国道244号線をバイクで走った時、撮影してきましたが・・バイク雑誌の投書記事には、道庁の役人がX線検査をしたら人影が写っていた、などと書いてありました。
原生花園駅のログハウス風の駅は、2000年の7月のツーリングで訪れたことがありますよ。5月1日から10月31日までの臨時駅ですね。周囲は道路と原生花園と海岸しかなく、列車のお客よりも観光バスのお客のほうが多いという感じでした。
廃止になった路線の駅が保存されている例はいくつかありますが、どうせなら現役当時のまま保存してもらいたいものです。道の駅やバス停の一部として小奇麗にするのはいいけど復元模型のようになってしまうとか、駅舎が移設されていたりというのはよくありますし。Keiさんはさよなら列車に乗車とは貴重な体験をしましたね。浜佐呂間駅の跡には確か幼稚園が建っていたのを見た記憶があります。その時サロマ湖畔YHに泊まってパラセーリングは人が少なくて無理だったのでスノーモービルで凍ったサロマ湖を走りました。
かわうそ99さん、人柱なんて今では考えられないですね…
それだけ北海道の鉄道は混沌とした歴史を刻んできたのでしょうが、根北線や松前線の未成線区間の橋梁にも同様の噂があります。廃止の噂が絶えない北海道では暗い話題ばかり先行してしまいます。せめて○○線復活!とか明るいニュースが欲しいものです。
留辺蕊YHには泊まらなかったのですが、釧路まきばYHには何回も泊まりました。部屋にお湯のパイプが通っていて寝ているとお湯の流れる音が何とも不思議な感じがします。そういえば当時、釧網本線で開業したばかりの原生花園駅で記念撮影をしたのですが、あの駅は現在どうなっているのでしょうか?
YHの話ついでですが、湧網線が廃止される直前に浜佐呂間YHに泊まっていました。翌日か翌々日に気球かパラセーリングするとか聞いてやりたいナァと思ったのですが、鉄道が廃止されて戻る手段が無くなってしまうので翌朝さよなら列車に乗って中湧別まで行きました。ついでに湧別にも寄れば良かったですね…
北海道の開拓史には、暗黒の歴史もつき物です。
私がかつてツーリングで利用した留辺蘂ユースホステルの談話室に置いてあった史料を読んだ記憶では、昭和40年頃石北本線の常紋トンネルのコンクリート内壁が崩れたとき、人骨が出てきたというのです。その後の調査でスイッチバックの引込み線の下などからも合わせて、人柱かタコ部屋での犠牲者か、はたまたケンカで殺された人か、8体ほど出てきたそうです。ここは国鉄時代に常紋信号所に勤務する職員の間で「出る」という噂が絶えなかった所でしたが、現在ではもちろん、信号所は無人となりました。
それから、別の話ですが同時期に置戸国道と呼ばれる242号線の道端にあったお地蔵さんの下を発掘したところ、やはり何体分か人骨が出てきたそうです。こちらは地元の言い伝えがあり、それを調べた結果だそうです。
北海道の鉄道等の建設の歴史を調べると、こういった話も出てくるのですね・・・。
nori様、石勝線の楓駅は今年春のダイヤ編成から姿を消します。現在一日1往復回の駅(休日は運休)ですが、平成一桁の時代は一日4往復していました。更に昭和55年は一日6往復しています。55年当時は登川駅も健在でした。
こうして昔を辿ってみると、段々運行本数が減らされて楓駅が無理矢理廃止されようとしています。この辺にもJRの姑息さが見えると思うのは私だけでしょうか?
ふるさと銀河線は毎年4億円の赤字を計上しているそうです。放っておくと財政破綻は明らかで、第三セクターに交付される国からの給付金も大幅にカットされてしまいました。沿線住民の過疎化が進み、廃止寸前の状態に追い込まれています。
銀河線を経由して特急かSLを通そう言う話もありますが、JRとの運賃形態の違いから実現せずに終わっています。これ以上ローカル線を廃止して欲しくないものです。
『タコ』は聞いたことがあります。多大な苦労で敷設された鉄道が次々と廃止になってしまっては、犠牲者の霊も浮かばれなくなってしまいます。鉄道を愛する方々は皆、同じ思いを共有しているのですね…
ちなみに外国の鉄道をup致しました。御時間がありましたら御笑覧下さい。
kei様、本当に色々な貴重な情報ありがとうございます。今日から仕事始めのため、頻繁にHPを拝見させて戴く機会も少なくなると思いますので、どうかご容赦下さい。 しかし、ふるさと銀河線もそのような噂があるとは知りませんでした。79年〜83年まで、北見市に4年間住んでいましたが、これも恥ずかしながら当時の池北線には1回も乗ったこともありませんでした(池北線の北光社・置戸付近へ日雇いの土木作業に駆り出された以外は縁がなかったもので…)。第3セクターとなって半ば油断しておりましたが、たまに行ってみないといけないですね。このままだと北見も寂しいごく普通のJR駅になってしまいますね。最近、『銀河鉄道999』のキャラクタ列車で客引きの努力をされていたみたいですが、以外とこのような努力も仇となってしまうものでしょうか…。釧網本線のように、阿寒・釧路湿原国立公園のような明確な観光地を経由しない路線でないと、もともと人口密度の低い地域での採算が合わないということでしょうか。北海道の大部分の鉄道敷設については、明治時代の囚人(安い労働者として酷使された『タコ』と呼ばれる土工夫たち…殉職したり、怖い話ですが生き埋めにされたり)の犠牲の上で建設されたものであるという認識がいまや忘れられてしまったようです。…と嘆くのは小生だけなのでしょうか。またまた、取り留めの無い話をして申し訳ございませんでした。